清水正の『浮雲』放浪記(連載9)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載9)

平成△年3月18日
亭主は「たくさんの人を見る商売ですから、この眼に狂いはありません・・・。自分はあなたを絵描きじゃないかと見たンですが、お役人とは思わなかったな」と正直に話す。富岡が漂わしている雰囲気は、いかにも官吏といったものではない。なにしろ富岡はドストエフスキーを愛読しているインテリで、単なる事務官であったわけではない。引き揚げて来てすぐに農林省を辞めているのも、富岡が官吏生活に嫌気がさしていたからである。正月早々に伊香保温泉でくつろいでいるかに見えた富岡が、自由人の絵描きと思われてもべつに的外れではない。
 亭主は富岡のオメガに気をとられ、富岡とおせいの関係に動物的な勘を働かせることができなかった。亭主の眼に狂いがなければ、富岡がおせいにちょっかいをかける男であることも看破できていたはずだが、亭主はどうやらそういった方面には疎かったようである。成瀬映画ではおせい役は天下の美女岡田茉莉子が演じており、こんな若くて美しい娘を妻にしていれば、不断に警戒心を怠らずに男客に接していただろうが、原作のおせいは田舎出の〈猿ッ子〉として描かれており、オメガの時計を腕にはめているようなダンディな富岡が、まさかおせいにちょっかいをかけるなど夢にも見ていない。
 富岡は亭主に名刺を渡して材木方面の仕事をしていることを言い、資金繰りと統制でちにっちもさっちもいかないことを愚痴る。亭主もまた安酒場の経営者として、統制、税金、密告の苦労を語る。日本の経済状況は昭和二十年代の敗戦後も平成二十年代の現在も基本的には何も変わっていない。亭主の言う「よろこんで働けねえようにしといて、いじめる」は、今も昔も変わらない役人のやり口である。闇米の流通は杓子定規の統制を巧みにくぐり抜ける庶民の知恵であり、たくましい生活力の現れである。日本の国民は焼け野原の荒野から立ち上がったのだ。富岡は農林省を辞めて材木屋に、亭主は魚屋をやめて小さなバーの経営者となって敗戦後の混乱期を生き抜こうとしている。富岡は慣れぬ実業の世界に乗り出して挫折し、亭主はいつか東京へ戻って魚屋をやろうとしているが、おせいに反対されてぐずぐずしている。

平成△年3月19日
ところで、亭主は富岡を絵描きと間違えたが、間違えたのは富岡を元官吏で、今は材木屋をやっているという作者の設定のほうが間違っていたのではないかとも思う。ドストエフスキートルストイを読んでいる農林省事務官はまだ理解できるが、わざわざ農林省を辞めて材木事業を始めた富岡を理解することは容易ではない。
 わたしは富岡ができもしない心中妄想を起こした時点で、批評衝動が著しく減退し、キーボードを打つ手が止まった。『浮雲』を読み続ける中で、これはとってつけたような設定だなと思う時は一度や二度ではない。わたしは女のリアリズムというのは確かにあると思っている。まず、ゆき子はジョオを小舎に引き入れ、関係を結んだ時点で富岡との関係を切断したと思う。いわゆるこの時からゆき子は外人兵士を相手にした淫売稼業に踏み込んだのであり、事業に失敗して惨めな姿を晒している富岡に、特別な未練を抱く必然性など微塵もなかったように思う。
 女のリアリズムは残酷であり、富岡を小舎に招き入れたり、速達で呼び出されてのこのこ待ち合わせの駅に出かけることもあり得ない。前に指摘した通り、『番菊』のおきんにはリアリティがあるが、いつまでもどこまでも富岡に執着し続けるゆき子にリアリテイを感じることはない。作者は意地になっていたのではないかと思うほど、富岡とゆき子の腐れ縁を執拗に描き続けた。わたしは『浮雲』はゆき子がジョオとの関係に踏み込んで行った時点で幕を下ろしてもよかったと思うが、林芙美子はそうはしなかった。
 富岡にとっておせいの存在は大きい。なにしろ、富岡はゆき子との心中に失敗し、と言うよりは、その妄想から解放され、魂の消えてしまった空虚な実存を蘇生させるために、おせいに期待するところがあったからである。向井清吉と一緒になっていても、おせいは特別に向井を好きであったわけではない。おせいは東京に出てダンサアになるのが夢であり、チャンスさえあればいつでもバスに乗って家出するつもりなのである。こんなおせいにとって富岡は絶好のカモに見えたに違いない。一方、富岡にとってもおせいの若い躯は魅力的であった。おせいに深い精神性など微塵も感じないが、富岡のような魂がなくなって空虚な実存を消耗して過ごしているような男にとっては、相手の女が愚鈍で精神性がない分だけ救いを感じるのである。頭でっかちの、いつも理屈を吐き出しているような女にではなく、おせいのような女のうちに大いなる母性を感じる男がおり、富岡もまたそういった男と言っても間違いではない。

 「旦那はずっと東京ですか?」
 「そうです。幸い、家も焼けなかったンだが、どうにもならなくて、家も売っちまった」
 「自分は、親の代から、ずっと本所業平にいたンですが、三月九日の大空襲で、家は焼け、子供は一人死にましたが、日本へ戻って来てから、その家内とも別れて、いまの女房と、こんなところに家を持ったンです。やっぱり東京へ戻りたくて仕方がねえンでさア。自分は魚屋が本業なンですがね。・・・いまの家内が、魚屋は厭だって言うンで商売しています・・・」
 「おかみさんは、さっきの?」
 「ええ、娘みてえに若いので、どうもお恥しいンですが、自分は、何事も因縁で、これも一種の前世からのめぐりあいだと思っています。ーーめぐりあいってものは、旦那、大切にしなくちゃいけねえ、めぐりあいにさからっても仕方のねえことだと、自分は考えてまさア、運命にさからわねえようにしております・・・」
  頬紅をこってりつけた女が、この男の細君なのかと、富岡は妙な気がした。めぐりあいは大切にしなくちゃいけないと言われたことが、胸にこたえて、ゆき子との関係もめぐりあいには違いないのだと思えた。
 「広島の大竹港へ着いて、桟橋で、キャメルの袋が落ちてましたが、あの色ってものはきれいだと思いましたな。とうとう、敗けたンだと、その煙草の袋で思い知りました。戦争に敗けるのもめぐりあいだ」
 「時計を買って貰うのも、めぐりあいかな」 
  富岡は酔っていたので、気持ちが楽になっていた。軽い冗談を言いながら、亭主から煙草を貰って、一本つけた。烏がばかにそうぞうしく鳴いている。南京豆を反歯で噛みながら、亭主は、ジャンバアのチャックをまさぐりながら、
 「いや、世の中のことは、すべて、気運ってものがきまっているンですよ。このままで日本が戦争に勝っていた日にゃア、もっと、ひどいめにあっていましたよ。ーー戦争ってものはばかばかしいって知っただけでも、たいしたことでさア・・・。でも、自分も、これで、ボルネオなんて南の果てまで行ったンだから、これも因縁事だと思わないわけにはゆかないね」
(275〜276〈二十八〉)

 亭主はすべてはめぐりあいだという。ここには向井清吉の深い諦めの念が込められている。戦争で子供を失い、離婚して、おせいと一緒になるまでの間に彼の人生のドラマがある。作者は事細かに描いていないが、向井は人生の妙を〈めぐりあい〉という言葉に凝結させている。が、向井は、この小説で描かれた限りでみれば、〈めぐりあい〉の神秘に何ら触れていないことになる。めぐりあいの神秘に触れているなら、富岡とおせいの〈めぐりあい〉に敏感に対応できたであろう。
 向井はよく言えばおせいを信じきっているが、おせいのことをなにもわかっていないということになる。他者はいつでも他者であって、わかっているつもりが、なにもわかっていないということはよくあることだ。向井はおせいが何を望んでいたのか、その真実を知ることがなかった。
 おせいは〈ダンサア〉になりたいと富岡に言った。おせいにおける〈ダンサア〉が何だったのかそれが問題である。作品の展開においては、おせいは富岡を追って東京に出てきて、短い間だが富岡と一緒に暮らすことになる。向井清吉はおせいの居所を捜し当て、復縁をせまるが、拒絶されて殺してしまう。この設定は、富岡の心中妄想以上にリアリティがない。戦争で子供を失い、離婚経験もある向井は〈めぐりあい〉というキーワードでおせいと共に敗戦後の伊香保温泉でつつましく生きていた。すぐに富岡になびくようなおせいと一緒にいながら、悟ったような口をきくなら、おせいと富岡の〈めぐりあい〉も素直に認めなければならなかっただろう。