清水・ドストエフスキーゼミ 第三回課題「マルメラードフの告白」を読んで


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四六判並製160頁 定価1200円+税

清水・ドストエフスキーゼミ 第三回課題「マルメラードフの告白」を読んで


 マルメラードフという人間が存在したわけ


冬室 祐人 

私はこのマルメラードフという人間をわかりたくもないし、理解したくもない。そもそも理解できないのはこの「罪と罰」が1861年帝政ロシア農奴解放後を時代背景に設定しているからだと思う。このころのロシアはクリミア戦争に負け、南下政策に失敗している。これは高校の世界史の先生が述べていたのだが、「ロシアという国の地理的位置をよく考えて見てください。この国は農業国であり陸軍国であるのですが、イギリスやフランスに対抗するためには海軍の増強が必要です。しかしロシアは周りが北の海に囲まれていて貿易もできず海軍の展開などできません。特に冬になると海は凍り、港は使えなくなるのです。そのためになんとしても南下政策をし、港と海軍の補強をしなければならないのです。だから現在でもロシアは日本の北方領土を手放さないのですよ。」これを聞いたとき、私はあれだけの国力がある国がそこまでして成功させたかった南下政策、そしてロシアの貧しさを初めて実感した。
 マルメラードフが登場して後の会話の長さ(その後のロージャの母の手紙の方が長いのだが)には驚いた。しかし読んでいてものすごくいやな気持ちになったが、とても現実的な内容であった。貧しい国ロシア、国民の犠牲の上に成り立っている典型的な国。「ヴォルガの船曳きたち」をみればすぐにわかるだろう。おそらくあの酒場に出てくる脇役を含める登場人物はみな貧しい生活を強いられていたのだろう。だからマルメラードフのような酒におぼれ、自分を含めた家族全員が不幸のどん底に堕ちるのもわかる。しかしなぜそこまでに家族に対しての愛を初めて会った、しかも見ず知らずの他人であるラスコーニコフに語るのだろう。私にはそこが理解できないが、しかし逆に考えるとそこまで堕ちれば誰かに打ち明けたのかったのかもしれない。私もちょっとしたことで他人に相談することがある。この時代に生きていて、しかも職もなければもちろん金もない、家には病で苦しんでいる嫁がいて、腹を空かして泣いている子供たちもいる。自分がふがいないせいか娘は体を売りに行く。こんなことがあれば(そのうち大半はマルメラードフが原因なのだが)誰かに愚痴をこぼすのも当然だ。しかも酔っていればなおさらだ。
 マルメラードフの台詞の中にはカチェリーナは寛大な女だと述べているが、私は読んでいるうちはそうは思えなかった。髪の毛を抜きちぎり、殴り、蹴るなどをすること女を寛大とは思えなかった。けれどこれを自分に置き換えて想像すると、きっと自分はこんな男が
自分の家族だったら見捨てるどころか殺してしまうかもしれない。これについてカチェリーナはすごいと思うが、決して寛大だとは思えない。しかも私はカチェリーナという女性はきっと病で心も病んでいて短気で今で言うヒステリー症候群の女だと思っていた。しかし体を売りに行き、帰ってきた後のソーニャは誰とも口をきかなかったのだがカチェリーナがソーニャの寝台に行き、彼女もまた一言もものを言わずに一晩中添い寝をした。この部分を読んだ瞬間このカチェリーナという女性は決して家族を嫌っているわけではないのだと感じた。それどころか娘に対してもうしわけなさでいっぱいなのだろう、普通の親であれば実の娘が体を売るなどと言ったら、大惨事になるだろう。しかしこの家族はそうでもしないと生きていけないのだ。それが生生しく感じる。
 実は不思議に感じていたのは、この最早アル中であるマルメラードフが家族に対して暴力を振らないところである。酒で溺れる奴は大体、暴力にでる。これは現代でよく見ることだ。この男を最低の人間に仕立て上げたいなら暴力をさせるべきだが、それがない。それどころかマルメラードフは自分の行為を恥、自分の醜さと浅ましさをよく理解している。妻にはもうしわけなく思っている、だからカチェリーナからの暴力を受け入れており、売春婦の娘に感謝しつつもそんな娘の行いを恥ずかしく思っている。そんな現状を変えたくても変えられない。変えたくても酒を飲むことで自分の現状に背を向け逃げている。けれどもなぜか憎めなくなった、それはこのマルメラードフという人間が弱く、とても弱い人間に見えてしまうからなのだろう。これで暴力をふっていたら見捨てるだろう。
 しかし最後の最後でこのマラメラードフが狂っていると思ってしまった。それはカチェリーナに髪の毛を引っ張られながら、これは私にとっては快楽なのだと述べるところだ。本当は妻の暴力が恐ろしいはずなのに、それを快楽と述べた瞬間この人間はもう壊れてしまっているのだろうと感じた。この男はこの時代における犠牲者の一人なのだろうが、私はこの男の人間味には感心するがあり方は決して理解したくない。




 若き日のマルメラードフ

齊藤瑛研


「僕の事は放っておいてくれ!」
 青年マルメラードフは狂気を含んだ声でそう叫ぶと、見えない鎖を振り払うかのように両腕をばたばたと振り回して家を飛び出した。
マルメラードフは頭がおかしかった。というよりは、他人と関わってはいけない人間だった。もう少し言及すれば、社会に決して存在してはいけない人間だった。確かに、マルメラードフは街中の路地に溢れる恥知らずの乞食供よりは、社会的地位は上かも知れない。頭に血がのぼりやすい低賃金のブルーカラーよりは、まともに頭がはたらくかも知れない。しかし、彼が社会に出てきてはいけない人間であるという事は間違いない。なぜなら、彼のその性根は矯正不可能なほどに腐っており、どんなに徳の高い人間、いや、神でさえ見放してしまうほどに醜くねじ曲がっているからだ。これは決して後天的なものではなく、先天的な彼の人間としての欠陥だ。彼のためにも社会のためにも、彼を最初に受け取った助産師が、その醜悪な心を持つ赤ん坊を窓から放り投げた方がどんなに良かっただろうか。しかし、残念な事にその赤ん坊は、ぬくぬくと育ち、大病にもかからず、ついに成人までしてしまったのだ。これぞまさに最高の皮肉、最高の喜劇だ。だが現実にこんな事が起きてしまっては、誰の口角も上がる事はないだろう。そう、彼も同じように。
家を飛び出したマルメラードフは、そのやせ細った体が許す限り走った。息を切らして座り込んだその場所は、この街の乞食達が好んで集まる狭く細い路地だった。マルメラードフは周囲の乞食達に対する根拠の無い優越感に浸りながら、あたかも自分に言い聞かせるように支離滅裂な演説を始めた。
「おい、よく聞け乞食供。僕は決して無能なんかじゃないんだ。この世界で全力を注ぐだけの価値があるものをまだ見いだせないだけなんだ。僕は頭が良い、やろうと思えばすぐにでも大きな偉業を成し遂げる事ができるはずさ。きっとそうさ! 父さんも母さんも、まだ僕という人間を分かっていないんだ。僕にはつまらない役人になって一生を終えるつもりなんてない。僕はそんなもんじゃないんだ。きっと、そうなんだよ。」 
感情に任せて、その生産性の無い演説を始めたマルメラードフは、だんだんと自分でも、言いたい事がわからなくなってきて、ついには黙り込んでしまった。そして再び、その哀れな青年は自らの体が許す限り、自分の居場所を求めて走り出していくのであった。
そんな事の繰り返しが、マルメラードフの青春だった。青春と呼ぶにはあまりにも哀れで醜いが、それが彼の青春の全てだった。そんな彼も、だんだんと変わってきた。自分の愚かさを理解できるようになったのだ。自分がどれだけ取るに足らない人間か、しっかりと理解できるようになったのだ。しかし、それは決して進歩ではなかった。何故なら、彼は普通の人間が持つ感情を持ち合わせてはいないからだ。いや、そう言うと少し語弊があるが、まあとにかく彼は卑屈すぎたのだ。自分の愚かさ、無能さが理解できても、彼はそれを良しとした。それを克服しようとは思わなかった。いや、思えなかったのだ。しかし、いくら彼でも、そんな自分に嫌悪感を抱かないほど心が壊れているわけではなかった。だからこそ彼は、どんどんと泥沼のような感情に飲み込まれていってしまったのだ。




川上真紀

酒場でマルメラードフは、ラスコーリニコフに自分の家族について告白した。マルメラードフは、家族への屈折した愛情を述べていたが、私はこの時のマルメラードフと家族との関係について考えてみたいと思う。
本文中では、マルメラードフは後妻カチェリーナに髪の毛をつかまれ、引きずり回されたと述べられているが、後妻との関係が悪いわけではないと私は考えている。
マルメラードフはカチェリーナを心の広い女と称している。マルメラードフの告白が始まった時点での私のカチェリーナのイメージは怒りっぽくて短気な女性であり、これは本文中からも読み取れる。私は、カチェリーナが心の広い女性だとは考えられなかったので、このまま、カチェリーナのイメージは変わらないと思っていたが、ある出来事を境に大きく変わることになる。それがカチェリーナのソーニャとのエピソードである。体を売りにいったと思われるソーニャは、家に帰ってきた後、誰とも一言も口をきかなかった。そんなソーニャに、カチェリーナは一晩中寄り添っていた。言葉を交わした描写は無かったが、沈黙が二人の感情を生々しく表現していると感じた。私は、この出来事からカチェリーナの人柄が表れていると感じた。普段、夫や子供につらくあたっているが、その実、誰よりも深く家族を想っているのではないだろうか。
マルメラードフは、カチェリーナのそのような一面を初めから理解した上で、心の広い女と称しているのだろう。そう考えると、家族の繋がりの深さを改めて感じさせられたような気持ちだった。家族の繋がりの深さと言うと少し大げさに聞こえるかもしれないが、これを自分の家族にあてはめて考えてみると、一番しっくりとくる表現だと私は考えている。
マルメラードフの告白は、カチェリーナに関する話題が多いが、ソーニャについてもいくつか述べられている。マルメラードフは、ソーニャを口答えしない子と称している。これは、本文を読んでいる間、一貫としており、ソーニャは優しい女性として描かれている。マルメラードフの告白からもソーニャに対する肉親としての限りない愛情が読み取れる。
このように、家族との関係はそれほど悪くないように思われるマルメラードフだが、彼自身は失業により困窮した生活の中で、家族への愛情の他に、屈折した感情も抱いていた。マルメラードフは家族を愛しながらも、側を離れ、酒場で酒浸りの生活を送っていた。マルメラードフは、酒を飲むのはカチェリーナの肺病の苦しみを酒の中に見出すためだと述べているが、彼はラスコーリニコフと共に自分の家に向かう途中にこんなことも述べている。「子どもたちの泣き声もこわい……なぜって、もしソーニャがめんどうを見てくれなかったら、いったいどうなってることやらわからないんですから!」この文章を読むと、カチェリーナやソーニャだけでなく、他の三人の子どもたちにも負い目を感じているようにも読み取れる。マルメラードフの告白の中では、カチェリーナやソーニャばかりが出てきているという印象があったが、三人の子どもたちにもちゃんと愛情を持っていることがわかり、少しほっとした。
だが、私には一つわからない点がある。それは、なぜマルメラードフが今の職を捨ててしまったのかということだ。このまま働けば、家族を困窮させることもなく、安定した生活を送ることができたのに、彼はそれを自分から捨ててしまった。マルメラードフが役所に再就職して最初に得た給料はほぼ全て酒代に消えてしまい、彼は現在、自堕落な生活を送っている。この様子を見ていると、私はマルメラードフが自分から不幸に飛び込んでいるように思えてならない。だが、なぜ自分から不幸に飛び込まなければならないのか。やはり、家族への負い目が原因なのだろうか。しかし、もしそうだとしたら、これ以上家族を巻き込む必要があるのか。様々な疑問が胸をかすめるが、詳しい説明は本文中で述べられておらず、私はマルメラードフが家族に屈折した愛情を抱いているということ以外に彼の胸中を読み取ることができなかった。
マルメラードフの告白は、何を言っているのか全くわからないということは無かったが、登場人物の具体的な心情は少しぼかされているように感じた。そして、登場人物の心情が知りたくて何回も読むうちに、思考の深みにはまってしまった。私は、人によって様々な解釈ができるマルメラードフの告白は魅力的な文章だと感じた。



小林一歩

私はかわいそうという言葉が嫌いだ。この言葉には同情心が欠けている。見下しているとまではいかないにしても、こいつと比べればまだ自分の方が救われている、という気持ちがなければ出てこない。意識的にせよ無意識的にせよ見下しているように感じる。憐れみの言葉だ。
 しかしそれを踏まえたうえで言う。マルメラードフはかわいそうな奴だ。おまけに、自らそう言われることを望んでいる。思うに、マルメラードフは不幸になりたいのだ。彼の一連の行動を見てみると、周囲の人々から「不幸だ」とか「かわいそう」と言われるような状況に率先して自分を追い込んでいるように感じる。せっかく与えてもらった仕事を放り出して酒に走るような人間が、幸せな生活や温かい家庭を第一に望んでいるとはとても思えない。とはいえ、マルメラードフも一家の大黒柱だ。妻や子供のことを大切に思っていないわけではないのだろう。だからこそイワン・アファナーシヴィチ閣下の元へとわざわざ出向き、許しを乞うたのだ。そしてその結果、マルメラードフは許しを得、職を手に入れた。当然のことではあるが、働けばお金がもらえるし、お金があれば生活が豊かになる。もう襤褸を着なくてすむし、毎日満足のいく食事をすることも可能だ。家庭に笑顔が戻る。マルメラドーフも一時はそれを望んだのだろう。しかし、一番ではなかった。彼には自分や家族の安泰
よりも優先したい何かがあったのだ。それは怠惰だ。きっとマルメラドーフは、勤勉に働き周囲から丁寧に扱われるよりも、家畜のようにごろごろして、悪口ばかり聞かされているほうがずっと楽だったのだろう。その一点を決めるのに、家族や給料のことなどは関係ない。ただ自分にはどういう生活が性にあうのか否かを知っているだけならば、誰にも迷惑はかからないからだ。問題なのは、行動に移してしまった場合だ。マルメラドーフもきっと、最初のうちは辛抱したのだろう。彼は自分がどうすれば家族が幸せに暮らしていけるのか十分承知していたに違いない。だから必死になって自分の心を抑え込んだ。しかし、緊張の糸はある日突然ぷつんと切れる。そこであの行動だ。周囲からすれば理解不能と言われても仕方のないマルメラードフだが、それでも彼なりのタイミングのようなものがあったのだと思う。我慢の限界というのは、いつ来るのか自分でもわからないことが多い。
 さて。マルメラードフが妻のカチェリーナに髪の毛を引っ張られながら「これも快楽だ!」というシーンがある。マルメラードフの怠惰が罪だとすると、カチェリーナの暴力は罰だ。マルメラドーフは罰を受けることによって、より自分の罪を確かなものにしようとしているのではないだろうか。あるいは、マルメラドーフは筋金入りのマゾヒストなのかもしれない。彼が怠惰に浸かっていたがっているのは単なる私の思い込みで、全ては苦しい、痛い思いをするためにやったことなのではないだろうか。どちらの可能性も捨てきれない。ただ共通して言えるのは、彼には上昇志向というものがほとんどないということだ。そういえば、話の冒頭で、マルメラドーフはラスコリーニフに向かってこんなことを言っていた。

“「それはそうと、学生さん、あなたにはできますかな……いや、もっと単刀直入に言わせてもらえば、できますかな、じゃなくて、勇気をおもちですかな――いまこの場で、私の顔を見ながら、お前は豚じゃない、と断言なさる勇気を?」”(上巻p.35)

 これを聞かれたラスコリーニフは何も答えなかった。私自身、この時点では何とも言えないと思ったのだが、今考え直してみると新しい答えが見えてくる。マルメラードフは豚だ。もっとも、彼が本当に問いたかったのはそういうことではないのだろうが、豚か豚でないかといえば、やはり彼は豚なのだ。怠惰をむさぼり、妻に暴力を振るわれて喜ぶ姿は家畜にしか見えない。
 私は最初、彼が不幸になりたがっているように見えるといったが、少しだけ訂正しようと思う。マルメラドーフは家畜になりたがっている。

後藤舜

マルメラードフは私小説でも書けば大成できたのではないかと、ふと考えた。ぐだぐだに酔っ払いながらもラスコーリニコフに語り始める彼の身の上話は、私小説的な魅力を多分に含んでいたと思う。
 マルメラードフは同情や憐れみを求めているわけではない。カチェリーナからの暴力を指してあれがないとやっていけないと言ったり、貧乏のどん底の中でやっとありついた働き口を自分から捨ててしまったり、むしろ彼は自分をどんどん惨めなほうへと追い込んでいっている。
 彼の行動は傍目には非常に奇妙なものに見える。仮に酒飲みの悪癖はどうにもならないものだとしても、新しい仕事を放棄してしまうとは一体どういうことなのか。私にはいくら考えても判然とは理解できそうもなかったが、先程の私小説という言葉を思いついた時、ぼんやりと彼のどうしようもなさに思い至った気がした。
カチェリーナと結婚した当初、彼は酒を絶っていたという。酒瓶には指一本も触れなかったとラスコーリニコフに語っている。それは裏返せば、彼は自分自身酒に手を出すべきではないという自覚があったということだろう。その酒癖の悪さは、後にも自分で語ったとおり、全てを呑んでしまわなければいられないような激しいものであった。けれど、彼は一方で自らの酒癖を恥じているようなそぶりも見せる。彼は大げさな身振り手振りで娘と嫁の哀れを訴え、それと対比させるように自分の醜態を明晰に曝け出す。しかし、いっかなそのおこないを改めようとしない。悔いるだけは誰より悔いて見せるのに、一向に行動が伴わない。
普通に考えて、これは改めないのではなく改められないのだろう。いくら頭で判っていても、いちど堕落してしまった性根がもうどうにもならなくなってしまった、というのが実際なのかもしれない。けれど、もし彼が意識的にそうしていたら面白いと、ふと考えついた。そういった生き方は私が好んで読むジャンルである私小説の作者たちにしばしば見られるものだと思うからだ。
偉そうに語れるほど私も詳しい訳ではないのだが、一般に私小説作家はネタがないと言われる。日常のどうでもいいようなことをいくら書いても身辺雑記の紙屑にしかならないから、自分の人生のうち最も鮮やかで味がある一幕をいつまでも細かく書き接いでいく。けれど、そのような一幕が必ず誰にでも訪れるわけではない。だから、一部の肚の座った作家は自らをどんどん悲惨な方へ、破滅的な方へと追いやっていく。
例えば、それこそラスコーリニコフの屋根裏のようなタコ部屋で食用の臓物を一日中さばき続けるだけの生活をしたり、他人の女を寝とっておいてそれを作品にし、いざ出来上がったらさようなら、などということを平気でやったりする。いや、平気ではないのかもしれないが、それでも自らを徹底的に修羅場へと追い込んで、そうしてそこに取り残される自分とその環境へ透徹とした観察眼を向け続ける。何故なら、それが彼らにとって一番の美味しいネタであるからだ。そして、私はこういった種の捨て身な自己観察の精神をマルメラードフが持っていたのではないかと思うのだ。
家では癇の強い嫁が自分を邪険にし、仕事の先は理不尽に奪われ、そういった生活下で彼は自分を観察して、それを嘲るなり憐れむなりでどうにか僅かな慰みを得ていたのではないだろうか。人間として限界の生活を続けるなかで、彼はこよなく家族を愛する父であると同時に、どうしようもなく人生に失敗してしまった男としての自分に陶酔していたのではないか。そう考えると、彼の不可解な行動のいちいちも一応の理解は出来るように思えてくる。
 総じて、私はマルメラードフという男が好きである。情けない、などということばでは括りきれないほど碌でもない彼は、確かに当時のロシアの世情に翻弄された人間の一人であったのだろうが、それでもやはり情けない奴は情けない奴である。けれど、その情けなさに慰められる人間も確かにいる。この「罪と罰」という長い物語のなかで、マルメラードフという情けない男がどういう意味を持っていたのか、それを私なりに見極めることが、今この小説を読む一番の原動力となっている。


藤賀怜子 

まず私がこの酒場での出来事に関する意見を端的に答えよと問われたとするならば、マルメラードフは哀れな人間だ、と述べるだろう。
そのシーンでマルメラードフは見ず知らずのラスコーリニコフに自虐話を一方的に持ち掛け、その話を幾度となく聞かされている酒場の酔っ払い連中に煽らせて、あたかも自らを悲劇の主人公かに見せ掛けていた。そうして人の関心を向かせようなどとする愚かな人間なのだとそう思わざるを得ないからだ。酒に酔っていて理性も何もないだろうが、そうであったとしても自らの失態を打ち明け更に家庭の内情を赤裸々に語るマルメラードフの行動はどうしても理解できない。特に娘のソーニャが売春婦をしているという話は、できることなら隠しておきたいと常識的には思うだろう。しかしマルメラードフは隠すどころかの娘の稼ぎが少ないことや学がないことまで曝け出したのだ。
一八〇〇年代のロシアの一般的な生活は分からないが、普通の親なら娘に黄色い鑑札を掛けさせたりはしないだろう。娘に教育をまるで受けさせずあげく売春婦として働きに出す、マルメラードフの最初の罪はもしかするとこのことかもしれない。いや、そうに違いない。彼は自らの口でソーニャに売春婦として働きに出ろと言ったことはないのかもしれない。ただ、ソーニャが働かざるを得ない状況を作りあげたことが罪になったのだ。マルメラードフは稼ぎに出掛け帰ってきたのちのソーニャの様子を『そのあいだ一言も口をきこうとしないどころか、顔をあげもせんのです。ただ、うちで使っているドラデダム織の大きな緑色のショールを取って(うちにはみなで使っているそういうショールがあるんですよ、ドラデダム織のが)、それで頭と顔をすっぽり包むと、顔を壁のほうに向けて寝台に横になってしまった。ただ肩と体がのべつびくん、びくんとふるえていましたがね……』と描写している。家族にあれほどの仕打ちをしている者がそんなことを言ったって説得力に欠けるが、それでもやはり心のどこかで負い目を感じているのだろう。
先に私はマルメラードフを哀れな人間だと述べたが、私のマルメラードフに対する第一印象は前述とは異なる。彼のラスコーリニコフに対する第一声は「失礼だが、あなた、ひとつ見込まれたと思って、話相手になってくださらんか?(以下略)」といかにも官吏らしいものものしい話しぶりであった。その発言を読んで傲慢ではあるがまともな人なのかと思ってしまった。確かに身だしなみに関する記述はお世辞にも良いとは言えないものだったが、その口調は感じの悪いものではなかったのが大きな要因と言えよう。
 本文には『酒場にいたほかの連中――亭主もそうだが――を見る官吏の目には、なれっこになってもうあきあきしたとでもいわんばかりの、いや、それと同時に、身分も教養も低くて話にならぬ連中を見るときのような、一種傲慢な軽蔑の色がうかがえた。』と、ラスコーリニコフから見たマルメラードフの第一印象が書かれている。しかし実際は本文で後述されていたようにこの酒場の常連で見も知らぬ人間を相手にくだをまく習慣はむしろ酒場の亭主やボーイ、あるいがほかの連中からあきあきされていたに違いない。そうやって人を見下しているようで見下されていたことを、マルメラードフ本人は気付いていたはずだ。だとしたらなぜやめなかったのか。彼の性格を考慮するとすぐにやめるかまたは二度とその酒場には訪れなくなるものだろう。それでも話すことをやめなかったのは(酒のせいでもあるだろうが)自らの罪を償いに行く勇気がほしかったのではないか。最後に決心してカチェリーナのもとへ向かったのは、自らの罪とようやく向き合い罰を受けるためだったのだと考える。マルメラードフが『教育もあり、名門の出で、育ちも違うあの家内』と言っていたように、カチェリーナは不釣合いだったのかもしれない。しかしマルメラードフのような人間が罪の大きさに相応する罰を受けるにはあれくらいヒステリックで気位の高い女性は丁度よかったとも言えるだろう。
その一部始終を正視したラスコーリニコフがどのように変わっていくのか、これから読み進めていく所存である。


                                       
加藤佳子

彼への第一印象は父親として最低な人。読んでいて、私の父親は短期で理不尽で少々横暴な人だけど、私や母、そして祖母を、家族を大切にしてくれていることは理解している。
マルメラードフが家族を大切にしていないわけではないだろう。だが、本当に家族のことを想っているのなら、勝手に仕事はやめないだろうし、娘が体を売ってまで稼いできたお金を酒に費やさないだろう。とにかく、今の私にはマルメラードフがとるこれらの行動を理解することはできない。
ラスコーリニコフと出会った場所、つまりは彼の初登場の場所――酒場。楽しむためでなく、悲しみを探すために酒を飲んでいると言った彼。しかもその酒代は娘が与えたなけなしのお金。何より私が一番頭に来たのが、彼が自分自身の取っている行動を自覚しているということだ。無意識であったらまた問題だが、自覚しており、かつその行動が悪いということを理解しているということが、私が彼を嫌う一番の理由だ。再び仕事をもらえ(しかも給料が良い)、普通の人ならそう得られぬチャンスを彼は手にしたというのに。仕事をもらえたと妻に告白した時、初めての給料を妻のカチェリーナに渡した時、彼女がどれほど喜んだかその目で見ていたというのに。一度は仕事を真面目にすると決意し、 水商売をしている娘を家に戻せるのではと考えているのに。根っから悪い人ではなく、家族を大切にしたいという気持ちがあるのに、何故なのだろうか。私はマルメラードフが分からない。欲が強くなりすぎたのだろうか。突然降ってきた幸福に酔い潰れてしまったのだろうか。与えられた幸福に、これなら少し楽をしてもいいだろうと、怠惰な心が増幅してしまったのだろうか。
マルメラードフは罰せられることを望んでいた。もし、あの時ラスコーリニコフが、いや、彼でなくとも彼を糾弾できるほどの心を持った者が彼の前に現れたのなら、彼の人生は変わっていたのだろうか。マルメラードフはラスコーリニコフ一人に聞こえるようにではなく、わざわざその場にいた者全員に聞こえる声量で話した。酒が回っていたこともあるのだろうが、ラスコーリニコフだけが聞くことを望んではいなかったのではないだろうか。それは何故なのだろうか。一人でも多くの人に聞いてもらい、自分を非難し糾弾し、憐れんでもらいたかったのだろうか。
私はマルメラードフという人間性がいまいち理解ができない。自身のしている行いが他者から憐れまれるようなものだと分かっていながら、続けるその心が。麻薬やたばこのような中毒性が含まれているのだろうか。その毒にやられ、一種の依存性に陥ってしまったのだろうか。もし、断ち切れるものがあったとしたならば、それは一体何なのであったのだろうか。ラスコーリニコフがあの時、「おまえは豚だ」と言えばよかったのか。それとも「いまえは豚じゃない」と言えればよかったのだろうか。カチェリーナが体たらくな夫をもっと避難すればよかったのか、ソーネチカが怠惰な父にお金を渡さなければよかったのか、家族で話し合いの場を持つべきであったのか、あの酒場にいた誰かがマルメラ ードフを叱責すればよかったのか。私には分からない。どれがマルメラードフにとって、また彼の家族に最適な答えなのか。
マルメラードフの告白の場面を読み直して思うのは、彼は救いを求めていたのではないかということ。自らの罪を大勢の前で告白し罵られることを望んでいた。もう一度、家族のために働きたいと願えたあの頃の自分に戻りたいと心のどこかで思っていたのではないだろうか。そしてなにより、ラスコーリニコフに声をかけたのは、教養があり、自分と似通った闇を抱える彼に話すことで、マルメラードフは自分と同じ立ち位置――この場合は自分と似た種の人間と言うべきか――の者からの断罪を望んでいたのではないか。自らを罰せることができない彼にとって、かぎりなく自分に近い者から罰せられたいと考えていたのではないかと思う。
この告白を読んで、マルメラードフが良い人と思える人は少ないだろう。しかし、私はどうしてもマルメラードフを尊敬、というよりは嫌いになれない点があった。それがこの「マルメラードフの告白」ということだ。私は自分の非を認めても、それを他人に話すことは、恐ろしくてできない。それをマルメラードフはやっている。それははたして勇気と称賛できるものなのかと言われれば、また違ってくるのだろうが、私はこのマルメラードフの行動は素直に凄いなと思えた。話の内容は最低にあることは変わらないが。
例えば私がこの先、かぎりなく幸せななにかを得られ、自分がそれに甘え、怠けることを望んだ時、マルメラードフという人間について少しは共感できるのだろうか。あまり理解したいとは思えないが、今の私には彼のことは謎だらけすぎる、不可解な存在なだけに、彼のことを知りたいという気持ちもこの文を書いていて芽生えてきた。


自分の不幸は笑い話。
加藤 芙奈

「なあ、おい。お前、罪と罰は読んだことがあるか? 1800年代のロシア文学作品」
 唐突な問いかけだった。僕は今しがたまで読んでいた漫画から顔を上げる。すると、問いかけの主の女は何を考えているのかわからないような無表情で僕を見ていた。
 そんな彼女に僕は半開きの目を向ける。何を言い出すのか、と無言のまま視線だけで受け答えた。
「……うん。愚問だったな」
 ひょい、と肩をすくめる彼女にため息を吐く。そうとも、愚問だ。愚問極まりない。何故なら、僕は漫画しか読まないからだ。本と書いて睡眠導入剤と読むと信じてやまない。それが僕だと彼女も分かっているはずだ。何せ、生まれてこの方ずっと一緒なのだから。全く、何故双子に生まれてしまったのだろう。
「どうせ、ドストエフスキーのドの字も知らんだろうな」
 鏡に映したかのような僕と同じ顔が呆れに歪む。何故だろう。他人にこんな顔をされても屁とも思わないが、同じ顔からされると妙に苛立たしく思える。
「それは何の呪文だ」
「人名だ」
 僕の片割れは素っ気なく答えた。外国の名前は面倒だな、というのが僕の感想だ。まあ、昨今の日本が言えた義理ではないが。
「で、それがどうした?」
 僕は漫画に指を挟んで栞代わりにし、ページを閉じた。常に黙々と読書に勤しむ文学少女である彼女がわざわざ自分から話を振ってくるのはそれなりに珍しい。
 僕が話を続けるように促すと片割れは少しだけ笑った。
「その小説に面白い登場人物がいる」
 その笑みに当てはまる形容詞は「にやり」だ。まあ詰まる所、非常に悪役じみた顔をしている。自分とそっくりな顔がここまで悪役面をしていると、しかもそれが似合ってしまっているのを目の当たりにすると少し凹んだ。
「……お前の面白いは禄でもないのが常だ」
「失礼な。私の趣味が悪いように聞こえる」
 聞こえるのではない。現にそう言っている。
 しかし、彼女はそこが論点ではないと気付いたのか、その面白い登場人物について語り出した。
マルメラードフという男だ。役人なんだが、酒場で飲んだくれていたところ、主人公のラスコーリニコフと出会う。というか絡む」
 とりあえず、現時点で分かるのはどいつもこいつも名前が覚えにくい。
「で、そのマルメラードフは自分が畜生だと言うんだ。まあ実際そうだ。なかなか素晴らしいダメ男だ。胸焼けがするくらいに」
 褒めるか貶すかどっちかにしないか。
「いや、本当に清々しい駄目な奴なんだ。そもそも、彼は役人なんだからそれなりの収入があっていい筈だ。しかし、定員改正の煽りで失業する。ここに彼の非は無い訳だが、彼と彼の家族はたちまち貧乏人だ」
 まあ、現代でもよくある話だ。不景気、リストラ、路頭に迷う失業者。今も昔もそこは変わらないらしい。
「まあ、マルメラードフはダメ男だからな。再就職そっちのけで飲んだくれる」
 本当に駄目だな。現代にもいるであろう駄目親父と同じだ。そして、いつか家庭内暴力が始まる。
 そんな僕の内心を読み取ったかのように彼女は付け加えた。
「この男は心底家族を愛していた。暴力なんて振るわない。むしろ、振るわれてそれを受け入れている口だ」
 ……凄まじい家庭環境だ。というより家族を想うなら再就職しないか、マルなんとかさん。
「まあ、何とか再就職するんだが今度は自分の責任で失業する」
 本当に駄目な奴だ! そう思ったのが思い切り顔に出ていたのか、彼女は意地の悪い笑みを浮かべ、くつくつと笑った。
「それだけじゃないぞ。またもや収入口を失った一家は財政難に立たされ、継母の八つ当たりを受けた長女が身を売って金を稼ぐようになるんだ。そしてマルメラードフはその金で酒を飲む、と」
 僕は思わず顔をしかめた。片割れよ、これのどこが面白い登場人物なんだ。不愉快極まりないのだが。
「その上、妻の持ち物も換金して飲む。飲めば飲むほど家族の苦労を感じることができるらしい」
 いや、それはただの言い訳だ。言い訳にもならない戯言だ。とにかく飲みたいだけの飲んだくれにしか聞こえないぞ、マル何とかさん。
「かくして、娘は世間体の問題上家族との別居を余儀なくされた。だが、健気なものでね。昼間に帰ってきては家の手伝いをするんだ」
 名も知らぬ長女よ、もう見切りを付けるべきだ。
「しかし、マルメラードフにもまだ運が残っていた。再び就職したのだ」
 おお! と僕は目を見開いた。やるじゃないか、マルさん。やればできる男だったか。
 彼女はくすくすと目を細めた。
「いやぁ、そうなると妻の対応が手のひら返しになってな! 除け者扱いだったのが、きちんと一黒柱として扱われる! 給料なんて持って帰ってみれば、べた褒めの嵐だ。世の中金だと見せつけられたね」
 興味深そうに何度も頷く片割れの感性はさて置き、僕は彼女の目の奥の光を見逃さなかった。これはまだ何か残っていると予感させるような光だ。
マルメラードフはな、その給料をこっそり持ち出して飲んでしまったんだ! それから五日間、主人公に絡むまでホームレス状態だったのさ」
 面白かっただろう、と同意を求める片割れ。僕は眉間にしわを寄せた。やはり、双子といえど感性は全くの別物だ。というより、この片割れと共感できることは稀だ。どうにも考えが交わらない。
「飲んだくれ駄目親父の話のどこに面白味があったんだ」
「飲んだくれ駄目親父だから面白いんだ。なあ、マルメラードフはどうしてこんな自分の恥を晒すようなことを他人に語ったんだと思う?」
 知らない、知りたくない、どうでもいい。身勝手極まりない親父の心境を察してやる気分にはなれない。
 そんな憮然とした顔の僕に生真面目な顔で向かい合いながら彼女は言った。
「自分の不幸は、行くところまで行くと他人ごとに聞こえてくるんだろうな。自分のことなのに、自分は第三者の視点に居ると思えてきてしまう。そんな自分であって自分でない者の姿が滑稽で、笑い話にしたくなるんだろうと私は思う」
 それが面白い、と彼女は言った。
「……そうか、よく分かった」
 僕はすいっと彼女から目を背けた。
「やっぱりお前は悪趣味な上に性格が悪い」
 そう言って僕が再び漫画を開くと彼女は、
「お前は平平凡凡で人間的な面白味が薄い」
 と言ってのけた。やはり、僕らは顔しか似ていないようだ。
 なんてことのない日のちょっとした話である。


河内智美

 さらっと一読しただけではマルメラードフはただの頭のおかしい飲んだくれで、女性の地位が高くない時代に妻や娘など周りの女性を巻き込み貧乏のどん底に一緒になって沈んでいく最低な男だ。確かにそれは事実なのだが、よく読むと飲んだくれの夫や父親の典型的なパターンとして物語や小説の中に登場する人物とマルメラードフは少し違っているように感じた。それは、だいたい飲んだくれの男として登場する人物は自暴自棄になり、家庭で女子供に暴力を振るい狂ったように暴れまわるように書かれている事が多いのだが、マルメラードフは妻や娘に対する愛情が深く、暴力を振るうどころか尊敬し崇拝に近い感情を抱いているように思った。では、なぜそれほど家族を愛しているマルメラードフが生活費
に事欠くくらい飲んだくれてしまうのか、私なりに考えてみた。
 娘のソーニャが黄色い鑑札を持つはめになって、マルメラードフがイワン・アファナーシエヴィチに頼み込んで職にありつけた時、最初の給料日まではマルメラードフは酒も飲まずに真面目に勤めを果たしていた。しかし、給料日のその夜にはもう盗むように金を持ち出して服も取られソーニャにせびってまで酒に使い果たしてしまった。普通に読んでいたらマルメラードフは頭がおかしいとしか思えないのだが、似たような事は私たちの日常でも起こりうるのではないか。
 例えば大学生活で考えてみると、日にちがたつにつれてだんだん大学の授業に来なくなってしまう人がいるという話をよく聞く。これは小学校でも中学校でも高校でも同じだと思うが、ほとんど遅刻も欠席もせずに真面目に授業に出ている時は、自分の中でそれが当然の義務になっているためそんなにルーズになったりはしないものだ。しかし少し休みが続いたりサボって遊んだりしてしまうと、自分のルールを一度破ってしまっているため、軽く自暴自棄のような気持ちになりもう一度休んだり遅刻したりするのが自分の中で容易になる。そうなるともう学校に行かないで遊んでいたいとか家で寝ていたいと思ってしまうため、不登校になったり単位を落としたりするはめになる。
 もっと多くの人が感じているであろう事を例にとると、テスト勉強や課題がある。指定日までに勉強なりレポートなりをやらなければいけないとわかっていても、ついつい後回しにしてやりたい事をやってしまう。そうしてテストや提出日や夏休みが終わる前日になって慌てた経験がある人は多いのではないだろうか。これも、やらなければいけないと思いつつ目の前にやりたいことがあるとその誘惑に勝てずに「まだ時間はあるし」とか「少しだけなら」と思って勉強中についつい漫画を読む、課題が終わっていないのに遊びに行くといったことをしてしまい、一度そうしたやらなければいけない事より楽しいことをやってしまうと欲求が止められなくなる例だと思う。そして気付くと大変な事になっていて、や
らないで遊んでいた時の自分を呪うことになるのだ。
 マルメラードフの飲んだくれ癖も、これらとほとんど同じものだと思う。アルコール中毒になってその欲求に逆らえず、少しだけと思って飲み始めるともう少しもう少しとあっという間に金を酒につぎ込んでしまい、ふと気付くと恐ろしい後悔の念に襲われる。そしてその後悔の恐怖に耐えられずにまた際限なく飲み続け、すっからかんになるまでやめられないのだ。ここまで来ると端から見ればただのバカにしか見えないのだが、マルメラードフを見て笑っている周囲の人々も何かしら似たようなことをしているのだ。つまり、程度は違えど人は皆マルメラードフ予備軍なのだ。
 マルメラードフは後悔の恐怖に屈して八つ当たりをするようなよくいる飲んだくれではなく、いくら飲むたびに後悔してもそれを自分の中で留めて本当なら最も自分の愚かさを感じて怖くて帰りたくないはずの家にもちゃんと帰り、妻の怒りをむしろ喜んで受け止めている。この点がラスコーリニコフが同情せずにはいられなかった点でありただの典型的な飲んだくれよりも私たちの日常の過ちに近いと言える理由でもあると思う。


藤野絵里香

マルメラードフの家族についての告白を読んで私は、彼の家族に対する歪んだ感情に興味を持った。本文中での彼との家族関係についてもっと詳しく読みたい、感じたい、と思った。
まず妻への愛情についてである。彼は後の妻であるカチェリーナにされた酷い仕打ちについて述べている。私は彼の告白を読んで彼を「哀れな男」として捉えていたが彼の妻も彼の妻で短期で可笑しく、哀れな様子が窺える。ソーニャに寄り添って寝ていたシーンを読んでも私は彼女の行動が理解できなかった。愛情の裏返しとは言え、夫や子供につらく当たってしまう点について、私はそこにカチェリーナの弱さがあると読んだ。マルメラードフの告白にはカチェリーナが多く登場するが、彼がカチェリーナのことを心の広い女として、心の広い妻として受け入れていたことに私は未だ納得できないでいる。そして、マルメラードフがカチェリーナを心の広い女として受け入れた点でもマルメラードフの弱さや哀れさを感じている。
そしてマルメラードフの娘も「哀れな娘」である。自分の身体を売って手に入ったお金で、自分の父親が酒を飲んでいるのにも関わらず、口応えをしていないとマルメラードフの告白には書かれている。実に「優しい娘」だ。そして「哀れな娘」だ。
マルメラードフは自分の娘が身体を売って得たお金で酒を飲んでいた。仕事も勝手に辞めていた。また仕事を得て喜ぶ妻を見て、マルメラードフは本当は何を感じていたのだろうか。何を考えていたのだろうか。私は彼の告白を読んでも全く分からなかった。理解できなかった。「哀れな男」マルメラードフもきっと優しい心を持っているはずなのに、彼はそれをどこに忘れてきてしまったのか、それとも隠してきてしまったのか。そして彼の行動には不可解な点が多すぎる。マルメラードフは周りにも聞こえるような大きさで告白を行っていた。大きな声である必要はなかったし、普通ならだれにも聞こえないような声の大きさで話すはずだ。なのに彼はあえて周りにも聞こえるような声で話していた。そしてもう一つ。彼は自分の行動のすべてが悪いと自覚していた。
これらの点を踏まえて、私はある一つの答えにいきついていた。マルメラードフはとても「哀れな男」だった。それは間違いない。そして彼は「哀れな男」なりに、SOSのサインを周りに出していたのではないかと考えた。マルメラードフは自分を他人に、誰かにどうにかして助けてほしかったのではないかという考えにたどり着いた。マルメラードフは読めば読むほど、私の中で「哀れな男」という言葉が似合う男性になっていった。
私は酒場のシーンを読み、彼の家族への歪んだ愛情を聞いているうちに自分の父親を思い出していた。私の父親は、というよりも私の両親はお酒が大好きだった。そんな両親を私は大嫌いだった。お酒は控えろと何度も言っているはずなのに、二人が遅くに帰ってくるときは大抵お酒の香りがした。その匂いすら私は大嫌いだった。でもそんな両親を強く注意できなかった自分自身も大嫌いだった。いくら両親がお酒にのまれていく姿を見ても、やっぱり普段は優しかった。私への愛情を感じていた。その思いが私に両親を強く注意させなかったのだと思う。こうやって文章にして現わしてみると、胡散臭いし、綺麗事のように感じるが、やはり家族同士の関係はその家族にしか分からないし、周りも深く理解しようとは思わないだろう。それと同じでカチェリーナもソーニャもマルメラードフを強く注意できなかったのはマルメラードフの家族に対する本当の愛情が頭にチラついていたからではないかと私は考えている。
彼の行動は実に不可解で尚且つ不快だった。彼の言葉を見るたびに、自分の中に取り入れるたびに、父親の嫌な姿を思い出す。しかし、彼の不可解な行動には読者を動かす力があるとは思っている。私には到底理解できない行動や言動ばかりだったが、彼の家族に対する愛情や自分に対する思いも僅かではあるが感じ取れた。マルメラードフは私の中で最後まで「哀れな男」のイメージのままだったが、垣間見れる優しさや人間味のある弱さに感銘を受けたのも事実だった。そしてそんな彼のことをもっと読み進めて、深く理解したいと「マルメラードフの告白」を読み終えて感じていた。