小林リズムの紙のむだづかい(連載77)

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紙のむだづかい(連載77)
小林リズム

【トイレで食べるご飯が美味しいなんて、そんなことあるわけない】

 「お昼休みにトイレに行くと、個室が全部埋まっていて5分以上出てこないんだよね。たぶんみんな便所飯してるんだと思う」
と弟が言っていたから、そうか、結構な確率でいるんだなぁと思ってジーンときた。

 便所飯。それは、「アイツ、友達いないんだな」と思われないためにトイレの個室でひとりランチをするという最近の若者の行為を指す言葉。トイレでご飯?信じられない!…なんて思う人もいるはずだけど、でもこの気持ち、わかるんだよなぁ…。
 カフェなら一人でよく行く。牛丼屋もカラオケもひとりで行ける。でも、焼肉屋とかディズニーランドはちょっとハードルが高い。この絶妙な違い。きっと焼肉屋ならみんなでお酒でも飲みながらワイワイと盛り上がっている人たちがいるだろうし、ディズニーランドはそれに加えてカップルまでいるから、おひとりさまで出陣するのには気が引けてしまうのだ。「誰もアナタのことなんて見てないから」と言われるのがわかっていても、どうしても自意識が邪魔をしてしまって、その空間内ではひとりでいられない。ひとりでご飯を食べようと思えばそんなことは簡単にできるはずなのに。

 ちょっと違うかもしれないけれど、俵万智さんの作品に「缶ビールなんかじゃ酔えない夜のなか一人は寂しい二人は苦しい」という短歌がある。私はこの胸を突き刺すような切ない響きにときめいたのだけど、それはやっぱり共鳴する部分があったからだと思う。誰かと一緒にいることで、わずらわしさや苦しさはつくられる。ひとりでは平気なことが、そこに人がいるだけで平気でなくなる。
 寂しさも同じかもしれない。ひとりでいるときに寂しさが波のように襲ってくることはあるけれど、それって寂しいというよりは、寂しむことを楽しんでいるふしもある。それに比べて誰かといるときの寂しさってもっと強烈なものがある。同じ空間にいるのにわかりあえなかったり、故意ではなくてもないがしろにされてしまったりすると、寂しさに酔っている場合ではなくなって、もっとずっと惨めで悲しくなる。

 そんなこんなで、今日も誰かがトイレでランチを済ませている。惨めにならないために。「カワイソウ…」だと思われないために。自意識過剰なのも被害妄想なのも、わかっていながら。学食で不安を食べるより、トイレで安心を食べる。私はそれをどうしても「信じられなーい!」とは思えないのだった。