清水正の『浮雲』放浪記(連載54)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載54)
平成△年8月11日
 加野が戦前・戦中の自分の事を〈昔の加野さん〉と言っているのは、彼が過去の自分と今現在の自分の間に決して埋めることのできない深い溝を感じていることの一つの証である。揺るぎのない国家理念のもとに戦争へと突入して戦った兵士はもとより、国内において本土決戦さえ覚悟していた日本人民すべてにとって、敗戦という事実をどのように受け止めればいいのか。〈信じていたもの〉あるいは〈信じさせられていたもの〉が、無条件降伏によって悉く崩れさった時、生き延びた者はその後、いったいどのように生きていけばいいのだろうか。
 富岡は『悪霊』を読んでいたのだから、少なくとも観念の次元では〈善悪観念の摩滅〉という虚無のただ中に置かれていたことになる。日本が戦争へ突入していく上での〈大儀〉などそもそも信じていなかったということである。加野は日本が戦争に負けるとは思っていなかった。当時の日本人の大半は素朴に日本の勝利を信じていたことだろう。その点で加野は大半のふつうの日本人の思いを体現した存在と言える。敗戦後の混乱期に、軍部の戦争責任を追及する者、共産主義に賛同して左翼運動に走る者、アメリカの国家戦略(植民地支配)の手先となって巧妙に立ち回る者、さまざまな役割を果たす者たちが生まれてきたが、確かに言えることは敗戦によって士農工商のうちの〈士〉が消滅したことである。敗戦後、六十五年たった今日においても事情はまったく変わらない。政治家の言葉は紙風船の紙よりも軽くなった。誰が勝とうか負けようが、どの党が政権を握ろうが、敗戦国日本の現状を根幹から立て直すことはできない。日本の総理大臣などおもちゃの人形に名札をつけて三ヶ月ごとに交代しても何の影響もない。敗戦国日本の行政は優秀な実務家たちの集団(官僚)によって動いている。政治家を装った者は五万と存在するが、自らの言葉に責任を持った政治家は存在しない。
 加野は敗戦後の自分はすでに死んでしまったという認識がある。加野は肺病で必ず死ぬだろうが、その前に敗戦と同時に死んでいる。しかし、ここが、最も重要なことだが、〈生きながらの死骸〉である加野は、林芙美子が書いた『浮雲』という小説の中では永遠の命を獲得して生き続けているということである。今の偽装政治家たちには〈生きながらの死骸〉という認識すらないだろう。ましてや、ニコライ・スタヴローギンの影響を受けた富岡の〈卑劣漢〉ぶりなど理解することさえできないだろう。彼らは自分の卑劣漢であることを自覚できない卑劣漢で、この手合いは自分ほど立派な人間はいないと思っている。
 近頃、小学校の学級委員並の小粒な政治家揃いで、テレビカメラの前でいい子ぶりっ子を演ずることには長けている。政治はまさに〈演技〉の問題になっていて、国家の自立とその運営から遠く離れて、先勝国の思うがままになっている。
 林芙美子は『浮雲』で政治について語らず、政治家について語らない。『浮雲』で富岡、加野、ゆき子の父親は〈不在〉であるが、日本の政治家など〈不在〉の位置すら与えられていない。戦前、戦中、敗戦後の世界を生きているのは〈生きながら死骸〉となった加野であり、インチキ宗教で金儲けしている伊庭であり、魂のなくなった富岡である。敗戦後の日本人男子を問うなら、この三人から問わなければならない。
 絶対価値を喪失した人間が、そこからどのように立ち上がってくることができるのか。絶対価値の喪失は、それを信じていた者の死を意味する。死ねずに生き延びた者は、よほどのアホでない限りは絶対価値の相対化という屈辱の虚無の洞穴に放りこまれることになる。加野は「ひどい目にあったもンですよ。でもね、これも仕方がないとあきらめています」とも言っている。向井清吉も戦争で子供を亡くし、妻とも離婚し、すべては巡り合わせだという、いわば日本の敗戦も含めてすべてを運命として受け入れるほかはないということを語っていた。
 向井のいう〈めぐりあい〉は、ニーチェのいうすべてを積極的に受け入れる運命愛とは違う。そこには深い諦めが張りついている。林芙美子は残酷にも、おせいを家出させ、富岡といい仲にさせることで、ひとのいい向井の〈諦め〉の深さがどんなものであるかを試みる。向井はおせいの居所を発見し、よりを戻そうとして拒まれ、おせいを殺してしまう。こういった設定は、富岡の心中妄想以上に説得力がなく、わたしは評価しない。林芙美子は富岡とゆき子の腐れ縁を続行させるために、こういった安易な小説的な処理をすることがあるが、これはいただけない。もし、向井清吉によるおせい殺しにリアリティを与えたいのであれば、ゆき子が新聞記事でその事件を知ったなどというやり方ではなく、現在進行形のかたちで丁寧に描き込んでいかなければならない。向井とおせいは途中から、彼ら自身の主体を奪われた客体的な存在へと貶められてしまった。
 ゆき子は「あのころは、どうかしてたのね。みんな狂人の状態だったのね」と言う。加野も「全く狂人の状態だったな」と同意する。彼らはここで、傷害事件に発展する三角関係の事だけを念頭に置いているのではない。林芙美子は『浮雲』で戦線で戦っているたった一人の兵士も描いていない。戦争がどれほど〈狂人の状態〉において展開されるのか、芙美子は一行も記していない。林芙美子の眼差しは国家間の〈戦争〉も、男女間の三角関係の〈修羅場〉も等価なものとして見る、言わば小説家の眼差しである。規模の大小にかかわらず、〈戦争〉も〈三角関係〉も命がけの闘いであることに違いはない。加野は三角関係の闘いに敗北し、〈生きながらの死骸〉となって生きながらえている。
 加野は富岡と次元は違うが中途半端な男には違いない。林芙美子は富岡の狡さは丁寧に描いているが、加野に関しては手心を加えている。加野が本気で富岡を殺す気でいたら、殺していただろう。ゆき子がかばったくらいで、富岡を殺せなかったということは、要するにはじめから本気ではなかったということなのである。
 加野の中途半端は、ゆき子と会って慾情を覚えた最初の日に明らかである。加野は富岡を超えることができない。富岡の抱えた虚無を包む虚無を内包していなければ、富岡を抱くことはできない。加野は富岡と同じ次元のリングに立つことができなかった。加野の富岡に対する嫉妬は、敗北の証に他ならない。この敗北感から逃れる為の一つの手段として〈諦め〉がある。〈諦め〉とはすべてを運命として享受する悟りの境地に立つことだが、人間は生きている限り、肉の欲望に隷従しているのであり、どんなに悟りすましたようなことを口にしてもだめである。
 加野の衰弱した実存は、諦めの境地を招き寄せているが、この〈諦め〉自体のまやかしをゆき子は告発しない。もし告発すれば、加野の反撃にあうことは目に見えている。告発し、反撃し、赤裸々に言葉を投げつけあってほしい。余命いくばくもない加野が、今更何を遠慮する必要があろうか。敗戦後、生きる屍となって、おめおめと揺れる裸電球を病床から眺めている男が、何を気取って、悟りすましたようなことを口にしているのか。わざわざ訪ねて来たゆき子は、加野にとって格好の餌食であり、乙にすましている場合ではないのである。戦時中の〈狂人〉ぶりよりも、さらに狂人になってみるのでなければ、人間が生きて死んでいくその運命の何たるかを問うことにならないではないか。〈生きながらにして死骸〉となった加野が、ここで死骸のままに立ち上がり、自分自身の言葉を発しなければ、『浮雲』に再登場する資格はないのである。芙美子よ、どうする。