小林リズムの紙のむだづかい(連載6)

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紙のむだづかい(連載6)
小林リズム

◆うたかたの日々

 ボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』を読んでいたら、どこか既視感があった。主人公の男の子の恋した女の子が難病に侵されて死んでいくのだけど、その難病というのが肺に睡蓮が咲くという奇病なのだ。もちろん現代にそんな病があるわけもなく、どうして知っている感じがするんだろうと気になっていた。そんなこんなで、久しぶりに実家に帰って、閑散としている駅のホームを歩いていたら突然思い出した。
 そういえば、高校の廊下でよくすれ違う違うクラスの男の子に胸をときめかせていたことがあったのだ。サッカー部で、いつも薄いピンクのカーディガンを着ている人だった。校則違反の茶髪にこんがりと焼けた肌がスポーツマンらしかった。男子からも女子からも好かれているベタなヒーロー役のようなタイプだったのだ。そんな彼から、クリスマスを目前とした季節、突然メールが送られてきた。そこにはこんな文面があった。
「恋人の心臓に睡蓮の花が咲いて死んじゃうっていう小説って、なんていう作品か知っていますか?」
 あまりにも唐突な着信に私はガッツポーズをした。この時期に恋愛小説の質問をしてくるなんて、もしかしたら…。という甘い妄想が脳内をかけめぐる。それにしても、心臓に睡蓮の花が咲くなんて、聞いたこともない。しかし文学少女を自称していた手前、知らないわけにはいかなかった。まして意中のお相手からの初メールだ。慎重に返事をしなくては。そうして私はそのタイトルも知らない小説を必死にネットで調べたのだった。しかしいくら「心臓 睡蓮」で検索をかけてもまったく出てこない。念のため「心臓に花が咲いちゃう病気って、聞いたことある?」と母に尋ね「何言ってるの?あるわけないじゃん」とまで言われた。
 それでも諦めずにサーチしたのは、やはりピュアな恋心のなせる技。見つけたときには喜びに身もだえしたのだった。そして見栄っ張りよろしく、読んだこともないこの作品を「ボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』ですよね?心臓じゃなくて肺に花が咲く…。ものすごく感動しました」とナチュラルを装ってメールを送る。彼からの返信をドキドキしながら待っていると、思いのほか早く送られてきた。
「そうでした!ありがとう。この作品をモチーフにしたネックレスがあって。クリスマスに彼女にプレゼントしようと思っていたんです」
 メールを見て硬直するという体験は実際にあるのだと知った十六歳のクリスマス前。こんな話を聞くために私は一日中かけてリサーチしたのか。なんなんだこの仕打ちは。期待していたぶん、あまりのショックに彼が憎くなった。心臓に花なんて適当なこと言うなよ!肺だよハイ!間違っていなかったらこんなに時間かけて調べなくても済んだのに!とやり場のない思いに震えた。あまりの悔しさに、これから先、絶対にこの作品を読まないと心に誓ったのだった。
 時間というのは恐ろしいくらいに自然に忘却させるパワーがある。あんなに切ない思いをしたのに、どうして忘れていたんだろう。ピンク王子への一抹の思いは、まさに泡のように儚く消えてしまった。そして今になって、恋心を抱いた淡いあの時期こそがまさしくうたかたの日々だったなぁと、心臓に毛が生えた私は思うのだった。