「日野日出志研究」二号

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日野日出志研究」二号は今月中旬に刊行の予定だが、刊行に先だって何本かのエッセイ・論文を紹介している。今回は漫画評論家の荒岡保志さんの評論を紹介する。

偏愛的漫画家論
日野日出志異色短編作品集「私の悪魔がやって来る」論
封印された日野漫画、そのエロティシズムに酔う
荒岡保志

日野日出志異色短編作品集「私の悪魔がやって来る」論 初めに

 「私の悪魔がやって来る」は、1991年に辰巳出版から初版発行された、文字通り「異色」短編作品集である。ご存じの通り、日野漫画に於いては、その作品の殆どが「異色」と評価されて申し分ないのだが、ここで私が「異色」と申し上げる意味は、この短編作品集が、寧ろ日野漫画として「異色」であると言う事だ。

 ここに収録されている9作品は、1972年から1973年に発表されたものが中心となっている。まずは、この年度が日野日出志にとってどのような年度であったのか検証して見よう。

 1970年に、あの「蔵六の奇病」を発表してから2年後である。
 「蔵六の奇病」の発表後、日野日出志は、まるで憑き物が落ちたかのように、傑作短編漫画を生み出して行く。作品発表の場を、青林堂「ガロ」、虫プロ商事「COM」の2大アート漫画誌から、少年画報社少年キング」、小学館「少年サンデー」、講談社少年マガジン」など、メジャー漫画誌に移行したのもこの年度である。

 1972年と言えば、あの傑作「赤い花」を発表した年度でもあるのだ。即ち、漫画家として、創作者として、乗りに乗っている年度ではなかったのか。
 それにしては、この1972年から1973年にかけて発表された短編漫画は25編に上るが、単行本に収録されたものは、たったの8編に過ぎないのだ。その中の1編で、1972年に虫プロ商事「COMコミック」に発表された「竹藪地蔵怨絵草紙」などは、1度は、1976年にひばり書房から初版発行された「恐怖列車」に収録されるも、何と、再刊発行からは削除されている。

 これは、1973年に倒産してしまった虫プロ商事との、版権の問題が残っていたのだろうと推測するのが普通であろう。また、同年1976年にひばり書房から初版発行された「地獄小僧」が、単行本のページ数の都合で最終話まで収録する事が出来ず、最終話を収録する為に「恐怖列車」を再刊発行したのだろうとも考えられる。本質はその辺りにある事は間違いないが、敢えて、私はこう考えたい。1972年から1973年にかけて発表された25編の内、単行本に収録されなかった17編は、日野日出志ご本人が封印したかった作品ではなかったかと。そう考えた方が、浪漫があるではないか。

 そして、1972年と言えば重要な事がもう一つある。日野日出志が、ファンレターを貰っていた女子大生と結婚した年度でもあるのだ。


●「白魔の伝説」に見る近親相姦、兄妹はタブーを超えて白魔となる

 「白魔の伝説」は、1972年、少年画報社ヤングコミック」に発表された19ページの短編漫画である。「ヤングコミック」と言えば、青年誌ではないか。青年誌と言えば、一応は1969年に、小学館ビックコミック」に「のっぺらぼう」がコミック賞で佳作入選してはいるが、日野日出志としては初めての発表の場と言っても差し支えないだろう。
 この「白魔の伝説」は、1970年に「少年画報」に発表した「水の中」、「蝶の家」などで表現したエロティシズムを、ストレートに開放した記念すべき作品と評価していい。

 雪の降る日に、孤児院の門の前に置き去りにされた幼い兄妹は、寄り添って生きて行く。必然である。やがて、大人となった2人は、お互いに兄妹愛を超えた感情に気が付きながらも、その感情を抑え、いずれ兄は嫁を貰い、妹は嫁いで行く。ただ、自分自身の感情を抑えた偽りの結婚は、双方共に長くは続かず、妹は再び兄の下へ戻るのだ。

 発表誌「ヤングコミック」の読者層を意識したとも考えられるが、日野漫画で初めて性描写に挑んだ作品である。性描写が、そのままエロティシズムに直結するとは思わないが、あの、日野日出志が描く独特の孤高の美女、どこまでも白い、粉雪のような肌、一重瞼の切れ長の目、血よりも濃い、真紅の濡れた唇、そして、その美女を更に引き立てる情念のほくろが、そのシーンを嫌が応にも匂い立たせるのだ。

 2人は、雪の降る山へと向かう。兄妹として、超えてはならない一線を越える為である。その為には、代償を支払わなければならない。人間である事を諦め、悪魔になるのだ。雪の降る山小屋を母の胎内に見立て、白い悪魔に生まれ変わるのだ。

 2人が遭難した事を知った救助隊が、その山小屋で見たものは、悪魔と言うには程遠い天使の姿ではなかったのか。光を浴びて、雪山に煌めく樹氷が、その美しさを嫌が応でも引き立てるのである。

 日野日出志は、この「白魔の伝説」を発表し、この次の作品として、「COMコミック」に「赤い花」を発表している。


●「埴輪森暗黒日輪伝説」に見る母子相姦、禁断の性愛は神の怒りに触れたのか?
 「埴輪森暗黒日輪伝説」は、1973年、「COMコミック」に発表された20ページの短編漫画である。この年度に、虫プロ商事が倒産してしまい、「COMコミック」も已む無く廃刊に追い込まれてしまった為、日野日出志としては、この作品が最後の「COMコミック」発表作品となる。
 「COMコミック」は、1967年に、日野日出志が「つめたい汗」で念願の商業漫画家デビューを飾った漫画誌である。また、デビュー以前も「COM」のファン組織「ぐら・こん」の東京支部長を務めていた経緯まであるのだ。「COMコミック」には特別な思い入れがあっただろう。

 深い森の中、母と子の2人だけが生き残った、滅びかけた部落があった。ある日、1人の落ち武者が、その森の中に落ち延びて来る。未だ美しい母は、落ち武者を保護し、夫は狩りに出て狼の餌食になってしまった事、夫との間に生まれた息子を漸く成人させる事が出来た事など、身の上話をする。
 雷の鳴り始めたその夜、雨の降らない内に薪を貰いに行こうと、落ち武者が母子の納屋を訪れると、そこで落ち武者が目にしたものは、母と子のまぐわいであった。

 成人と言えば、現代なら20歳だが、見た所時代背景は弥生時代だろう、そうなれば、息子はせいぜい15歳、母は30歳と言うところか。母は、新たな子を作る為、ついては部族の再興の為に成人した息子を誘導し、性行為に及ぶ訳であるが、息子はと言うと、明らかに母親に母子の愛情以上のものを感じているのが分かる。

 落ち武者は、神に怒りに触れる事だと母を脅す。そして、自分と夫婦になる事を強要し、母を犯そうとするが、そこに、狩から戻った息子は落ち武者に弓を引き、殺してしまう。そこで、急に太陽が欠け始め、辺りは闇に包まれる。神の怒りだ、落ち武者はそう言って事切れる。
 怯える息子を横目に、母は冷静に、ただ祈れば良い、と毅然とする。やがて、母の背後に太陽が姿を現す。神の怒りは解けた、また今まで通りの生活に戻る、母は言い、息子は母に従う。その光景を、幾つもの埴輪が無言で見守っているのだった。

 息子にとって、母の存在は巨大だ。怯えはしたものの、太陽の存在さえその巨大さを超える訳もない。傍観者として描かれた夥しい数の埴輪は、この母と子の性愛を肯定しているのだろう。


●「竹藪地獄怨絵草紙」に見る地獄絵師、「蔵六の奇病」へのセルフ・オマージュ

 「竹藪地獄怨絵草紙」は、1972年、「COMコミック」に発表された16ページの短編漫画である。前述した通り、1976年にひばり書房から初版発行された「恐怖列車」に収録されたのだが、再刊発行された際には削除された作品である。ストーリーもテーマも全く異なるが、その設定は、あの「蔵六の奇病」を彷彿とするものがあり、その辺りが興味深い作品である。

 凶作の為に、酷い飢饉に苦しんでいる村があった。村人達は、通り掛かる旅人を殺し、金品や食糧を奪って食い繋いでいたのだ。そこに、絵師の夫婦と、まだ幼い子供の一家が通り掛かるが、村人達に、若い妻は犯され、夫と子供は惨殺される。目の前で夫と子供を惨殺され、全てを奪い取られた美しい妻は、そのまま発狂し、発狂したが為に何とか一命だけは取り留める。そして、狂った妻は、夫と子供の亡骸を引き摺って、竹藪の奥へと姿を消すのだ。

 やがて、凶作も収まり、村は平和を取り戻す。ただし、狂女の地獄が終わる事はない。狂女は、竹藪の奥にある小さな小屋に棲み、生き続けていた。そして、小屋の中で、最早白骨化した夫と子供の亡骸を並べ、夫の残した7色の絵具で、地獄絵を描いて暮らしていた。
 そして、時々村に下りては、食物や家畜を盗んでいたが、村人も、それを黙認していた。狂女に対する罪の意識があった為である。

 やがて、竹藪の中に鬼が棲む、と言う噂が村中に広がる。竹藪に入った村の子供が、つまずいて竹の切り株で腹を刺されて死んだり、竹を切ろうとした男が、誤って腕を切り落としたりと、不慮の事故が相次いだのだ。
 村の呪い師の老婆は、狂女の為だと判断する。狂女が魔を呼び寄せていると。

 村人達は徒労を組み、竹藪へ向かう。そして、狂女を殺す為に小屋を囲むのだ。
 地獄の鬼じゃ、狂女は叫ぶが、村人達の手にする竹槍は、次々と狂女を貫いて行く。

 狂女は殺され、その赤い血と7色の絵具は、小屋の泥壁に深く吸い込まれる。そして、泥壁の上には、幾多の怪奇人間模様が、恐ろしい地獄絵となって次々と浮かび上がったのだ。

 哀れなのは狂女である。奇病の感染を恐れ、村人達に追われる蔵六、竹藪に魔を呼ぶと言われ、殺される狂女。地獄の鬼じゃ、と叫ぶ狂女を囲む村人達は、その通りの皆鬼の形相をしているではないか。
 蔵六も狂女も、唯一自分を癒してくれるものは絵を描くと言う行為だけであり、最後に残した存在証明も、夥しい絵のみであった。


●「ミス・ジッパー」に見る街角に佇む甘い罠、美女は怪物を内包する

 「ミス・ジッパー」であるが、この短編作品集で、唯一1986年に発表された作品である。発表誌は、日本文芸社の「漫画ゴラク」、トップクラスのメジャー青年誌である。ページ数にしては僅か8ページ、発想だけで描いたショート・ストーリーと言った印象だ。

 街角に立つ美女に声を掛けられる男は、酒の勢いもあり、喜んで、招かれた美女の部屋へ着いて行く。早速、美女のドレスの背中のジッパーを下し、その美しい背中に男が興奮していると、美女は、もう一つジッパーを下して欲しいと言う。男が美女の背中を良く見ると、その白く美しい背中に、もう一つジッパーがあるではないか。美女が、自らそのジッパーを下すと、その開いた背中の中から、世にもおぞましい怪物が現れ、男を頭から飲み込んでしまうのだ。

 要すれば、美しい女は、怪物を内包していると言う事だ。くわばらくわばら。


●「私の悪魔がやって来る」に見る倒錯した性、美女は醜男に犯されたいか?

 この短編集のタイトル作品である「私の悪魔がやって来る」は、1972年、「COMコミック」に発表された24ページの短編漫画である。「異色」と言えば、この作品ぐらい「異色」な日野漫画は他に見ないのではないか。

 劇画家を夫に持つ美しい妻は、夫には勿論、その生活にも全てに満足していた。ただし、一つだけ不満、と言うか、どうしても拭い切れない幻想を抱いている。
 それは、性生活である。
 妻は、醜男に凌辱されたい、と言う願望を持っているのだ。その為に、優しい、美男な夫に抱かれても性的には満足出来ない日々を送っているのだった。

 醜男は、時折夢の中に現れては自分を縛り上げ、鞭で打ち、針を刺し、蝋を垂らす。ある時は、何十と言う蛇を全身に絡ませる。その夢を見た後は、必ず恍惚感と満足感が湧き上がり、自分自身を濡らすのである。

 高校生の頃に、隣家に居た醜い白痴の男、その男に部屋を覗かれてから、その幻想を持つようになる。彼女は、その男が覗いている事を意識しながら、わざと悩ましい姿で服に着替えたり、ベッドの上で大胆なポーズを取ったりして、男の視線を逆に弄ぶようになるのだ。
 これが、覗かれているのが眉目秀麗の美男子だったら、そうはならなかったはずだ。彼女の白痴の醜男に対する優越感が、嫌が応にも彼女を大胆にさせるのだ。

 ある時、妻は夫に、性行為の時に醜い顔の仮面を被ってくれないかと提案する。と言うのも、これは元々夫の趣味なのだろうが、夫の仕事部屋には数多くの醜い仮面が飾ってある事を知っているからだ。
 夫も、面白そうだとその提案を受け入れる。その夜、美しい妻は、普段よりは幾分燃え上がるも、あの夢のような恍惚感とは程遠いものであった。

 そんな時に、夫が交通事故に会う。病院で、全身包帯だらけの夫を見て、妻は、全身に異様な戦慄が走り抜けるのを感じる。そして妻は思うのだ、もしかしたら、これで何もかも上手く行く、と。
 その予感は見事に的中する。

 夫は、奇怪な事に、あの白痴とそっくりな顔になってしまったのだ。そして、醜い顔になった夫は、毎夜毎夜暴力的に妻を責めるようになる。まるであの夢のように。

 醜くなればなる程、美しい者にたいするコンプレックスは増長される。同時に、愛情も比例されるだろう。その愛情は、サディスティックな行為として表現されて行く訳だ。

 この奇作は、美しい妻の望む通りのハッピー・エンドを迎えた訳である。


●「女郎蜘蛛」に見る美しい大都会に潜む罠、流され女のストーリー

 「女郎蜘蛛」は、1972年、「COMコミック」に発表された24ページの短編漫画である。これも、日野漫画としては「異色」と言っていい。東北の故郷を見限って東京へ上京した女の、ありがちな顛末を、蜘蛛の巣に見立てて描いた秀作である。

 主人公は、高級売春婦、とでも言おうか。太股の内側に、女郎蜘蛛の刺青を彫る美女である。雪のように白い肌、一重瞼の切れ長の目、真紅の唇、そして、今回は眉間にほくろ、日野漫画定番の美女だ。未だ高校生ぐらいの頃であろうか、義理の兄に犯されてから、男性不信が続いている。

 少女は、母の死を機に、故郷を後にする。東京に行けば、東京にさえ行けば何とかなる、少女はそう信じたのだ。

 ところが、東京は、大都会は彼女のささやかな望みさえ叶える事はしなかった。彼女の意思に反して、彼女はネオン街に身を埋め、流れに流れるお決まりのコースを歩む事になる。現実はそんなものだ。やがては、ヤクザにいいように使われ、バーに勤めながらも毎晩客を取る生活を強要される。そんな生活に嫌気が差し、逃亡を図った事もあったが、敢え無く捕まってしまい、もう逃げる事さえ面倒臭くなっている。

 彼女がふとアパートの窓から外を見ると、窓の外には、大きな蜘蛛の巣が張っている。彼女は、夕日に照らされ、キラキラと光る蜘蛛の巣を、色取り取りの虹に見立てる。一瞬、その巣に見事に掛かっている自分の姿を怪垣間見る。

 夕日に照らされた蜘蛛の巣を、東京に、大都会に見立てた作品である。蜘蛛の巣に魅かれた昆虫のように、彼女は大都会に魅かれ、見事に罠に掛かった訳である。
 また、幼少の頃の記憶を、非常にノスタルジックに描く手法は、日野漫画に数多い。ただ、この作品は、インスパイアされた実話が存在するのではないか、と思うのは私だけではないと思う。純文学的作品とも言えるだろう。


●「砂地獄」に見る砂丘に潜む罠、流され女の逆襲

 「女郎蜘蛛」に引き続く「砂地獄」は、ほぼ同一のテーマで描かれている。「砂地獄」は、1973年に一水社の「コミックサンデー」に発表された20ページの短編漫画である。

 高校生の時に、砂丘で暴漢に犯された女が、母の死を機に、故郷を捨てて東京へ上京する。「女郎蜘蛛」同様、女は、結局はお決まりのコース、ネオン街を渡り歩き、何人もの男が彼女の身体を通り過ぎる。
 やがて、疲れ果てた女は、故郷の砂丘に戻り自決してしまうのだ。

 女の亡骸は、誰にも知られる事なく砂丘に埋まる。そして、砂丘を訪れる旅人たちを、まるで蟻地獄のように引き摺り込むのだ。

 「女郎蜘蛛」の女に比べれば、まだ前向きか。少なくとも、彼女は男性達に復讐を果たし続けているのだから。

 また、お気付きの通り、「女郎蜘蛛」、「砂地獄」に登場する女であるが、同一人物である可能性が高い。生まれ故郷こそ、「女郎蜘蛛」では東北の寒村、「砂地獄」では、砂丘と言う以上鳥取辺りと想定出来き、誤差はあるが、シチュエーションはほぼ同じと考えて良い。


●「水色の部屋」に見る儚い生命、胎児の幻想

 「水色の部屋」は、1972年に「ヤングコミック」に発表された19ページの短編漫画である。単行本未収録作品ばかりを収録した印象の短編作品集「私の悪魔がやって来る」であるが、この「水色の部屋」に関しては、1975年にひばり書房から初版発行された「胎児異変私の赤ちゃん」、1976年に文庫化された同タイトル、1986年に同じくひばり書房から発行された同タイトルのA5版再刊、1987年にペンギンカンパニーから発行された「赤い花・怪奇幻想作品集」などに収録されている。日野漫画として、比較的代表作と言っていいだろう。

 苦しい家計の事情から、懐妊するも堕胎せざるを得ない若い夫婦が、その胎児の幻想に怯える日々を送ると言う、ややホラーテイストのストーリーである。この作品に関しては、拙出の「ホラー漫画家は終末地獄変の夢を見るか?」でも触れているので、ここでは割愛しよう。日野日出志ご自身が、結婚したばかりの妻の妊娠にインスパイアされて描いた作品である。ホラー漫画家も、生命の神秘にある種の感動を覚えたはずだ。


●「花の女」に見る少年の性、男は美しい女の養分となる

 「私の悪魔がやって来る」では、巻末の作品となる「花の女」は、1973年、芳文社「コミックVAN」に発表された20ページの短編漫画である。扉を見ると、「少年性幻記」とサブ・タイトルが付いている。

 広大な花畑で、その美しい女はいつも待っていた。そして、そこに蜜蜂職人の父子がやって来るシーンから、このストーリーは始まる。

 蜜蜂職人の父子は、その広大な花畑で蜜を採取する為に、乗って来たトラックの荷台に寝泊まりをする。

 その中で、初めに嵌まったのは少年の方だった。
 美しい女に花畑に誘われ、少年は初めて女の甘さを知るのであった。それは、まるで蜜のような甘さであったのだ。

 少年は、夜は勿論、仕事中も抜け出して女と会うようになる。不審に思った父は、少年の後を追い、その女の存在を知る。翌日、息子は未だ子供だから誘惑しないで欲しいと女に忠言するが、逆に、父の方も女の色香に惑わされてしまうのだ。ミイラ取りがミイラになってしまった訳だ。

 少年も、父がその女と関係を持った事に気付き、父子の関係は悪化する。お互いが嫉妬心を剥き出しにするのだ。

 それとほぼ同時に、猛烈な頭痛が2人を襲う。父子の顔、皮膚を突き破り、その内側からどんどん蜜蜂が湧き出るのだ。それは、見る見る全身に広がり、父子は骨だけになってしまう。

 その蜜蜂達は、美しい女の下へ向かう。この女こそ、蜂の女王なのだ。蜜蜂の運ぶ蜜、生気により、女は、より美しく、より甘くなるのだ。
 そして、また、次の獲物が現れないかと花畑に立つのである。

 少年の性への目覚めを描いた作品と言えば、少しは文学的であろうか。また、男は、美しい女の養分になるものだとも言える。
 クライマックスで、美しい女の顔が女王蜂になるシーンがあるが、そこの部分だけが少し残念ではあったか。ここではホラーを持ち込む事なく、女そのものの魔性で終結させた方が余程恐ろしかったに違いない。


日野日出志異色短編作品集「私の悪魔がやって来る」論 最後に

 この優れた短編作品集「私の悪魔がやって来る」であるが、単行本全体を見渡すと、やや府に落ちない点が幾つか存在する。

 まずは、裏表紙に使用されている「女の箱」のイラストである。「女の箱」は、1972年に芸文社の「まんがNO・1」に発表された24ページの秀作である。「まんがNO・1」は、今は亡き天才赤塚不二夫が責任編集をした全く新しいカテゴリーの漫画誌であった。
 「女の箱」は、当然、作品としては「私の悪魔がやって来る」には収録されてはいない。ただし、単行本のページ数の都合なのか、巻末に、箱の女が、手にする箱を開き、幼少の頃のノスタルジックな記憶を思い起こす見開きのページのみが収録されているのだ。この事はどう言う意味を持つのだろうか。元々は、「女の箱」を収録する予定であったのか。

 そしてもう一つは、この異色短編作品集の表紙である。この表紙は、明らかに収録作品の内容にはなく、残念ながら、その作品を特定する事は、日野漫画ファンを自称する私にも叶わない。それと言うのも、今だして単行本に収録されていない日野漫画は多く、私とて、この表紙のイラストの作品に巡り合っていないのだ。直感で申し訳ないが、やはりこの年度、1972年に「ヤングコミック」に発表された「ほくろ」なのではないか、と想像するが、如何なものであろうか。

 そして、カラー口絵は、1987年にひばり書房から再刊発行された「怪談雪女」の表紙をそのまま使用したものと、もう一つは、言わずと知れた「蔵六の奇病」である。この辺りを見ても、今一つコンセプトのはっきりしない一冊ではある。

 しかしながら、この短編作品集「私の悪魔がやって来る」は、1972年から1973年の、油が乗りに乗った日野漫画をこれだけ収録し、世に輩出した訳である故、間違いなく価値のある一冊であると評価出来るだろう。

 私は、この「私の悪魔がやって来る」論の冒頭で、敢えて日野日出志が封印した作品ではなかったかと書いた。そう考えた方が、浪漫があるとも書いた。

 ただし、普通に考えれば、当時のひばり書房を中心とした単行本の読者層には合わなかった、と言う事が主な理由であろう。今から思えば、「恐怖列車」の初版発行版に「竹藪地蔵怨絵草紙」が収録された事の方が奇跡と言えたかも知れない。どう考えても、「恐怖列車」、そしてひばり書房のヒット・コミックスの読者層、ターゲットは少年達であったはずだ。
 あの「赤い花」でさえ、初めて単行本に収録されたのは、これも「水色の部屋」の項目でご紹介したが、1987年にペンギンカンパニーから発行された「赤い花・怪奇幻想作品集」で、発表してしてから15年の歳月が経っているのだ。

 それにしても、「赤い花」を輩出した1972年は、大変な豊作年度であったと言っていい。他にも、既に単行本に収録されている「少年キング」に発表された大人のメルヘン、猫化け夜話「かわいい少女」、沼の主であるナマズが取り憑いた少年の成長記「お〜いナマズくん」、また、「少年チャンピオン」に発表された、何の変哲もないいつものクラスルーム、いつもの先生に隠された出来事を描く「ぼくらの先生」なども、中々の密度が高い作品である。

 また、これもどう言う訳か、1972年は殆ど少年誌に発表していない。この辺りも突き詰めると面白そうだ。この年度に発表した少年漫画は、何と、前述した、単行本に収録されている「かわいい少女」、「お〜いナマズくん」、「ぼくらの先生」の3作品のみなのである。
 この事は単なる偶然なのだろうか。しかも、それは1973年まで続き、1973年半ば辺りから再び少年誌に発表を開始するに至るのである。

 最後にもう一つ。私は、この年度に描かれた数多い美女について考察したい。
 敢えて何度も繰り返したが、日野日出志の描く美女は、雪のように白い肌、一重瞼の切れ長の目、血が滴るような真紅の唇、そして、ほくろである。勿論、どんな漫画家も、ヒロインの造形は似通う。自身の理想の女性像が反映されるからである。ただし、日野漫画ではどうか。色白、切れ長の目、赤い唇、そこまでは理解出来るだろう。ここで、やはり拘りたいのは、ほくろの存在だ。これはリアリズムである。明らかに実在のモデルが存在するとしか思えないからだ。

 何の事はない。このモデルこそ、1972年にご結婚された現在の奥様ではないかと考えるのは余計なお世話か。


 日野日出志先生へ 追伸
 日野先生の女性感に立ち入った非礼をお許しください。しかしながら、ここまで書いて奥様にほくろが無かったらどうしましょう。そんな事は有り得ないと確信はしていますが。

 今年に入り、日野漫画のコレクションは更に充実しました。ヴィンテージ漫画専門古書店で物色、また各オークション・サイトで入札し捲りで、オムニバスまで入れると、優に100冊は超えています。海外発行を除けば、コンプリートまであと10冊を切りました。

 ここまで雑文にお付き合い頂きありがとうございました。また年末にお会い出来る事を楽しみにしています。