清水正の『浮雲』放浪記(連載38)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載38)
平成△年7月23日
 加野は日本が戦争に勝つと信じていた。そんな加野をゆき子は〈ばかなひと〉と思っていた。戦争中の大半の日本人は戦争に負けるなどとは思っていなかったであろう。しかしダラットでの富岡は冷静に現実を見つめていた。「この土地には、日本の片よった狭い思想なぞは受けつけない広々とした反撥があった。おおようににふるまってはいても、富岡たち日本人のすべては、この土地では、小さい異物に過ぎないのだ。何の才能もなくて、ただ、この場所に坐らされている心細さが、富岡にはこのごろとくに感じられた。貧弱な手品を使っているに過ぎない。いまに見破られてしまうだろう」富岡はダラットに派遣された山林事務官にすぎないが、日本軍の無謀な戦いの行く末を見据えていた。加野は一途な男で、一度思いこんだことを冷静にとらえ直し、客観的に検証する能力に欠けている。加野はゆき子に対しても自分の思いを優先する余り、ゆき子の心が富岡に向いていることすら看破できなかった。
 正直で、ひとの良い男は女にもてない。少なくとも、動物本能的に激しい悦楽を求める女は加野や向井清吉のような男に牽かれることはない。おせいが会ったばかりの富岡とすぐに情交を結ぶのがその一つの証でもある。自分の心と軀に強く激しく揺さぶりをかけてくるような男、そういった男に女は牽かれる。富岡の場合は、彼の虚無、魂を喪失した〈しようのなさ〉がまた、負の魅力となっている。ゆき子は富岡の負の魅力からついに逃げ出すことができなかった女である。
 加野は恋敵となった富岡を殺そうとするが、かばったゆき子の左腕を刀で切りつけてしまい、逮捕されてサイゴンへ連行されている。林芙美子はこの重要な事件を現在進行形で描かず、主にゆき子が回想する形で描いた。ゆき子は事件に関して「じらして、からかって、罪を犯さしたのは、私たち」という認識がある。ゆき子の言葉をそのまま信ずれば、加野は富岡とゆき子を恨んでいなかったことになるが、加野が負の感情からまったく解放された善良な人間であったわけはない。ゆき子は富岡に向かって「得をしたのはあなたよ。ずるいンだから」と言い、富岡は「運がよかったね。それでいいンだよ」と返している。富岡は、殺されもせず、傷も受けなかった自分自身を〈運がよかった〉と見なして平然としている。富岡は加野のことに限らず、反省とか後悔とかいった感情に押し流されることはない。

  酒はかなりまわった。富岡は炬燵に寝そべって肘枕をしていたが、瞼のなかに、暗い森林のようなものが浮んだ。加野は、アフリカの森林調査と、瓦斯用木炭にな関する試験を完成して、仏印に木炭自動車の普及に貢献した、サイゴンの農林研究所のアロアルド氏について、瓦斯用木炭の製炭法と、薪炭林の中林作業に一生をかけると言っていたものだが、一つのことに熱中すると、何のうたがいもなく、その仕事にまっしぐらに熱中してゆける加野の純情を、富岡はいまになって得がたいものに考えていた。風のたよりでは、戻って来た加野は、何を考えてか、いっさいのいままでの生活にそむいて、横浜で自由労働者になっているとも聞いた。だが、その話は、実際に、加野に逢ってみなければ判らない。加野のような男だったら、自分の思いどおりなことを素直にやりかねないところもある。富岡は一度、加野を尋ねてみようと思った。 (294〈三十三〉)