清水正の『浮雲』放浪記(連載34)

清水正への原稿・講演依頼はqqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。
ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  
清水正の著作   D文学研究会発行本   グッドプロフェッサー
清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載34)
平成△年7月3日

 炬燵に膝を入れて、煙草を吸いつけていた富岡が、片手で髪の毛をかきむしりながら、 「おい、ここには酒はないのか?」と聞いた。
  ゆき子は黙って、部屋の隅の壜を二三本透かして見ていたが、「ないわ」と言った。富岡は毎晩酒がなくてはいられないようになっている。酒の力で心を引っ掻きまわしていなければ、ぐんぐん沈下してゆく自分の孤独さにそ耐えてゆけないのだ。連れて逃げてくれと言ったおせいを、富岡はそのまま置き去りにして来たことが、いまでは遠い昔に思えた。恋しくもあったが、どうでもいいことでもあった。所を教えてくれと言われて、富岡は出鱈目な住所を渡しておいた。おせいの心づくしの新しいパンツをはいて東京へ戻って来たが、それはまるで他人事のようでもあった。
    (289〈三十二〉)

富岡に煙草と酒は欠かせない。煙草は富岡の退廃的なダンディズムを飾る小道具の一つで、煙草を吸っていない富岡はどこか間の抜けた感じがする。酒もまた富岡の虚無的な世界を保証する一つの小道具である。富岡は酒が強い。どんなに飲んでも人前で嘔吐するようなぶざまな真似は決してしない。富岡の酒はセックスの前哨戦みたいなもので、女にとっては悦楽の実を食する前のエロスの時を味わうことになる。酒は日常の桎梏からの解放であり、相手を必要としない快楽を得させる。が、酒はマルメラードフの言いぐさではないが、時に深い悲しみと苦悩を味わうための嗜好品ともなる。
 富岡はゆき子と一緒にいる時、よく酒を飲む。ゆき子も飲むから、互いに酔いがすすめば自然とまぐわうことになる。肉の交わりによってつかの間、虚無の穴を埋めようとするが、肉の悦楽ごときで虚無の穴をふさぐことはできない。
 富岡はおせいが用意したパンツをはいたままゆき子と一緒に東京へ戻って来た。今さら富岡に帰るべき家もなく、ずるずるとだらしなくゆき子の小舎についてきた。ゆき子はゆき子で自分の肉についた醜い瘤のような富岡を切り捨てることができずにいる。おせいのパンツをはいたままの富岡、それを破り捨てないゆき子が、今、狭い小舎のなかに二人きりでいる。
 富岡の図々しさは、ゆき子に対する試しである。ゆき子がどこまで富岡の卑劣な図々しさに堪えられるのか、それを富岡は試し続けている。否、富岡には〈試している〉という自覚がないのかもしれない。これは一人、富岡だけの問題ではなく、作者の問題でもある。「連れて逃げてくれと言ったおせいを、富岡はそのまま置き去りにして来た事が、いまでは遠い昔に思えた」と作者は書いている。富岡はまさにゆき子の言うように〈大変な方〉である。
 酔いつぶれた向井清吉とゆき子の傍らで富岡はおせいと関係した。この〈関係〉はおせいにとっては自分を連れて駆け落ちするという〈暗黙の契約〉を意味していた。富岡は十分にそれを知っていながら、にもかかわらず、ここではおせいとの〈関係〉を〈遠い昔〉に思えている。少なくとも作者はそのように書いている。富岡とおせいがどのような言葉を交わしたのか、どのような約束をしたのかに関して、作者はだんまりを決め込んでしまった。富岡に欺かれているのは眼前のゆき子ばかりではない。読者は富岡と、富岡に寄り添う作者によって二重に欺かれている。おせいに住所を教えてくれと言われても、「富岡は出鱈目な住所を渡しておいた」のだし、おせいの心づくしの新しいパンツをはいて東京へ戻って来ても、そんなことはまるで〈他人事〉のようであったというのであるから、ゆき子はそんな富岡を切り捨てることができずに、小舎にまで連れて来てしまうのである。
 富岡の気持ちは若いおせいに向いているが、しかしそのことでゆき子を捨て去ることもできずにいる。富岡は一人の女を選択することができない。一人の女だけを好いていなければいけないなどと言う考えに縛られてもいない。いわば富岡は複数の女を必要としている男と言える。私一人を愛して欲しいという女からすれば、こういう男は許しがたい男となろうが、しかしほかの女と関係した男を裁断して、別れることのできる女のその男に対する愛はその程度の、すなわち自己愛の次元を越えることのない愛だったという証明にもなる。ゆき子は伊庭と三年もの間不倫の関係を続けていたし、ジョオと関係も結んだ女であるから、浮気者の富岡を一方的に責めることはできない。
 男と女は、畢竟、男と女で向き合うほかはなく、訴訟などおこして法律に委ねたその瞬間から男と女のリングから降りたことになる。ゆき子はおせいの心づくしのパンツをはいたままの、その不埒な富岡との関係性に終止符を打たない。

 「飲みたい?」
 「飲みたいねえ……」
 「そう、今夜は貴方を飲みづぶさせてやるわね……」
  ゆき子はコオヒイを淹れながら、冗談を言った。その癖、酒を買いに行く気はなかったのだ。
 「まだ、気にしているのか?」 
 「あら、私が、何を気にしてるの?」
 「いや、何でもない。お互いに命びろいをした祝賀会でもするか……」
゜「おせいさんに救われたようなものね」
 「猿ッ子にかい?」
 「いい軀してるじゃないの? バスの処で、おせいの眼に、涙が光ってたわ」
 「ふうーん」
(289〈三十二〉)