ユッキーの紙ごはん(連載5)

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ユッキーの紙ごはん(連載5)


【ポップコーン一粒分の恋心】
                                           

ユッキー


どうしても忘れられない男性がいる。記憶力の悪い私だけれど、彼のことだけは鮮明に覚えている。彼のことを思い出すと、切ない……やばい! トイレに行きたい! という気分になる。

高校1年生の頃、友達から別の高校に通っている男の子を紹介された。メールから始めて、早々と写真を交換し、1週間と少し経ったあたりでデートが決まった。もう心はウキウキ。何せ写真で見た彼は、驚くほどイケメンだった。
映画でも観ようかという話になり、当時上映していた映画のうち、彼は『バイオハザードⅢ』か『恋空』を観たいと言った。ホラーが好きなので、断然バイオハザード! ……だけど16歳だった私は、「バイオハザードは怖いから恋空が観たいな」というぶりっこメールを泣く泣く送った。メールは顔が見えないから便利だ。

彼は映画代をいくらか多めに出してくれて、飲み物も奢ってくれた。男の子に奢ってもらうなんて初めてだったから、本当はSサイズ「が」いいのに、「Sサイズでいいよお」としか言えなくて、それを遠慮だと解釈した彼は「いいからいいから」とMサイズを買ってくれた。紙コップの中でたぷんと揺れるカルピスからは、心なしか不穏な気配。
彼が気を利かせて、席をインターネットで予約しておいてくれた。後ろの列の真ん中というベストポジション。「ポップコーン、勝手に取っていいからね」と彼が笑う。おお、デートっぽい! と、よくわからないけど感動した。

奢ってもらったからには全部飲まなきゃ悪い……そんな思いから、私はひたすらストローをすすった。そして映画が中盤に差し掛かるより前に、飲んだカルピスがそっくりそのまま膀胱に下りてきた。ま、まあいけるでしょ、と謎の過信から、私はなおもカルピスを飲む。そういえばこの人全然ポップコーンくれないな、と途中で思った。彼が抱えて食べているものだから、なんだか手を伸ばしにくい。

映画が後半に入ると、もはや私はほとんど尿意に脳を支配されていた。これはやばい、と身体は警報を鳴らしている。トイレに行きたい。でも、こんな真ん中の席から人の前を抜けていくなんて。それにこんなイケメンに、「ごめん、お手洗い行って来てもいいかな?」なんて言えない。
私は漏らしてしまった時の対処法を考え始めた。映画そっちのけで必死に考えた結果、

「漏らした瞬間に白目を剥いて倒れ、床の上で痙攣しよう……」

そう決めた。身体に異常をきたして失禁、という風を装おうと思ったのだ。今の私でも、いやそんなことになる前にトイレに行ったほうがマシでしょ、と突っ込みたくなる。10代の私は、生理現象で席を外すだけでダメになる男となんてどうやったって上手くいかない! と開き直る術を知らなかった。

何とか映画が終わった。スタッフロールが憎い。明かりが点いて、私は心の中では悲鳴をあげながらも、あくまでおっとりと「行こっか?」と彼に言った。ところが彼は、ポップコーンを自らの身体のあらゆるところにこぼしていた。
「もう、ダメだよー!」 母性溢れる女を演出するためではなく、ただひたすらトイレに行きたいという思いで彼の身体に付いているポップコーンを拾う。彼はされるがまま。あなたも手を動かせば2倍の早さで終わって私はトイレに行けるのに! 半ば八つ当たりのような心境で拾っていたところ、最後の一粒は彼の股間部分に落ちていた。

「……」「……」 なぜか沈黙が流れた。自分で拾えばいいのに、彼は全く動かない。
トイレトイレトイレトイレ。頭の中はそればかり。彼の格好良いお顔などもう認識できない。ほぼ無意識に、「ねえ。拾いきれないから一回立ちなよ」と彼に冷たく言ってしまった。彼が立つ。ぽろ、と一粒だけのポップコーンが落ちて、映画館の床へと旅立って行った。

結局、彼とは上手くいかなかった。
(だけど漏らしてません。)

※肖像写真は本人の許可を得て撮影・掲載しています。無断転用は固くお断りいたします。