小林リズムの紙のむだづかい(連載42)

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紙のむだづかい(連載42)


小林リズム

【脱走癖 前編】


「信じられない!なんで置いていくの!?もういい!」
と怒られたことがあった。終電をとっくに逃した真夜中の渋谷で、確か秋だった。

 私には脱走癖がある。途中で「ちょっとトイレ…」と合コンを放棄して帰ったり、デートの途中で反対方向の電車に乗ったり、面接の途中に「ちょっと電話してきます…」と言って帰ってしまったこともある。この件に関しては本当に悪いことだと思うし、多大な迷惑をかけていて自分勝手だ…ということもわかるのだけど、なかなか治らない。とにかくこれはもう病気なんじゃないかと思うくらい、自分でもわかっていて脱走してしまうのだ。

 その日は親友と「旅行先で手に入れた媚薬をつかってみようよ」と、小さな茶色い液体を手にして渋谷へ向かったのだった。海外で購入したそれは、ストロベリーだとかココナツだとかの味があるみたいで、お酒に入れると効果を発揮するのだという。さっそく運ばれてきた大きなジョッキにそれを入れてふたりで飲んでみた。効果は30分くらいしたら起こるらしいのだけど、気付くと普通に酔っぱらっていて、媚薬を飲んだことなどすっかり忘れていた。意味不明にヘビメタのマネをしだす彼女をムービーで撮影していたりしているうちに、思い出したように「あの液体効果ないね!誰かに飲ませてみよっか」と二次会をするべく夜の世界に繰り出したのだった。

 意外にもターゲットはすぐに現れた。弁護士を目指して執事喫茶で働いている男の子と、親も医者だから自分も医者を目指しているという男の子だった。媚薬を使うからといって、彼らを襲うつもりも襲われるつもりも毛頭なく、人がどう変わるのかを見てみたいというだけの、退屈している女子大生のただの遊びだった。実際に飲んでみた彼らはあまり変わったようには見えず…というより、最初は陽気だったのがどんどん無口になる一方だったので、私たちは「やっぱりこれ偽物だよね」なんて言いながら彼らを残し、その場を後にしたのだった。

 万年刺激不足のふたりは帰る気になんてならず、改めて三次会でもやろう!…というときに雨が降ってきた。親友は通りすがりの一人で歩いているオタク風な中年おじさんのさしている傘を奪い取り、おじさんは突然の出来事に「え、え、え?」と戸惑っていた。「じゃあ、もんじゃでも食べましょうか」と誘い、よくわからないそのおじさんも連れて大衆居酒屋っぽいお店でもんじゃを食べた。おじさんはやたらと良い人で、人間の人格だとか人生だとかについて、深くて有難いお話をいっぱいしてくれたのだった。いっぱいしてくれたそのお話を何ひとつ覚えていないのだけど、とにかくそのときは感銘を受けた気がする。

 もんじゃを食べ終えておじさんと別れてから、終電もないしクラブでも行こう、という話になり流れでクラブへ向かった…のだけど、私はそこで20分も経たない間に脱走してしまった。自分でもよくわからないけど、隣に座った男性が前に座っているパンツ丸出しの女の子のことをやたらと眺めていたこととか、「俺たちはいつもここのVIP席に座るんや」と偉そうにしている感じとか、私自身「わー、おいしー!すごーい!」とオーバーリアクションに徹するレポーターをやりすぎて体力が残っていなかったことも原因だと思う。

 私が脱走したことで、もちろん親友は怒った。普段からふざけていて、明るくて人を笑わせるような子なのだけど、そのときは真剣だった。電話口でヒステリックな友人を前に私は支離滅裂な言い訳を並びたてて焦っていた。「この子に嫌われたらどうしよう…」。そんなふうに真面目に考えたのなんて初めてだったのだ。とりあえず渋谷の駅前で合流したけれど、親友は呆れた様子で、ほとんどしゃべらずぼーっとしていた。もうこれは絶交される、やばい、どうしよう…。