日野日出志の「女の箱」論 (連載5)

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日野日出志の「女の箱」論 (連載5)

清水 正

つげ義春の「チーコ」に関連して


さて、再び7頁目に戻ろう。男がアパートの自分の部屋の前に立った時、ドアの鍵は開けられていた。これは妻が男を決定的に拒んでいないことの一つの証となっている。妻はたとえ酔いつぶれても、男に向かって本音の本音をぶちまけることはない。妻は畳にうつ伏せに倒れ込むことで、やがて後から部屋に入って来るであろう男に背を向けていることを示すが、男から逃げ出すことも、拒むこともしていない。

妻は男と二人のささやかな〈家庭〉を壊すことがどうしてもできない。妻は、この男以外の男と自分が本当に望んでいる幸福を実現しようとは思わない。ここに、もう一つ、読者に隠された二人だけの秘密の時が存在するが、つげ義春はそれもまた完璧に省略し、読者の想像にまかせている。

7頁7コマ目、畳にうつ伏せになっている奥さんの姿は真っ黒にベタ塗りされている。これは奥さんの〈死〉を象徴している。この時、奥さんは死んでいるのであり、これは〈チーコ〉の死の予告でもある。が、大半の読者は「チーコ」を象徴のレベルで再構築しながら読むことはない。奥さんは、単に飲み過ぎて酔いつぶれただけのことだと解釈する。作者もまたそのように話を展開していく。

作者はこの7コマ目をこの頁の最後に持ってこなかった。もし、このコマ絵をこの頁の最後において、作品自体を完結させていれば、恐ろしいほどシュールな作品となっていたことだろう。が、作者はそこまではしない。7頁最後のコマで、作者は象徴のレベルからただちに現実の場面へと戻る。奥さんは顔を畳に伏したまま両手で顔を覆い、鋭い口調で「いや! 見ないで」と叫んでいる。表層的には、単に酔った顔を見ないでということだが、象徴のレベルでは、奥さんの押し隠した闇の領域を覗かないで、ということになる。

 8頁は妻と男の日常の次元での会話場面が描かれる。1コマ目、男は険しい顔つきで「酔ってるのか」と言う。2コマ目、男は妻の赤く火照った頬に手を添えて「真っ赤じやないか」と言う。両目を瞑った妻は酒臭いにおいをはきながら「胸がドキドキして苦しい」と言う。3コマ目はカメラの位置を逆に変え、画面右に妻のうつろな半開きの目に焦点をあてた左横顔を描いている。妻は「顔がはれてるみたいよ」と言う。画面左はドングリ眼を見開き、太い眉をつり上げて男が「なぜ飲めもしない酒なんか」となじる。

 この後、二人はやり合うが、問題は男が「飲めもしない酒」をなんで妻が酔いつぶれるほどに飲んだのか、その事の本質をわかっていないことにある。ふつうに考えれば、この日、妻は前から欲しい欲しいと思っていた文鳥のヒナを購入したのであるから、ヒナのことを第一に思っていれば、どんな事情があったにしろ、いろいろ理由をつけて早めに帰宅したはずである。

 妻の酔いつぶれて帰って来た言い訳は、今日、特別に彼女を指名してくれたお客があった、その客は〈テンデカッコいい〉ひとで、車で新宿へ出て、そこで飲まされ、それからドライブしてきたということである。

 男は「どの辺を走ったのだ」と歯をを剥き出しにして詰問する。妻は「しらないわよ」ととぼける。男は「へん、あやしいもんだ」と疑いの目を妻に向ける。さて、この話をどこまで信ずるかによって、妻に対する思いもずいぶんと変わってくる。

 妻の話をそのまま信ずるとして、つぶれるほどに酔った女と〈カッコいい〉客との間になんらの肉体関係もなかったと見るのはあまりにもウブな見方と言うことになろう。極端に言えば、妻は〈カッコいい〉客とホテルに入ってそれなりの関係を結び、しらばっくれて帰宅したとも考えられる。

 もう一つの見方は、妻は〈カッコいい〉客と飲んだりドライブしたりという、夫に対するあてつけの作り話をしたということである。作者は妻が、どんな店で、どんな風に客あしらいをしているのか、完璧に省略している。つまり、妻の話が真実であるのか全くの嘘なのか、作者の側からは何の手がかりも与えられていない。

もし、小さなコマで一つだけ、妻と客がホテルの一室で抱き合っている場面が描かれれば、妻の〈言葉〉は恐ろしい〈嘘〉で塗りかめられていたことになる。また、一つだけ、場末の飲み屋のカウンターの隅っこで、ただひとり、寂しくビールを飲み干している妻の姿を描けば、妻の恐ろしいほどの悲しみが伝わってくることになる。

 つげ義春は神の視点に立って、妻の〈真実〉を断定的に描かない。読者は男と同じように、疑心暗鬼にとりつかれて妻をなじることもできるし、また妻の内心を思って深く同情することもできる。
 
妻が〈カッコいい〉客と暗いどここかわからない道をドライブしたいという内的欲求を抱いていたことを否定することはできない。どんなつつましい、家庭的な女の中にも、狭い空間から逃げ出して自由を満喫してみたいという欲求は潜んでいる。「チーコ」の妻とてその例外ではない。ただし、この妻は飛びきることができない。たとえ思い切って飛んだにしろ、それは再び帰ってくることを前提にした飛翔なのである。

 妻は男に疑われて、激怒する。その怒りに駆られて激しく口答えする妻の表情を作者は三コマで描き尽くす。第一コマ(9頁2コマ目)は畳に伏していた顔を上げ、男をにらにつけるようにして「へんないいかたしないでちょうだい」と大声を発する。第二コマは上半身をたてて男の顔を正面に見据え、さらに烈しい口調で「そんなに私のことが気になるのなら早くお店をやめさせてよ」とまくしたてる。男は反論できず黙ってこらえるしかない。

第三コマ、妻は畳に仰向けに寝て両手両足を延ばし、少し落ちついた口調で「ほんの一時しのぎといったくせに」と言う。男の表情にもはや怒りはない。男は完全に妻の反論と抗議にうちのめされてしまったようだ。次のコマにもはや妻の姿は描かれず、画面左に妻の絶叫「アーッ、くやしい」が、男のしょげた姿に浴びせかけるように描かれている。妻の完全逆転勝利である。

次のコマはちゃぶ台を前に、一人わびしく遅い深夜の食事をとる男の姿が描かれる。おかずは目玉焼きと小皿にのった漬け物だけで、二人のつつましやかな暮らしの一端がうかがえる。畳の上に正座してひとり食事する姿には、稼ぎのない男の惨めさがにじみ出ている。男の沈黙を作者は「…… …… ……」と三行に分けて描き、妻を養うことのできない男の孤独と寂寥を厭というほど表している。

2005年10月7日 新宿ロフトで。日野日出志先生を囲んでの漫画シンポジウム。右から志賀公江・清水正・原孝夫・日野日出志・猫蔵。