清水正の『浮雲』放浪記(連載8)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載8)

平成▲年12月30日
 『浮雲』論はどこまで続いていくのか。自分でも興味がわいてきた。林芙美子が富岡とゆき子の関係を執拗に追い続けていったように、批評もまたさらに執拗に追い続けていくほかはない。ぴったりついたり、後方に位置したり、俯瞰したり、自在に視点を変えてどこまでも追っていく。ゆき子は屋久島で病死するが、富岡は生き続ける。ゆき子を病死させた林芙美子が、さらに生き続ける富岡を執拗に追っていくところにわたしなどは涙する。わたしの批評、この『浮雲』論がめざすのは、作者林芙美子を抱きしめることである。四十七歳まで一時も休むことなく書き続けた、すなわち戦い続けた林芙美子にわたしは深く感動する。『浮雲』を徹底して批評することで、わたしは林芙美子を全身全霊で抱きしめたい。

かつて阿部定の供述書を批評したときに、わたしは定の孤独に肉薄し、彼女の肩に毛布をかけてやりたいと思ったが、それは見事に失敗した。定の孤独の淵は余りに深く、そこにたどり着くことはできない。わたしはわたしの孤独にとどまるほかはなかった。今回の『浮雲』論も林芙美子の孤独にたどり着くことはできないかもしれない。しかし『浮雲』論を徹底的に押し進めることで、わたしなりのこの作品に対する敬意は示したいと思っている。『浮雲』が書かれてから六十年、わたしが還暦を迎えた今年に『浮雲』論を書き始めた偶然を必然にしたいと思っている。

平成△年2月12日
 久しぶりに『浮雲』を読み始める。〈二十八〉は富岡が時計を売りに旅館から外に出て時計屋を探すところから始まる。作者は次のように書いている。

「石の階段を下りて、射的やカフェーの並んでいる、狭い町へ出て行った。毛皮の外套を着た女が、土産物屋をひやかしている。富岡はどてらだけでは寒かったが、がまんして時計屋を探した。バスの発着場のそばに、バーのようなものがあり、頬紅を真紅につけた女が、富岡に「お兄さん寄っていらっしゃいよ」と言った。 (272〈二十八〉)

 林芙美子の描写は映像的に鮮やかで、読者は富岡と一緒に伊香保温泉の町を歩いているような気持ちになる。富岡が〈石の階段〉を下りた時、読者もまた〈階段〉を下りている。心中を妄想して部屋の中に閉じこもっていたその世界から富岡は現実の世界へと下りてきたということである。読者は富岡の眼差しとなって現実の伊香保の町を歩く。〈射的〉〈カフェ〉〈土産物屋〉〈バスの停車場〉〈バー〉と富岡の眼差しがとらえるものは、まさに現実に存在するものである。富岡は〈時計屋〉を探して歩いているが、彼が〈石の階段〉を下りた時点で、心中妄想から完全に解放されていることは明らかである。富岡は現実を生きようとして〈時計屋〉を探しているが、その眼差しは〈女〉をもしっかりと捕らえている。〈毛皮の外套を着た女〉〈頬紅を真紅につけた女〉など、富岡が捕らえる〈女〉は派手な格好や化粧をした女である。前者の毛皮の女など、ゆき子が深夜の温泉で一緒になった女であっても少しもおかしくはない。

平成△年2月13日
 場面は富岡の眼差しで捕らえられているから、もし毛皮の女がそうであっても、富岡にはわからない。映画にすれば、観客にはその見分けがつくことになる。作者はここでは、富岡の眼差しに捕らえられた〈女〉を描くにとどまっている。富岡が探している〈時計屋〉と〈女〉は同等の価値を持っている。直感としては、もはや富岡は絶対に死なない。彼はどんなことがあっても生き延びていくだろう。作者はどういうつもりであったか知らないが、富岡の心中したいという気持ちにリアリティはまったくなかったし、一時の妄想から覚めれば、彼の前には微動だにしない現実の世界が存在している。〈頬紅を真紅につけた女〉に「寄っていらっしゃいよ」と声をかけられたことから、富岡はまっすぐに現実の世界へと参入していくことになる。

 こんな女に聞いてみるのもいいと、富岡はつかつかと女のそばへ寄って行き、狭いバーの中に入って行った。バラックにペンキを塗っただけの鳥小舎のような家の中であった。富岡は、寒いので酒を注文した。女は瀬戸の火鉢を奥から抱えて来て、富岡に股火鉢をすすめてくれた。
 「ねえ、君は、この土地の人かい?」
 「近くなンです・・・」
 「伊香保って、古い町かと思ったら、案外新しい町だね・・・」
 「大火があったそうで、こんな町になったンでしょう? 昔はよかったンですってね・・・」
  烏がばかに啼きたてていた。熱い酒をコップにあけて、富岡はぐうっと一息に飲み干して、金を払い、女に時計屋はないかと聞いた。女は奥へ行って聞いて来ましょうと奥へ行きかけたので、富岡は腕時計をはずして、これを持って行って聞いてみてくれと言った。やがて、奥から、小柄な頭の禿げた亭主らしい男が出て来た。
 (272〜273〈二十八〉)

 富岡は伊香保温泉の町を時計屋を探して歩き回っていたが、〈こんな女〉に聞いてみるのもいいと思って〈女〉のそばに寄っていき、〈狭いバー〉の中に入っていく。この〈女〉は〈頬紅を真紅につけた女〉で、お世辞にも品のある女とは言えない。ここには単なる偶然とは言えない、男と女の神秘的な出会いが感じられる。富岡が入って行った〈狭いバー〉は〈バラックにペンキを塗っただけの鳥小舎のような家〉であり、それは永遠の住処としての〈家〉とはほど遠い代物である。それは要するに、仮の宿であり、〈バー〉もまた仮の仕事ということになる。
 しかもこの鳥小舎のような店は〈バスの発着場のそば〉にあることに注意しておく必要がある。今、わたしの脳裏に浮かんでくるのは、今村昌平監督の代表作『赤い殺意』の主人公貞子(春川ますみ)が籍の入っていない夫と子供と三人で住んでいた線路下の家である。貞子は潜在意識の中で、いつも〈ここ〉ではない〈どこか〉に自由を求めていた。東京へと続く線路、その上を走り抜ける汽車を、今村監督は見事に象徴化して描いた。
 林芙美子の描写はたんたんとしていて、うっかりすると、その重要性を見逃すことになるが、しかしじっくり眼を据えて読み進めていくと、その描写は実に鮮やかでドキッとする。富岡が捕らえた光景は、〈バスの発着場のそば〉に立っていた〈頬紅を真紅につけた女〉であり、まさに富岡は〈こんな女〉に何か感ずるものがあって女に近づいて行ったのである。
 〈女〉の側に立てば、この女もまた富岡に何か宿命的なものを感じて声をかけたのだとも言えよう。引用した場面に限定すれば、この品のない化粧をした田舎まるだしのような女に、富岡は出会ったばかりのゆき子に共通する何かを感じたのかも知れない。いずれにせよ、旅館から石段を降りて、町中へと出てきて、最初に言葉を交わした女が、バス停そばの〈頬紅〉の女であったことは興味深い。
 富岡は足りない部屋代を得るために〈時計〉を売ろうとしているわけだが、〈時計〉を売るということは現実世界の基本的な決まり事から解放されるということも意味している。二人で手に手をとってバスに乗り込み、〈ここ〉ではない〈どこか〉へと逃げていくこともできる、ということである。きわめて日常的な世界を描写しながら、そこに富岡と〈頬紅〉の女の行く末を予告させるような象徴性を潜ませていることは並の小説家にできることではない。林芙美子の描写は表層の底にもう一つの舞台が潜んでいることによって光景に厚みを感じる。
 女は〈股火鉢〉を奥から抱え持ってきて富岡にすすめる。このこと自体に〈女〉と富岡の男と女の性的関係の隠喩をみることもできよう。富岡の第一声は「君は、この土地の人かい?」である。〈頬紅を真紅につけた女〉がいかにも、温泉街の玄人女とかけ離れた印象を与えたのであろう。
 作者は「烏がばかに啼きたてていた」と書いている。富岡と〈女〉のなにげない会話の背景に〈烏〉がばかにないているというのが、二人の未来を暗示して不気味である。作者は、富岡の耳に烏の鳴き声がどのように聞こえていたかはいっさい触れない。富岡は熱い酒を一息に飲み干し、金を払い、時計屋はないかと聞く。奥から出てきたのは〈小柄で頭の禿げた亭主〉である。この亭主と〈頬紅を真紅につけた女〉の組み合わせは滑稽に映るが、今はそういったことに関しては不問に付しておこう。


平成△年2月14日
 「旦那、いくらくらいなら、手放しなさるンで・・・」
  富岡は亭主らしい男が、わざわざ出て来たので、きまり悪そうに二三日前に伊香保へ女を連れて来て、つい、伊香保が気に入り、一泊のつもりが、今日まで滞在したのだが、勘定がが少々足りなくなったので、それを売りたいのだと話した。
 (273〈二十八〉)

 林芙美子はだてに幼年時代に父母と一緒に行商をして各地を渡り歩いていたのではない。商売上の駆け引きはからだに染み込んでいる。ここに引用した場面だけを見ても、そういった体験で身につけた駆け引きがさりげなく、だが端的に表現されている。亭主がわざわざ奥から出てきたということで、すでに富岡の腕時計に並々ならぬ興味を示したことがわかる。富岡は亭主に変な疑いを抱かれないように、金が入りようになった事情を話す。さらに「本当は、売りたくない」と口に出して〈時計〉の値をつり上げることも忘れない。ダラットでの富岡のイメージは、倦怠感を漂わせたインテリの役人であったが、ここでは商売人の顔ものぞかせている。

 「いい時計ですね」
 「ああ、南方で買ったンだ・・・」
 「ほう・・・南方、旦那は南方のどこへおいでなすったンですか?」
 「仏印に行っていたがね・・・」
 「ああ、そうですかい。自分もね、海軍で南ボルネオのバンジャルマシンってところに行ってましてね。去年引揚げて来たンでさア・・・」
 「ほう、南ボルネオ・・・。大変でしたね。あすこは、海軍地区でしたかね?」
 「ええ、そうです・・・。淋しい処でしてね。それでも、土地の人気はいい処でしたね。あの土地で、この時計をいっぺん見たことがあるンで、いい時計だなと思ったンですよ。ーーいったい、どのくらいなら、放しなさるンですかね?」
 「どこか、売れ口でも、心当りがありますか?」
 「いや、自分がほしいンですよ。いっぺんはこんな時計がほしいと考えていたンです。シーマアか、エルジンあたりでもいいなンて思って、いまだにそんな時計を持ったことがないンでね。先日も、バルカンというのを見ましたが、どうも、古い型なので、気に入らなかったンですよ。ーーこんなスマートじゃないンで、もし値段の折れあいがつけば、ゆずってくださいよ」
 「そんなにほしいのなら、ゆずってもいいんだが、あなたのほうで言ってください。僕はどうも・・・」
 「さア、私も商売人じゃないし・・・一本ではいけませんか?」
 「一本? 一万円ですか?」
 「ええ、それで、いかがですかね、時計屋へ持っていらっしても、足もとを見られて、五千円くらいのものだと思いますがね・・・」
  富岡は、それもそうだと思った。このあたりの知らない店に持って行けば、五千円もあぶないかもしれないと思ってはいたのだ。
 (273〜274〈二十八〉)


平成△年2月16日

 林芙美子は女や男がからだに身につける装飾品に関して実に丁寧に描いている。〈時計〉が一万円の値がついたということは、戦後まもない頃、〈時計〉が貴重品であったとこともさることながら、富岡の所持していたものがブランドものであったことを示している。〈時計〉のコレクターは昔も今も存在するが、〈時計〉に限らず、コレクターは欲しいものを入手するためには時間も金も惜しまない。富岡はダンディな男であるから、身につけるものに関してもそうとう意識して選んでいる。富岡がゆき子と心中するつもりで伊香保温泉にやってきたというのに、この高価な〈時計〉を今まで手放さなかったことは、やはり彼がこの〈時計〉に特別な愛着があったのであろう。バーの亭主が〈時計〉に関してシーマアとかエルジンとかのブレンド名を口にしているのは、もちろんこの亭主が〈時計〉好きなのであろうが、作者の林芙美子がこういった品物や装飾品に特別な興味をもっていたことも反映していよう。
 〈時計〉に専門的な知識があれば、取引はスムースに運ぶことになる。さらに、亭主は富岡が〈時計〉を南方で入手したことを知ると、自分は海軍で南ボルネオのバンジャルマシンにいたことを話す。富岡は山林事務官として軍からダラットに派遣されていたのであるから、海軍の兵隊として南ボルネオにいた亭主とでは苦労の度合いは比較にならないだろうが、今、二人は〈時計〉の売り買いを介して親密な関係性をとりむすぶことになった。
 亭主は自分が商売人ではないことを正直に話し、富岡の〈時計〉を相場以上の値段で譲り受けたいと申し出る。これだけでも、亭主が駆け引き根性の希薄な誠実な人柄であることが伝わってくる。この亭主が、バーの経営に成功するとはとうてい思えない。やがて、〈頬紅を真紅につけた女〉が彼の妻であることが報告されるが、このだいぶ歳の離れた男と女が今後とも順調な暮らしを続けていくとも思えない。何しろ、この物置小屋のようなバーのすぐ隣にバスの停車場があるのだ。亭主が自分と一緒になることを承諾した〈若い女〉と末永く暮らそうと思うなら、〈時計〉になどうつつをぬかすのではなく、若妻の心理の底をしっかりと覗いておく必要があったであろう。
 富岡はある種の女、つまりゆき子のような女につきまとわれる性質を天性的に備えている。若妻が富岡に声にかけた、その瞬間、どのような表情をしていたのか、わたしが映画監督なら、その顔の表情をアップで撮りたいと思う。成瀬巳喜男の映画『浮雲』では、亭主役を加藤大介が演じていたが、加藤はこの男の実直な人柄を実によく出していた。おせい役は岡田茉莉子で、原作の〈頬紅を真紅につけた女〉のイメージからかけ離れた美人で、まさかこんな美人が二十歳も離れた離婚経験者の亭主と一緒になって、伊香保の薄汚れたバーの女給などを務めているわけはないと思うが、今は成瀬巳喜男のキャスティングに関してはこれ以上ふれないでおこう。いずれ、映画『浮雲』に関しては徹底的な検証を展開したいと考えている。
 引用した叙述場面でわかるように、カメラは富岡と亭主のやりとりを明確に映し出している。読者は、かねてから欲しいと願っていた時計を入手できるかもしれないという喜びを感じている亭主の顔、時計が思った以上の値で売れるかもしれないと思っている富岡の顔をまざまざと見ることができる。わたしの眼差しは、この描かれた二人のやりとりを、若妻のおせいがどのような表情で見ていたのか、その時おせいはどのようなことを感じ、どのようなことを思っていたのかにも向けられる。
 亭主は富岡の〈時計〉を一万円で入手する。富岡は自分の腕に巻かれていた〈時計〉を売り払った。象徴的なレベルで言えば、富岡は現世の秩序から解放されたということである。読者はすでに、富岡とおせいが駆け落ちしたこと、おせいが復縁を迫って拒まれた亭主によって殺害されたことを知っている。林芙美子は、『浮雲』における殺傷沙汰を現在進行形で描くことはなかった。加野が富岡を殺そうとして、富岡をかばったゆき子を傷つけてしまったこと、この事件は富岡、ゆき子、加野の三角関係の核心部に迫る重要な事件であるにもかかわらず、富岡やゆき子の断片的な回想によって再構築されるにとどまっている。

ELGIN1864年シカゴ市長のベンジャミン・ダブル・レイモンドが設立したナショナル時計株式会社の会社名。1869年に懐中時計の標準となるレディエルジンの生産開始も1910年にアメリカ陸海空軍の公式時計に採用される。レイモンドの信条は「品質は全てに優先する」。
CYMA創立140年以上の歴史を持つスイスの名門シーマの腕時計。1862年創業。時計職人のジョセフ・シュワオブがスイスのジュラ山渓谷に設立。1939〜1946年にかけて英国軍のミリタリーウォッチを製造、ヨーロッパを中心に、世界各国で愛用されている有数の時計ブランド。
OMEGA1848年ルイ・ブランがスイスのラ・ショード・フォンに時計工房を構える。1900年代初頭に、究極の時計という自負から、ギリシア語の最終文字Ω(オメガ)に変更する。

平成△年2月19日

亭主は、女にいいつけて、酒を持って来させると、富岡の卓子の横へ来て電気をつけると、自分の腕へ時計をはめて、ためつすがめつ眺めて、時計を耳へあててしばらく音を聞いていた。
 「なかなかいい音ですな。固い、いい音だ」
 「それは、帯革をかえるといいですよ」
 「いや、まだ、いいでしょう・・・。この帯革も気に入りましたよ。日本できじア、こんな柔いいいのはありません」
  女が酒を運んで来た。亭主は、奥へ引っこんで、しばらく出て来なかったが、やがて下駄を引きずるようにして、笑いながら、「かきあつめるようにして、全財産ですよ」と、卓子に十枚ずつの百円札を十字に重ねて行った。
 「仏印は、ボルネオと違っていい処だそうですね。旦那は兵隊ですか?」
 「いや、官吏で行ったンです。農林省に勤めていましたからね・・・」
 「ほう、お役人でね」
  亭主は、初め、女給が、オメガを持って奥へ来たので、帳場から、富岡の人品を眺めて、盗品ではないかと、思ったと笑って言った。
 「たくさんの人を見る商売ですから、この眼に狂いはありません・・・」自分はあなたを絵描きじゃないかと見たンですが、お役人とは思わなかったな・・・」
  亭主も少し酒を飲んだ。バスの発着ごとに小舎のような家はゆれた。読者は札束をふところに入れて、名刺入れから、名刺を出して、亭主に出した。
 「ほほう、材木のほうをおやりになっているんですか?」
 「役人をやめて、友人の仕事を手伝っているンですが、資金関係と、統制で、いまのところ、手も足も出ないンです」
 「統制統制、税金税金で、どうも、我々の仕事はうまく滑りだすことができません。みすみす、いい客がはいっても、ライスカレー一つ出せないンですからね。ーー何しろ、密告がやかましくて、あぶなくてどうにもならないンです。役人と来ちゃア、昔の代官と同じで、まったく、子供のガキ大将と同じでさア・・・」よろこんで働けねえようにしといて、いじめるンだから、闇がはびこっちまうンですよ・・・。宿屋じゃア、米はどうなンです?」
 「米がなくちゃア泊められないって言うンで、家内が、どこかで一升買って来たようですよ・・・」
 「なるほどね。そんなもンですよ。闇米はいくらでも売ってますからね。わざわざ、伊香保くんだりまで来る客を、追い返すみてえなことをして、何の宣伝もありゃしません。商人は客に来てほしくても、つまらん統制って奴が、尺子定規でね。えらい不景気が来そうですな」
 「物より金の時代になりますかね」
 「そうです。幸い、家も焼けなかったンだが、どうにもならなくて、家も売っちまった」
 (274〜275〈二十八〉)

 富岡が心中妄想に耽っている場面に何のリアリティも感じないが、こういったふつうの、ありきたりの現実の場面は、実にリアリティがある。富岡が腕にはめていた腕時計はオメガで最高級のブランドであったことがさりげなく報告されている。亭主は富岡の腕時計を自分の腕にはめて、ためつすがめつ眺め、時計を耳にあててしばらく音を聞いている。シーマア、エルジン、バルカンもブランドだが、言うまでもなくオメガにはかなわない。時計好きな亭主にとっては念願のオメガを耳にあてているのは、至福の時なのである。林芙美子は自分自身がブランド好きということもあってか、亭主の歓喜のひとときを見事に描いている。
 オメガはギリシア文字の最終文字Ωで、究極の時を意味している。富岡はいわば〈究極の時〉を腕に巻き付けていた訳だが、心中を覚悟してやってきた伊香保温泉でその〈時〉を手放す。深読みすれば、富岡は「時なかるべし」の時空へと踏み込んで行ったということになる。亭主にしてみれぱ、富岡の〈オメガ〉はずいぶんと高い代償を支払うこととなった。
 〈オメガ〉は現金一万円では収まらなかった。先走りするが、亭主の若妻おせいは富岡の後を追い、同棲することになる。亭主は妻を探しだし、復縁を迫って拒まれ、おせいを殺害してしまう。林芙美子は加野のが富岡を襲った場面を現在進行形で描かなかったように、おせい殺害の場面も、ゆき子が新聞記事で知るという、実にあっさりとした処理ですましている。富岡とゆき子と加野の三角関係と同様、富岡とおせいとゆき子の三角関係、富岡とおせいと富岡の三角関係もあっさりと片づけてしまう。
 前にも指摘したが、林芙美子は富岡と小泉と邦子、富岡とゆき子とニウの三角関係についてもほとんど何も具体的に描かない。小説の山場、小説をスリリングに盛り上げるのに〈三角関係〉ほど好都合な題材はない。にもかかわらず、林芙美子は三角関係の泥沼を正面切って描くことはしなかった。林芙美子はゆき子と富岡の二人だけの〈聖域〉にだれ一人として立ち入ることを許さない、そんな何かを感じさせる。
 亭主はオメガ(時計)の音に耳をすませる。が、この時亭主は〈究極の時〉の音はおろか、若い妻の密かにときめかせていた胸の鼓動を聞くこともできなかった。亭主にとって若妻は客引きの女であり、酒を運ぶ仲居の女以上のものではなかった。亭主はブランド好みの男である。〈頬紅を真紅につけた女〉の取り柄は唯一、若い娘というだけのことであって、亭主のブランド志向に叶った女ではない。若妻には若妻の、離婚歴のあるうだつのあがらない男と結婚しなければならなかった理由があったはずだが、作者はそこまで踏み込むことはしない。読者が勝手に想像するしかない。

平成△年3月3日
浮雲』における三角関係の重層
①ゆき子・伊庭杉夫・妻の真佐子
②ゆき子・富岡兼吾・妻の邦子
③ゆき子・富岡兼吾・安南人の女中ニウ
④ゆき子・富岡兼吾・加野久次郎
⑤ゆき子・富岡兼吾・伊庭杉夫
⑥ゆき子・富岡兼吾・ジョオ
⑦ゆき子・富岡兼吾・おせい
⑧富岡兼吾・おせい・向井清吉
⑨富岡兼吾・邦子・小泉(邦子の最初の結婚相手)
その他富岡兼吾にそれなりにかかわった女
①居酒屋の娘
屋久島の娘
その他ゆき子にそれなりにかかわった男
①鹿児島の比嘉医師