小林リズム<の紙のむだづかい(連載85)

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紙のむだづかい(連載85)
小林リズム

【哲学や言葉すべてを守ります 椎名林檎と世界を救う】

 もとから都合の悪いことはすぐに忘れてしまう私だけれど、お酒に関していうと、それはもう甚だしく都合よく忘れてしまって、ちょくちょく周りの人に叱られる。飽きもせずにそれを繰り返しているから、このところはもう呆れられてしまっている。たとえば翌朝目覚めると、服が脱ぎ散らかした状態で床を演出しているのはもちろんのこと、携帯の発信履歴がすさまじいことになっている。ずっと話していない昔の同級生とか、だいぶ前に辞めたバイト先の人とか、むしろ私のことを登録していないんじゃないかというような人にまでかけていて、私は見なかったことにするために発信履歴を一斉に消す。消したところで事実はどうにもならないと知りながらも、一応消す。
 またあるときは、枕元に細長くクリーム状のものがべったりとついていて、何かと思ったら歯磨き粉だった。歯ブラシはなく、指にもべったりと歯磨き粉がついていたので、手で歯を磨こうとしていたのかもしれない。お風呂に入っていないのに入ったつもりになって頭にバスタオルだけ巻き付けていたり、なぜか自分の両腕がストッキングにくるまれていたり、電子レンジのなかに羊羹が入っていたりして、信じられないことが沢山起こるのだった。

 致命的なほどは酔っぱらっておらず、ほろ酔い加減のいい気持ちのときはきちんと記憶がある(と思う)。記憶があるぶん、思い出すと恥ずかしくて死にたくなる。そういえば、帰り道にひとりで椎名林檎の「幸福論」を熱唱しながら歩いて家まで帰ってきたなぁとか、そしたらイケメンとすれ違ってすごく嫌そうな顔をして目を逸らされたなぁとか、その瞬間なぜだか猛烈に自分はすごく幸福なのかもしれないと思って、「わたしも!哲学や言葉すべてを!守ります!守り通します!幸福です!」と演説みたいにして叫んだなぁとか。ほとんど誰もいない道で街灯と車のライトだけがピカピカしていて、それがぼんやりとした頭には心地よくて、どこまでも気分が良かったのだ。生きてるて素晴らしい!とか、思ってしまったのだ。

 一度盛大に迷惑をかけて「記憶がなくなるって、どういうこと?!」と下戸の友達にキレ気味に聞かれたことがあった。そこには「本当は覚えているのに忘れたふりしてるんでしょう!?」という気持ちがありありと浮かんでいたのだけど、お酒を飲まない人に“酔っ払て記憶をなくすこと”をどうやって説明をすればいいのかわからなかった。でも最近、自分のなかで「酔っ払って記憶をなくすこと」についてものすごくフィットする表現を発見した。それは「昔のビデオテープを10倍速に早送りした感じ」だ。お酒を飲む量と比例して時間が進むスピードもあがり、翌朝目覚めると、早送りをしたように場面場面の細切れの映像しか残っていない。喧嘩をしていた恋人が仲直りをし、と思ったらライバルが出現してお互いすれ違って破局の危機!だったのに、気づいたら結婚式で誓いのキス!みたいにストーリーの展開がバババッと一気に押し寄せてくるから詳細がつかめない。朝起きたらドラマもすっかり終わっていて、脳内は砂嵐で、結局誰と誰がくっついたんだっけ?あれ、ハッピーエンドでよかったんだよね?という曖昧さなのだった。
 といもかくにももう大人なんだし、無茶な飲み方をするのはやめよう。人に迷惑をかけないようにしよう。と、幾度となく心に誓った約束をここに書き記して、今度こそ自分を戒めようと思うのだった。