清水正の『浮雲』放浪記(連載39)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載39)
平成△年7月24日
 富岡は寝そべっていると瞼のなかに〈暗い森林のようなもの〉が浮かんでくる。富岡はここだけではなく、南方の緑の森林に存在の故郷とも言うべきものを見いだしている。これは富岡にとっては永遠の至福を約束する母胎の隠喩となっている。富岡がこの小説の中で最終的に決めた行き先は日本最南端の屋久島であった。戦争に負けた日本は、屋久島からさらに南に行くことは禁じられていた。が、ここで富岡も、また作者林芙美子も、富岡の瞼のなかに浮かぶ〈暗い森林のようなもの〉にことさら言及することはなかった。叙述は富岡の内面深く降下していくことなく、日本に引き揚げてきてからの加野についてほんの少し触れられる。山林事務官として研究一筋に励むはずの加野の運命を狂わせたのは、富岡とゆき子であり、そして日本の敗戦である。ここで、富岡は一度、加野を尋ねてみようと思うが、それは実現しなかった。
 もし、林芙美子が富岡と加野を直に対決させ、彼らを思想の次元に踏み込んで描けば、『浮雲』は思想小説としても深みのあるものとなったであろう。『悪霊』においてはニコライ・スタヴローギン、シャートフ、キリーロフ、ピョートル・ヴェルホヴェーンスキーなどといった重要人物たちが何回にもわたって思想上の議論を戦わしている。そのことで読者は彼らの思想の内容を的確に把握することが可能となる。『浮雲』においても、富岡兼吾、加野久次郎、伊庭杉夫、ジョオなどが、面と向かって、それこそ命がけで対決すれば、敗戦後の日本を生きる男たちのより赤裸々な姿が露呈されたに違いない。
 どういうわけか林芙美子は男たちを〈議論〉の座につかせることがなかった。口から言葉になって吐き出される思想など一粒の飯ほどの価値もないと思っていたのかもしれないし、単にそういった理屈っぽい小説を嫌っていただけのことかもしれない。いずれにしても、この〈三十三〉章を書いている時点においては、富岡と加野を会わせて、二人きりの対決、あるいは和解の場面を描く気持ちはあったのかもしれない。

  平和条約でも済んで、自由にどこへでも行けるような時が来たら、もう一度、一使用人となる覚悟で、富岡はサイゴンへ船出して行きたい気持ちだった。
 「眠い?」
 「いや、眠くはないよ。ますます眼が冴えてくるばかりだ。いろいろと生きる道を考えてるが、なかなかだね。これから……。女はいかなる場合も女だが、男はなかなかむずかしい」
 「女だって大変だわ・・・。あなたは頼りにならないし、私、一度、田舎へ戻ってみようと思ってるの、どうかしら?」
 「そりゃアいいさ、田舎へ帰って、健康なお嫁さんになるンだね。平和な生活にはいれたら、それが一番いいンだ」
 「あら、厭なひとね、お嫁さんになンてならないわ。田舎へ帰るっていうのは、そんな気持ちで言ってるンじゃないのよ。私には、私の生き方があるから、さよならをしに行くンじゃないの……」
 「ふうーん、君の生きかたがね。そりゃアそうだ。誰にだって、生き方はあるさ……。まア、それにしても、無理をしないがいいね。一生独身でゆくわけにもゆかないだろう」
  ゆき子は、炬燵に炭をついでいた。ぶうぶうと火を吹きながら、
 「まるで、他人みたいなことを言うわね」と怒ったように言った。
 (294〜295〈三十三〉)