大泉黒石論(連載1)

文芸学専攻一年の大谷明子さん(清水正担当「日本文芸特論」受講生)の大泉黒石論を連載します。


大泉黒石全集」第一巻を手にする大谷明子さん

大泉黒石論(連載1)
「国際的な居候」大泉黒石
──黒石の名の不安定さは恐怖であった──

大谷明子


 付いたあだ名はわりと多い気がする。本名をもじったものや、その場の勢いとノリでついてしまったものなど様々だ。「スヌーピー」のように好きなものがそのままあだ名になってしまったものもある。しかしどのようなあだ名になったとしても、大抵は気軽にその人を呼ぶために気軽に付けられたものであるため、例えそのあだ名が思いのほか自分の人生を占拠することになったとしても、甘んじて受け入れなければならない。真面目に考えられたあだ名というのも不自然だ。そうとは分かっていても、時々、高校の友人に「レッド」と呼ばれると、気恥ずかしさで視線がきょろきょろとしてしまう。高校生にもなって戦隊なんて若気の至りの中でもかなりのハイレベルな若気の至りだ。「レッド」では誰しもに明らかにリーダー格だと分かってしまうではないか。やはり少しでも考えてもらいたかった。
 人はその生涯に沢山の名前を持つことになる。芸能人の芸名や作家のペンネームなど、どこかある特定の人物が複数の名前を持つ印象が強いように思うが、それだけではない。プライバシーを守るために個人を特定出来ないようにするため、又は日常のコミュニケーションと遮断するために使用するニックネームなどなど。一人一人、複数の名前を引き連れて生きている。そしてその名前ごとにいろいろな思い出や環境が内包されている。過去に現在にインターネットに、そのあだ名ごとの様々な自分がいたるところに散らばっており、散らばったあだ名たちは、そのあだ名で一人の人間になっていった。「レッド」はアニメオタクの活動に青春を掛けていた高校生である。
 しかしどんなにあだ名が沢山あったとしても、全ては一つの名前へと還元される。SNS上の名前も、小説を書く時の別人のようなペンネームも、友人が呼ぶあだ名も、全ては一人の人間の派生である。その一人の人間の名前こそ、社会で生きる上で誰しもが登録しているであろう、戸籍の名前なのではなかろうか。ペンネームがあっても、芸名があっても、戸籍上の名前は一つしかない。例え、その名前を否定して別の名前で生きるとしても、その否定する名前がなくては新しい名は付かない。そう思うからこそ、大泉黒石の全集一巻を読んだ時に、ひどく不安な気持ちになってしまったのである。

 一巻「人間開業」の冒頭、黒石は自身のことを「国際的な居候」と言い表している。長崎、漢口、モスクワ、パリ、東京、京都など一カ所に留まらず幼少期と青年期を過ごした黒石はまさしく国際的な人間ではあるが、この国際的という言葉には、様々な場所に住んだという意味以上のものが含まれている。でなければ国際的という言葉の後に、居候という言葉は続かないのではなかろうか。では、いったいどういった意味で、国際的な居候なのであろうか。
 人の名前とカタカナが不得意な私にとって、大泉黒石の全集は天敵であった。横文字の外国の名称と沢山の人名。ひとつひとつメモを取りながら読んだ。でないと誰が誰だかさっぱり。そのメモを取っている時に、黒石の名前が気になった。
 大泉黒石は全集一巻の巻末によると、黒石は一八九三年長崎で生まれた。父はロシア人アレキサンドル・ステパノヴィッチ・ヤホーヴィッチ、母は日本人本山恵子で、本名を大泉清と言う。ロシア人と日本人のハーフである。全集一巻の表紙をめくると現れる若い黒石は彫りの深い、日本人離れした顔立ちをしている。黒石は自己を居候と表したのには、ハーフだということも深く関わっている。日本人でもなく、ロシア人でもない。そんなどちらの土地にも先天的に根付くことの出来ない身の上が「居候」という言葉に含まれているのである。
 生い立ちと見た目について書いたが一番注目したいのは名前である。大泉黒石には黒石と本名の清という名前を含めて、合計四つの名前を持っている。本名の「大泉清」を始め、「キヨスキー」、「アレキサンドル・ステパノウィッチ・コクセキー」、そして「大泉黒石」というペンネームの計四つである。一つ一つ見て行こう。まず「大泉清」という名前。大泉の姓は生後一週間で母を無くし身寄りのなくなった黒石を育てた母方の祖母のものだ。清という名前は、黒石が生まれた時にたまたま来合わせた肥後の浪人が付けたものらしい。つまり「大泉清」という名前に、母も父の要素も持ち合わせていないのである。「キヨスキー」という名前は、漢口の領事であった黒石の父が清という名を嫌って読んだ名前、即ち「清」のロシア風な名前のようである。巻末で由良君美が書いている通り、ロシアの血を意識している時はキヨスキーと名乗っていた。母の事を恵子ではなくKeitaと表記するように、幼少期をロシアの血を意識してキヨスキーと呼ばれで過ごしたためか、キヨスキーと呼ばれて過ごした日々はロシア人の意識が強かったように見える。「アレキサンドル・ステパノウィッチ・コクセキー」は黒石の父ゆずりのロシア名である。「人間開業」でこの名が出てくるのは、パリで結社に入った際に本当の名として名乗った一回のみであるため、日常的に使っていたようではなさそうだ。「大泉黒石」の名は、作家としての名前である。何故黒石なのかは本文中では語られていない。
 「清」という父母の影の薄い本名、「キヨスキー」という父からもらったロシア人としての名前、「アレキサンドル・ステパノウィッチ・コクセキー」というあまり使われていなかったロシア名、そしてこれらの過去を語る「黒石」という名前。これら四つの名前が、私の不安のきっかけであった。

 高校の友人にどんな名前で呼ばれても、SNS上にいくつも名前が出来ても、どんなに自分とは掛け離れた名前のペンネームがあったとしても、全ては本名の私の分身である。アニメオタク全開であった「レッド」も私の一部だ。確固たる、大谷明子という名前があるからこそ、どんなに名前が増えても自分を失わない。しかし大泉黒石にはその確固たる自己があったのであろうか。ある特定の場所に留らない居場所の不安定さと、社会に帰属する上で必然的について回る名前でさえ、ハーフの身の上故のどっち付かずな不安定さを持つ黒石の環境では、明確な自己は生まれ難い。しかし全集の一巻を読む限り、「大泉黒石」こそ、「国際的な居候」の確固たる自己である気がしてならない。即ち「大泉清」という若い自己の名前が確固たる自己として機能しておらず、「大泉黒石」という作家に至ることでやっと確固たる自己を手に入れたのではなかろうか。
大泉黒石」という名に注目してみると、祖母の家督の大泉と、ロシア名である「コクセキー」をもじったような名前になっていることがわかる。ロシアと日本のハーフを体現したような名前だ。つまりこの名前には、ロシア人である自分と、日本人である自分を包括した、ある種の達観した黒石の自己への認識が現れている。故に、「大泉黒石」に至ることで、黒石は自己の立つ場所を得たのである。そして「国際的な居候」とは、黒石という名を手に入れた作者による、明確な名前のなかった自分への名前なのである。

 名前に縛られてきた私にとって、黒石の名の不安定さは恐怖であった。必ずついて回る名前を煩わしいと思っても、この名前がなくては明確な自己が分からない。ツイッターの自分もフェイスブックの自分も、創作サークルのペンネームの自分も、「スヌーピー」や「レッド」の自分も、一つの名の延長であるから私だと言うことが出来る。奔放で破天荒、だけれど明確な自己の見えない「国際的な居候」は、名前に捕われない自由さはうらやましいが、それでもやはり何だか怖いものとしか見えない。いや、でも少しだけ妬みたくなってしまう。
 一回でもいい。名前を逸脱してみたい。自分に帰ってきた時、私は何なのか、新たな視点が生まれるだろう。しかし黒石のようにはなれない。一巻に付属していた「黒石回廊」という書報に掲載されていた、黒石の次女淵がちらりと書いた黒石の晩年を思うと、勝手すぎる人間に対する憤りと、やっと開業することが出来た、人間「大泉黒石」という名が社会に認められなかった黒石の寂しさで、煮え切らない気持ちになる。とりあえず自分が身を寄せる環境と名前があってよかったと思ってしまう。新たな名前で新たな自分を切り開くことが出来ても、確固たる自己の名がもたらす安定感を手放すことは出来ない。そしてこの安心感を失ってしまう黒石の晩年に目を向けることが怖い。