小林リズムの紙のむだづかい(連載148)

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紙のむだづかい(連載148)
小林リズム

【もっきり屋の少女〜あなたって可哀想な子ね〜】
 
 友達に誘われた飲み会に参加したときのこと。
「入社した会社の経営者が教祖的だったので辞めました!今、無職です!」
と自己紹介したら、場の空気が静まり返ってしまったことがあった。ウケ狙いのつもりで話したのに「災難だったね…」「気の毒だったね…」と優しい言葉で同情をされたので、想定外だった。“ちょっと変わった面白いキャラ”になる予定が“社会にもまれて痛い目にあった可哀想な女”になってしまって、ちっとも面白くなかった。そして気づいたのだ。そうか、わたしは世間一般にみて弱者で、可哀想なのか…。

 “もっきり屋の少女”は主人公が旅行先で少女チヨジに出会い、彼女に興味を持ったことからはじまる。「ろくにお金もないのに山だ海だって言っていてびっくり」という言葉をごりごりの方言をつかって挨拶代わりにするチヨジに「彼女は何を考えているのだろう…」と気になった主人公は、連れられるままに彼女の営むお店へと足を運ぶ。

 自分を安いお金売りとばした両親の近くに住みながら、毎日働いているチヨジ。そのお酒を注ぐ慣れた手つきや、凛とした話し方から、彼女はずいぶんと長い間こうやって生活してきたのだということがわかる。そんなしっかり者のチヨジに、自分の境遇をどう思うかと聞かれるたびに無表情に「みじめです」という言葉を繰り返すのだった。しかし何かを諦めたような、達観したようなその顔からは、まるでみじめさが伝わってこない。主人公は聞く。「君は少しもみじめそうではないではないか」。するとチヨジは「しかたねいです」と返すのだった。しかたねいです。なぜか。なぜ“みじめに見えないこと”が仕方ないのか。彼女は自分のことを「みじめで不幸な子」だと思っていないからだ。

 相手の気持ちを知ろうとするとき、人はそれまでの自分の経験や感情などを呼び起こし、物差しをつくる。自分の定規をもって相手を測定し、励ましたり怒ったり、共感したりする。だから“半裸の状態でカメラを見つめるアフリカの子ども”を見ると反射的に“恵まれなくて可哀想”と同情するし、“両親が離婚した”と聞くと“ごめん、嫌なこと聞いちゃって…”と慌てる。
 確かにチヨジはわたしの持っている価値観で測ると、親に売られ、小さい頃から働き、お客に身体をもてあそばれているのだから「みじめな少女」だと思ってしまう。けれどそれはわたしから見たチヨジであって、チヨジからしてみたらそんなふうに思われること自体が的外れなのかもしれない。彼女にとってはだらしない両親も、働くことも、ほとんど生まれたときから当たり前だったし、それ以上もそれ以下もないのだ。ただ都会の子が履くような赤い靴がほしくて、そのためにお客に身体をもてあそばせる。そこには罪悪感も羞恥心もない。単純にゲーム感覚なのである。

 主人公はふと気づく。自分が一方的にチヨジに同情し、その同情から優しく振る舞ったりお説教をしていたということに。そしてひとりごとのように言う。「考えてみりゃあもともと考えることなんかなかった」と。価値観が違うだけで、チヨジは「不幸でみじめ」ではないのかもしれない。いや、誰かが不幸かどうかなんて考えることそのものに意味がない。幸せは模範解答があるわけでもなければ、比較できるものでもないのだ。

 さて、わたしが無職になってから、あらゆる人が同情してくれ、また好奇心にうずく様子でこちらを見つめてきた。“可哀想ね…”と憐れんでくれた。そうか、わたしは可哀想なのか。それなら、わたしはチヨジみたいにはいられない。はっきりと自分が不幸でないと言える。だから、この不幸を売りにして最大限に活用したいと思うのだ。

小林リズムのブログもぜひご覧ください「ゆとりはお呼びでないですか?」
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