小林リズムの紙のむだづかい(連載44)

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紙のむだづかい(連載44)


小林リズム

【階違いの恋 前編】】


 知らない番号から電話がかかってきたので、なんだろうと思って出てみたら、これまた電話口から知らないおじさんの声がした。
「もしもし?小林さんの携帯ですか?実は、お宅の家の下の階の方から苦情がありまして…」
なんと人生初、クレームだった。

 私は月5万ちょっとのワンルームの賃貸マンションに住んでいて、一階にはスーパーもあったりして便利なのでわりと気に入っている。8畳と狭いぶん掃除もラクだし、駅から近いのもいい。面倒なご近所さんとの付き合いがないのも快適だから、隣の部屋から聞こえてくる多少の生活音は妥協している。
 たとえば、左隣の家からはほとんど毎晩のように小さく男性のうめき声が聞こえる。「うぅっ…うぅっ…」と絞り出すような声は始めのうちこそ不審で、気持ち悪くてドンッと壁をたたいてみたりもしたのだけど、まったくもって状況は変わらず、今では寝る前に彼の声を確認するのが習慣のようになっている。どうやら喉が弱い性質の人らしく、日中でも聞こえることがあったりすると、私は見たこともないその人の病状を気遣ってしまうくらいには親しみを抱いているのだった。
 右隣の家の人は、テロテロの下着だとかカラフルな靴下などの洗濯物から判断するに女性だったのだけど、彼女はある日突然子連れになった。本当に唐突に赤ちゃんの泣き声が聞こえるようになり、それを国籍不明の言葉で叱りつける。彼女はいったい何者なのだろう…。今では赤ちゃんの泣き声と何語かわからない言葉で叱りつける声を聞くのが朝の日課のようになっている。
かくいう私もテレビに向かってひとりで突っ込んだり、電話で陽気に話していたりすることもあるので、彼らに文句がいえる立場ではないのだった。

 それにしても下の階からのクレームとは…。
「いやー、5月5日の子どもの日にね、下の階の家が水漏れしてしまいまして、それがお宅の部屋から漏れてきているみたいで…」
予想外の“水漏れ”という言葉に、胸がときめいた。クレームの内容が騒音だったらお互いに印象が悪いけれど、水漏れなら不慮の事故っぽい感じがする。「すみません、ご迷惑をおかけしてしまって…」「いや、僕のほうこそ…」「あの、お詫びにうちでお茶でも…」なんて階違いの恋とか始まりそうな予感がして、私はやたらと気合いを入れてしまった。
「水漏れですか!それは大変ですね!すぐさま行きます!」
と電話口に告げて、なぜだかリップを塗りなおして、近くの喫茶店にいた私は家に戻ったのだった。