『世界文学の中のドラえもん』を読んで・高橋将人

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「雑誌研究」平成24年度夏期課題

ドラえもんと死〜死に神〜
高橋将人

ドラえもんがいたらいいな!とか、ドラえもんみたいのが一家に一台あったらうれしい!こんな妄言は聞き飽きた。そして、これほどつまらなく貧しい発想はない。それこそ、藤子F不二雄のドラえもんの秘密道具の発想を見習って欲しいものだ。もっと様々な視点からこのドラえもんという物語をとらえて欲しいと思う。私は【死】というものを念頭において読み解いていこうと思う。
漫画『ドラえもん』に登場するのび太は、もうすでに死んだ存在である。もしくはユートピアつまり異次元空間にいる存在にいるという考察であるが、なるほどドラえもんに対してそんな読み解き方、アプローチの仕方があるのかと思い私の中で革命がおきた。私の中の考えを新たに読み進めていくと色々と合点のいくところがあった。
 まず、清水教授の授業中にも言っていた、『ドラえもん』第一巻の1コマ目ののび太が寝転がっている描写である。のび太という少年は、勉強もスポーツも何にも出来ない少年である。特技といえば、射的・早く寝ることができるということである。つまり、小学五年生として、周りの同級生から見ると何の魅力もなく軽視に値する少年なのである。しかし、この1コマ目に描かれていたのは、のび太を曲線で囲うように、お茶・漫画・ストーブなどが置かれているのである。のび太の性格を考えるともっと乱雑に置かれていて、お茶なども畳にひっくり返している状態が自然なのである。しかし、実際はその逆でのび太のまわりを律儀に囲って並んでいて、まるでのび太を問いただすような様で並んでいるのである。そう、この状態がのび太にとって死を案じているのだという考察を自分の中で再考察をしてみたが、とてもそのような考えに至らなかった。たまたま、モノを並べた結果そうなっただけ、翌日もまた部屋でゴロゴロする準備をする際にはお茶をこぼすことだってあるにちがいない。だから、この場面だけを切り取ってのび太の存在が危ないと考えるのは、まだ私にとっては全然合点がいかない。
 漫画『ドラえもん』に出てくる、猫型ロボットのドラえもん。ドラえもんの顔をよくよく見てみると、化け物であるという風にとらえられることができる。【死】というものにスポットを当てて考えてみるとドラえもんは『死に神』ということになるかもしれない。ドラえもんは目が二つある。しかし、繋がっているため一つといっていいだろう。妖怪一つ目○○みたいな存在である。また鼻を見てみると丸い。そこはいいが、赤いという点が少し気がかりである。人間みたいに赤い血がドラえもんには流れていない。むしろ、オイルである。だから人間の唇みたいに赤い血が流れているから赤く見えるという理由が通じない。では、なぜ、ドラえもんの鼻は赤いのかということを考えてみると、同じく鼻が赤いピエロが思い浮かんだ。ピエロというのは道化師である。中身は死に神であるが外見は、楽しそうな装いで周りの人々をだまそうと道化しているのである。そのようにして小学五年生ののび太に近づいていくのである。目・鼻ときたら口である。ドラえもんの味覚で一番おいしく感じる食べ物は『どら焼き』である。どら焼きというものは、甘いあんこをやわらかい生地で挟んでいるのものである。死に神のドラえもんで言うなれば、あまい言葉で人を騙し、圧力をかけ、借金を背負わし、右も左もむけない状況においこむという隠れたテーゼであると読み取ることができる。下に目線をむけると鈴のついた首輪がある。首輪をつけられたものは、つけた側の奴隷みたいな存在といえよう。そして、なによりも恐ろしいのは‘鈴”がついているところである。お前がどこへ逃げようが、その音で気付くぞということを示しているのがわかる。束縛というものを象徴しているものだ。今度はお腹にスポットをあてて考えてみると、ドラえもんの道具である『四次元ポケット』がついている。四次元ポケットとは、そのポケットの中に無限にモノを入られる道具である。そこには、大事なもの・いらないものなどなんでも、入れられることが可能である。これは死に神という、神だから許された特権で、無制限の欲というもの示しているように思える。欲しいものは全部自分のもの。ジャイアンの発言で「お前のものは俺のもの。俺のものは俺のもの。」というのがあるが、まさしくそれであり、他の登場人物でもそのことを示唆していたのである。ドラえもんというのは地上から3mm浮いているという設定が途中から加えられたのだが、これもすごい設定である。地球には重力があるから、歩くことが出来る。その重力に逆らうことが許された存在なのである。地球の概念にあてはまらない稀有な存在ということが言える。最後にドラえもんの体全体の比率である。頭と胴体が1対1の割合である。その体には母性を感じることができる。男の子というのは父親よりも母親のほうが絶対的な存在であるというのは共通認識であろう。つまり母親のような存在でのび太に近づいてくるのだ。甘い言葉をかけて。
 ドラえもんは死に神だ。


京都造形芸術大学での特別講座(清水正『「チーコ」「ドラえもん」の読解』)が紹介されていますので、是非ご覧ください。
『ドラえもん』と『チーコ』をダイナミックに解体・再構築しています。
http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp
 『世界文学の中のドラえもん』 (D文学研究会)

全国の大型書店に並んでいます。
池袋のジュンク堂書店地下一階マンガコーナーには平積みされていますので是非ごらんになってください。この店だけですでに?十冊以上売れています。まさかベストセラーになることはないと思いますが、この売れ行きはひとえにマンガコーナーの担当者飯沢耕さんのおかげです。ドラえもんコーナーの目立つ所に平積みされているので、購買欲をそそるのでしょう。
我孫子は北口のエスパ内三階の書店「ブックエース」のサブカルチャーコーナーに置いてあります。
江古田校舎購買部にも置いてあります。