日野日出志の「女の箱」論(連載8)

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日野日出志の「女の箱」論 (連載8)

清水 正

 4コマ絵は女と青年の位置が変わっている。画面右に移動した女は「ね……この古い箱には何が入っていると思う?」と画面左の青年に聞く。その横顔は穏やかである。青年は「さあ?……」と言うだけであまり関心を示さない。同棲して丸一年もたっているというのに、青年は女が異常な情熱で箱集めをしたり作ったりしている訳を今まで一度も聞いたことがなかったのであろうか。もし、そうであったのなら、青年は女と精神的なつながりを深めようとは思っていなかったことになる。また女の方でも、丸一年の間、箱について何も話していなかったのだとすれば、青年に対して心の扉を開いていなかったことになる。

 5コマ目は画面右に女の横顔をアップで描いている。女は愛おしそうに箱を顔の近くに寄せて「この箱にはね、私の幼い頃の思い出が、それはそれはいっぱいつまっているの…………」とつぶやく。この画面に青年が描かれていないのは、この女のセリフが青年に向けられているのではなく、彼女自身に向けて発せられていることを意味している。女と青年は丸一年同棲していても、彼ら二人の間には精神的な繋がりがなかったということである。女の目は〈幼い頃の思い出〉に向かって、はるか遠くを見る憂いを含んだまなざしと化している。〈過去〉を封じ込めるということは、〈過去〉を捨てきれずにいるということであり、未来に積極的に歩み出せないことを意味している。

 
 頁をめくるとそこには見開き二頁(3・4頁)のスペースに女の幼い頃の思い出の数々が実に牧歌的な調子で描かれている。舞台は東北雪国を想わせる。男友達と川に入って魚取りしたり、鞠、人形、羽子板、こけし、雪だるま、影絵、あやとり、おはじき、竹皮、地蔵、鳥追いなど、幼い頃に遊んだ道具や、その光景を断片的に描いている。特徴を敢えて指摘すれば、そこには女友達や両親はおらず、お婆さんと同年齢の男の子だけが描かれている。全体的な印象としては、女はみんなと一緒に遊ぶ子供といよりは、特定の男の子やお婆ちゃんに限って心を許すような女の子で、一人遊びを好む孤独な女の子といった感じがする。

 頁をめくると、5・6の見開き二頁に全八コマで女と青年の濡れ場が描かれている。前頁の牧歌的な絵本風な絵柄からいきなりアダルトなセックス場面が展開される。つげ義春の「チーコ」においては、妻と男の濡れ場は完璧に省略されていたが、この「女の箱」においては女と青年のセックスが重要な位置を占めている。一コマ絵だけで処理されてもいいようなものだが、日野日出志はここで映画のような連続する映像で女と青年の肉体的なつながりの〈現実〉を読者に突きつけてくる。「チーコ」の場合、あの可愛らしい妻が、デリカシーに欠ける売れない漫画家の男と、どうして別れもしないで暮らしをともにしているのか、表層をテキストにおいては明白に描かれていなかった。つまり、つげ義春は妻と男の昼間の関係は描いても、夜の関係(セックス)に触れることはなかった。二人の肉体上の繋がりに関しては、読者が勝手に想像するしかなかったが、「女の箱」は結合部をのぞいて大胆に描いている。

 1コマ目、女は白い裸身を惜しみなくさらけだし、のけぞった顔は快楽に浸っている。青年は黒い筋肉質の左腕を女の白い尻に回し、力強く抱きしめ、右手で腹部を軽く押さえながら、口で陰部を愛撫している。女のほっそりとした美しく白い右腕が青年の顔下半分を隠している。青年のはなれた両目の小さな瞳が女の顔の方に向けられ、女の反応を確かめている。女は快楽を満喫しているのに、青年は女に奉仕している。描かれた限りで見れば、女は快楽に没頭しているが、青年の方は覚めている。快楽を与えることで女を支配しているかのように思う青年と、快楽の渦に巻かれながら青年の覚めた意識をからだ全体の神経でわかっている女の格闘技と言ってもいい。画面左上部のベタ塗りされた闇の背景に白抜き活字で「男はそろそろ女とも別れ時だと思っていた」と書かれている。青年の闇の中で見開かれた目は、彼の狡い計算高さを余すところなく晒している。

 2コマ目、青年は女の白い裸体を味わい尽くすかのように日焼けした黒いからだをぴったりと寄せ、両手で乳房を包み込んでいく。女の右手は青年の背を引き寄せ、左手の赤い爪は青年の左肩に軽く食い込んでいる。女はさらに顔をのけぞらせ、青年の力強い愛撫に全身で応えている。青年の目は相変わらず見開いたままで、女の反応を逐一確認している。画面右に「女はバーのホステスだった」、左に「男と女はそのバーで知り合った。男はまだ学生だった」とコメントが記されている。

 3コマ目、青年は女の首筋に舌を這わせる。女はのけぞりながら右脚を青年の脚にからませ、青年の押さえ込む黒い左腕にあがらいながらも白い右腕を直角に曲げ、その指を男の肩に軽くあてている。青年の目は依然として見開いている。この時の青年の目は両目ではなく、左目だけが描かれている。画面右上部に「もとより、男は女と一生暮らしていく気はなかった」と書かれている。

 5・6の見開き二頁の全八コマの濡れ場で、青年の顔が描かれているのは1・2・3コマ目の三コマだけであるが、この青年の顔は3コマ目において明らかにつげ義春の「ねじ式」の主人公の顔と化していることが分かる。

4コマ目、女と青年は正常位で結ばれる。青年の体は鍛え上げられた筋肉質で贅肉は全くついていない。「ねじ式」の場合、女医は豊満な肉体、主人公の体は幼児的なふくよかさを保っていたが、「女の箱」では女も青年も均整のとれた体で描かれている。コメントには「男にとって、女との関係はただ肉と肉の結合以外には何もなかった」とある。「ねじ式」には母胎回帰願望が色濃く反映されていたが、ここでの〈結合〉にはまさに男と女の肉の結合以外の意味は見いだせない。女の表情は快楽に浸っているように描かれているが、青年の意識は覚醒し切っており、二人の結合に陶酔感を覚えることはない。4コマ目の男の体位はまるで腕立て伏せをしているようで、女ののけぞりからもエロティシズムが伝わってこない。1コマ目から4コマ目まで画面は動くが、一つのコマ絵自体に想像力を刺激するエロスが感じられない。

 6頁四コマに付けられたコメントは「だが、女は真剣だった。女は過去に何人もの男にだまされ捨てられ泣いてきた。そんな女にとって、この男は最後のよりどころだった。この男と別れたら、もう二度と自分は人を愛せなくなる。この男だけは絶対に離したくない。これが最後の恋いなんだ。女はいつも自分の心にそう言い聞かせていた。この男だけは、どんなことがあっても絶対に………」である。

 さて、こういったコメントは誰に必要なのか。5・6頁に付けられた全コメントを省略して、絵だけで表現しても、女と青年の関係性は伝わってくる。それを読みとれない読者に対するサービス精神の発揮ととればいいのだろうか。密度の濃い漫画作品を狙うのであれば、この女と青年のセックス場面は5頁の1コマ目と6頁の4コマ目の二コマで十分だし、コメントはすべて省略しても良かったであろう。

強調されているのは青年の鍛え上げられたかのような強靱な肉体とセックス力である。窓際でギターを抱えている青年の姿にミュージシャンとしての魅力は感じられず、全体的にやぼったい感じが漂っていたが、6頁四コマ絵においては、青年の顔が描かれていないことで、さらに彼の肉体面が強調されている。青年の両目のはなれた丸い目と点で表現された瞳に精神性を感じることはないし、こんな肉体男に身をまかせてのけぞっているだけの女にも精神的次元での魅力はない。勝手に快楽をむさぼっていなさいといった感じである。

 「女の箱」の青年と「ねじ式」の主人公は髪型と目に共通性が見られるが(これも厳密に見ればそうとうの違いもあるのだが)、決定的に違うのは唇である。前者のそれは横線一本で描かれ、後者のそれはあつぼったくいんびである。横線一本の口は青年の打算や冷酷だけを語っているのではない。彼のセックス行為そのものがスポーツのようで、死を内包したエロスが感じられない。こういった青年とセックスして女一人がのけぞった姿態を見せても、所詮それは一人芝居の域を出るものではない。

 5・6頁全八コマのセックス場面に欲情を煽られる読者がいるとすれば、その読者はそういった程度の水準で漫画を読んでいるというだけのことである。描かれた限りの八コマを見る限り、5頁4コマ目のコメントにあった通り、「男にとって女との関係はただ肉と肉のと結合以外には何もなかった」ということになる。女はこういった中身のない軽薄で打算的な快楽主義者の青年に、肉体的欲望以外のいったい何を求めていたのだろうか。バーで知り合った学生とホステスの関係は、相互に肉の欲望を満たしあうという黙契によって成立していただけのことで、それ以上でも以下でもない。六畳一間の家賃を青年が払っていたとは思えない。田舎から出てきて都会でバー勤めをしている女が、若い男を飼っていたようなもので、青年は家賃と食事代を鍛え上げた体で女に払っていたというのが現実で、もともとここには甘い空想など入り込む余地はない。青年が大学を卒業して経済的に自立すれば、女から去っていくのは当然の成り行きで、水商売で男どもを手玉に取っていたホステスがそんなことを分かっていないわけはない。
思い出のアルバム