小林リズムの紙のむだづかい(連載1)

本日から文芸学科四年生の小林リズムさんのエッセイを連載します。一度読むとくせになります。それではお楽しみください。

小林リズムさん



紙のむだづかい(連載1)
小林リズム


大学生活のなかで、挫折した経験はなんですか?

就職活動の面接でそう聞かれたとき、私は呆然とした。好き勝手に過ごしていた大学生活だったから、挫折なんていうドラマチックな体験などなかったのだ。代わりに、お酒の失敗なら数えきれないくらいにした。嫌なことがあったときは飲む。良いことがあったときも飲む。虚しくなったときも、焦ったときも、苛立ったときも、とりあえずは飲む。そんなふうにして飲んだ量はどれくらいに及ぶのだろうか。酔っ払って迷惑をかけた人はどれほどいるのだろう。気づかないうちにできたアザの個数は?意味不明の持論を電話口で浴びせた人数は?未だに私のことを恨んでいる人はどれくらい?たぶん私はこの四年間で、膨大な量のお金と時間を無駄遣いしたのだと思う。
 先日、ある人に「人生に意味なんてないんだよ」と呂律の回らない口調で言われた。真理だと思った。いつかは必ず死んでしまう私たちにとって、すべのものに意味なんてなく、それはこの四年間にだって、これから先の十年間にだってない。それでも、私はどうにかしてその言葉を覆したかった。きっと、その覆したいと思った気持ちが、意味だとか理由だとかより重要なのかもしれないと、二日酔いの頭でうっすらと思った。
 親は子どもに貯金の仕方は教えても、無駄遣いの仕方は教えてくれない。それが必要のないものだと考えているからだ。けれど、無駄遣いをして欲しいものが買えなくなった経験をしたことのない子どもが、なんのために貯金をするのだろう。貯金がいっぱいあるのが正しくて幸せ。借金があるのは間違っていて不幸。人生を型に押し込んで、無駄遣いをさせないことばかりに精魂を注ぎ育てるのがジョーシキだとしたら、ジョーシキ的な人間なんて大したタマじゃないと思う。私は、良い大人がどういう大人なのかはまだわからないけれど、無駄遣いの後ろめたさと楽しさの両方を知っている大人に魅力を感じるのだ。