林芙美子研究のための取材旅行(連載8)

 旧門司三井倶楽部で林芙美子コーナーを見学した後、海辺の門司港を散策。船で下関へ。「芙美子生誕の地」の石碑まで歩く。





















 わたしが『浮雲』論で使用しているテキストの集英社版日本文学全集48『林芙美子』で解説を書いている和田芳恵は「林芙美子は戸籍面フミコ、明治三十六年十二月三十一日、下関市田中町に生まれた。生母は林キクで、芙美子は私生児として届けられた」「芙美子が生まれた場所は、下関田中町の槇野敬吉というブリキ屋の二階の貸間である。この家は小さな五穀神社の入口にあった。芙美子の出生届は、ここから出され、出生の場所になっているが、このまま信じてよいかどうかわからない」と書いている。

 林芙美子がいつどこで生まれたのかはなかなか確証がつかめないようだ。林芙美子自身は『放浪記』で「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。父は四国の伊予の人間で太物の行商人であった。母は、九州の桜島の温泉宿の娘である。母は他国者と一緒になったと云うので、鹿児島を追放されて父と落ちつき場所を求めたところは、山口県の下関と云う処であった。私が生まれたのはその下関の町である」と書いている。

 産みの親キクはとうぜん真実を知っていただろうが、その真実を芙美子に話したかどうかはさだかではない。

 芙美子が下関ではなく門司で生まれたのだという説をたてたのは井上隆晴である。彼は芙美子の誕生した場所を福岡県旧門司市小森江(現在の北九州市門司区小森江)のブリキ屋の二階と特定した。今はこの井上説が有力である。新しく出た角川文庫版の『放浪記』などではこの説を採っている。

  門司で生まれようが下関で生まれようが、別に林芙美子文学を理解する上では何の支障もないが、研究者というものは一度疑問に思ったことは徹底して検証しなくては気の済まないものである。

 下関港から十分ほど歩いて「芙美子生誕の地」と刻まれた大きな石碑が建てられていた。その真偽は別として、幼い頃の林芙美子がこの地で呼吸していたことを思うと、百年以上の年月を隔ててその地に立っている我が身に妙な感慨を覚えた。