小林リズムの紙のむだづかい(連載87)

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紙のむだづかい(連載87)
小林リズム

【女子というには年を取りすぎたけどいくつになってもカメラにピース】

 「若い女の子たちが生き急ぐようにして、毎日やたらと写真を撮りたがるのは、若いうちの綺麗な瞬間を切り取って残しておきたいからなんでしょう?」
 知り合いのおじさんにそう言われてから、頭のなかでずっとその言葉がぐるぐると旋回している。「そうだよ」とも「ちがうよ」とも答えられず、けれどその言い分には違和感があって、それが何に対する噛み合わなさなのかがわからなくてもやもやした。たぶんそのときの気持ちを言葉に変換すると、私は腹が立ったのだと思う。女の子に賞味期限をつけることに、それは仕方のないことだと思う自分の気持ちに、そして、“綺麗な瞬間を切り取って残したい”という儚く健気な美談に。もやもやと怒りが揺らいでいて、何も言えなかったんだと思う。

 雑誌を開けばアンチエイジング特集、テレビをつければ24歳の年の差婚、気づかない間に自分よりもうんと年下の女の子たちがアイドルとして活躍し、お茶の間に笑顔を届けている。かつてアイドルだった中年女性たちは、バラエティ番組でオバサン役にまわり「昔はアタシたちも可愛かったのよ。あんたたちだってすぐこうなるのよ」と脅しにかかる。並々ならぬ努力で美を保っているのであろうベテラン女優が「大人の可愛さ、見せてあげる」と、目が笑っていない顔で訴えてくる。なんなんだ、オトナノカワイサっていうおばけなのか、私はアレが怖い。

 大人の女性が「可愛さ」を追求するということにしっくりこない。こういうふうに言うと「いいじゃない、頑張っているんだから」「あんたはオバサンになる怖さがわからないのよ!」とヒステリックに叫ばれそうなのだけど、それを承知で言う。私の一方的な願望で、大人の女性には美しくあってほしい。ゆるふわ、だとか、ガ―リー、だとか、いらないし、それを目指そうと必死にならないでほしい。これ以上年をとることに恐怖を植え付けないでほしい。若さにしがみつかないでほしい。

 年を重ねた男性が「渋さがあっていい」とか「色気があってかっこいい」と言われることがふつうでも、女性に関してはそれが極端に少ない。この間テレビで信じられないくらい美肌の60代女性が出ていて、確かにものすごく若く見えて年齢不詳な感じがするのだけれど、なんだか恐ろしかった。単純に「色気がある女性だわ」とか「なんて気高く美しい」という類のものではなくて、もっと人工的で妖気を感じた。美魔女という言葉通り、人を超越して魔女になってしまう、あの感じ。年をとりたくないと全身で訴えている様子や、年をとることへの恐怖がぶるぶると伝わってきて、感電しそうになった。

 「若いうちの美しさを切り取って残しておこう」という憶測と、「年をとりたくない!」と老いに抗う気持ちは、正反対のようでいて同じだ。根本的に「若いうちしか価値がない」という焦りがある。年を重ねて新しく織りなされていくもろもろのことには目もくれず、失っていくものばかりに執着してしがみつく。きっと私もそうなる。年をとらないためにあらゆる手をつくす。追い込まれて「これってヤバいんじゃない?」というものにまで食いつく。でも、どんなに頑張ったって人間はナマモノだから限界がくる。その事実をどうやって受け入れたらいいんだろう。
 年を重ねることは怖いことじゃない。そう思いたい。白髪が出てこようが、しわだらけになろうが、歯が抜けようが、くしゃくしゃの顔で、酸いも甘いも知り尽くした老女がカメラを向けられて盛大に笑う。ドヤ顔で「どうよあたしの人生」と挑む。そんなおばあちゃんになってやる。