大泉黒石は<日本のドストエフスキー>

本日は喫茶店「世界文学の中の林芙美子を執筆した後、大泉黒石全集の第一巻「人間開業」を読む。大泉黒石は前から気になっていた小説家であったが、先日、大泉淵さんにお会いして本格的に読む気になった。大泉全集は文芸学科の資料室に全九巻揃っていたが、日藝図書館には四冊しかなかった。資料室にあった第一巻を借りて読み始めたが、実にこれが面白い。先日、図書館課長と神田に出かけた折、田村書店に全巻が揃っていたので図書館購入ではなく、個人で購入してきた。今日、午後九時に読み終えたが、今、私は黒石との出会いに抑制した興奮を覚えている。改めて、購入した全集を出して見ると、帯文には「文学史の闇に輝く日本のドストエフスキーが、対話と告白で現代小説の方法を構築し、宇宙の中の生存の謎を追求して現代人の彷徨える心に啾々と訴える名作群!!」とある。
大泉黒石は<日本のドストエフスキーと称せられていたのか。ならばやるしかないな、というのが正直な思い。淵さんと話している時にも何か運命のようなものを感じた。林芙美子を世界文学の中に位置づけるというのが、今のわたしの大きな仕事だが、この林芙美子の隣に引っ越してきた黒石の娘を芙美子が特別に可愛がったというのも面白い因縁だ。林芙美子は『放浪記』で「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。私は雑種でチヤボである」と書いている。大泉黒石はロシア人のアレキサンドル・ステパノヴィッチと日本人の本山恵子の間に生まれた混血である。母恵子は黒石(本名清)を生んで一週間後に亡くなっている。黒石は母方の祖母に引き取られた。日本名は清だが、ロシア風にキヨスキーとも呼ばれた。黒石は日本とロシアの間を行き来したまさに<放浪者>であった。第一巻を読んだだけでも黒石の文学はスケールが大きく、日本の小さな文壇におさまるしろものではないことが分かる。祖父はトルストイの領地ヤースナヤ・パリャーナの近くに住んで親交もあり、十二歳の少年黒石もモスクワでトルストイと会っている。その時の描写が面白い。「途中で一人の見すぼらしい老人に出会った。この老人が路傍で拾った痩せ犬を引っ張っている。俺の伯父が、帽子に人差指を当てて挨拶しているから、不見識な真似をするもんだと思うと、これが、初めて聞いて、初めて見る、レオフ・トルストイだから可笑しい」世界の文豪トルストイも黒石のペンにかかるとかたなしである。文体はいわばぺらんべえで、落語のようなユーモアたっぷりで、とにかく読んでいて心地がいい。いっさいの権威を認めず、自分の眼と心で体当たりしている。大泉黒石全集は第一期九巻が刊行されたままに終わっているが、これから読み続けていくのが楽しみである。
なお、今回、改造文庫新潮文庫で『放浪記』を読んでいるが、改造文庫を読んでいると新潮文庫はまったくだめだ。作品は改訂すればいいってもんじゃない。林芙美子の意思だけで改訂したのか、それとも新潮社の編集サイドの思惑があったのか、もはや真実は闇のなかだが、いずれにせよ『放浪記』は初版のもので読まなければだめだ。改造文庫は初版を踏襲しているので、精神の緊張度、切迫したリズム感が横溢している。新潮文庫版は水割りしたようなテキストに化している。初版『放浪記』に対する冒涜である。



写真は林芙美子と大泉淵さん。この日、淵さんが持参して見せてくれた写真。

大泉淵さんと記念撮影。<日本のドストエフスキー>と称せられた大泉黒石の娘さんと記念撮影するのも、何かの縁なのだろう。