清水正の『浮雲』放浪記(連載3)

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清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。
 清水正の『浮雲』放浪記(連載3)


平成△年3月9日
 ゆき子は富岡のどんな気持ちが判ったのか、ゆき子は沈黙の内へと押し込んで語らない。が、読者にはすでに明白である。富岡はゆき子が邪魔なのである。富岡が日本に引き揚げてきたのは昭和二十一年の五月で、七月には農林省を辞めている。富岡のような男が、農林省を辞めたということはよほどの覚悟を必要とする。富岡の説明によれば父親の仕事を手伝うためであるが、その肝心の父親が完璧に姿を隠して作中に登場してこない。従って、富岡が危険を犯して新しい事業に乗り出した、その必然性が読者にリアルに伝わって来ない。が、その点は不問に伏して、富岡が心機一転、新しい人生を踏み出すにあたってゆき子との関係を続ける気がなかったことだけは確かである。つまり、富岡はゆき子を捨てる気でいること、そのことをゆき子は「判ったのよ」という言葉で表現したのである。
 ここで、ゆき子は予め捨てられることが判っていたなら、加野といっしょに戻って来たとまで言っている。『浮雲』論で詳しく言及したが、ゆき子は富岡を挑発するにあたって加野を巧く利用する。加野は一本気な気性で、初めてゆき子に逢ったその日のうちにゆき子に欲情してしまった初な男である。女に関して加野は、富岡の敵ではないが、富岡はゆき子に加野のことを口にされると、すぐにムキになるところがある。ゆき子はそのことをよく知っていて、ここでも本気で好きになったことなど一度もない加野のことを持ち出すのである。
 富岡は、邦子と日本で生きることを決めており、家まで押し掛けてくるゆき子の存在が厄介であり重荷になっている。なんとかうまく別れたいという気持ちで家を出てきたのに、いつの間にかゆき子のペースに巻き込まれて池袋の安ホテルにまで来てしまった。当初、富岡はゆき子と二人きりになれる場所で面倒な話のケリをつけようという気持ちでホテルの扉を開けたに過ぎない。しかし、これはゆき子の執拗な粘着質の性格をあなどっていたことになった。
 ゆき子はどういうわけか、静岡の実家に戻ることはまったく考えていない。おそらくそこにはゆき子の居場所はないのであろう。作者林芙美子はゆき子の家庭事情に関してはいっさい触れていないが、推測するに経済的にはかなり逼迫していたと考えられる。ゆき子は伊庭の家に下宿して、そこから神田のタイピスト学校に通ったわけだが、おそらく下宿代や食事代など伊庭に支払っていたとは思えない。もしかしたらタイピスト学校の授業料さえ伊庭が面倒みていたのかもしれない。だからこそ伊庭は、すぐにゆき子の躯に手を出したとも考えられる。いわば、ゆき子は三年もの間、下宿代、食事代、授業料を躰ひとつで伊庭に支払っていたとも考えられる。ゆき子は良家のお嬢様ではないのだ。したたかに、逞しく生きているのである。ゆき子は十九歳から二十一、二歳にいたる丸三年間も伊庭と不倫の関係を内密に続けることのできた女であることを忘れてはならない。保険会社に勤めて、実直な男という評判の伊庭は、しかし妻も子もある身で、自分を頼ってきた親戚の娘を一週間目には手籠めにしてはばからない男でもあった。世に言う実直などがいかにインチキであるかを身をもって知っていたのがゆき子である。
 ふつうに考えれば、三年もの間、伊庭とゆき子が不倫の関係を続けていれば、一緒に生活している妻の真佐子に感づかれないはずはない。もし小説の設定通り、妻真佐子が夫の杉夫とゆき子の関係に気づいていなかったとすれば、真佐子は並外れて鈍感な女だったか、あるいはゆき子が女優並の演技者だったということになろう。要するに、ゆき子は自分よりはるかに年上の中年男の心理など、その男以上に的確に判っている女であり、判った上で関係を取り結んでいるのである。映画のゆき子は、高峰秀子がどんなに演技力を発揮しても小説上のゆき子に接近しきれない清楚な感じがつきまとっている。
 描かれなかった場面で重要と思われるのは、富岡とゆき子がハイフォンで別れる場面である。読者に知らされるのは、その時、富岡がゆき子との結婚を約束したということである。一章に「富岡は運よく五月に海防を発っていた。先へ帰って、すべての支度をして、待っていると約束はしていたのだが、日本へ着いてみて、現実の、この寒い風にあたってみると、それも浦島太郎と乙姫の約束事のようなもので、二人が行き合ってみなければ、はっきりと、確かめられるわけのものでもない」と書かれている。
 どういうわけで富岡だけが〈運よく〉五月に海防を発つことができたのか。なぜ、ゆき子は富岡と一緒に帰ることができなかったのか。後に、ゆき子が加野の家を訪ねた折りに、加野の口から、いかに富岡がずるい、要領のいい男であったかが暴露されるが、小説が始まったばかりの第一章では富岡の真実の姿は浮き彫りにされていない。
 おそらく、富岡が一足先に帰るにあたって、ゆき子は二人の今後の関係はどうなるのかと執拗に問いつめたのではないかと思われる。ゆき子は富岡に妻があることを知っていて悦楽の日々を送っていた女である。富岡が一足先に帰るというのであれば、ゆき子は富岡に将来の約束を迫ったはずである。富岡は、仕方なくゆき子との結婚を約束せざるを得なかった。その場限りの、口からでまかせの嘘をついて、とにかくゆき子から離れたかったというのが、富岡の本音であったと思う。現に富岡は、彼の子供を身ごもったニウに対しても、金で決着をはかっている。ニウはゆき子より、はるかに賢明な判断を自らに下して富岡と別れている。
 作者は、ニウに関して具体的には何も書いていない。ニウの生まれ故郷、家族関係、身ごもった富岡の子供をどのように育てていたのか、読者が知りたいと思う最低限のことにすら作者は全く触れない。描かれた限りでみれば、ニウはゆき子などよりはるかに純粋に富岡を愛していた。ゆき子は富岡の子供を堕胎するが、ニウはかけがえのない命を自分の意思で葬ることはしなかった。ゆき子はエゴイストであり、自分の思いを貫く意志は強いが、そのことで傷つく人間を配慮するようなことはない。
 ゆき子は余裕をもって生きていくことができない。ゆき子はいつも必死であり、欲しいものに対して遠慮などすることはない。ゆき子は富岡が欲しい。だから電報を打っても返事がない富岡を、自分の足を使って訪ねていく。映画でいえば、ゆき子が訪ねて来たそのときが邦子の勝負時で、どんなことがあっても、富岡を家から出してはいけなかったということになる。待てど暮らせど富岡が戻ってこなければ、ゆき子としてももはや手も足も出ない。不審を抱きながら、着替えまでして家を出ていった富岡を見送ってしまったことが邦子の敗北である。ゆき子は、挑発したり、脅したり、泣いたり、要するにあらゆる手段を使って富岡を落としににかかっている。富岡と自分の関係を〈浦島太郎と乙姫の約束事〉のように思っているゆき子がいる。しかし、ゆき子はその思いに甘んじて何も手を施さないような女ではない。