荒岡保志の偏愛的漫画家論(番外編)

荒岡保志の偏愛的漫画家論(番外編)
左近士諒試論
「走れイダテンキング!」
〜父の夢、友情、そしてかけがえのない愛を乗せて〜

左近士諒先生。「日野日出志研究」刊行パーテイの席で。撮影・清水正

●「走れイダテンキング!」は競馬漫画の草分けだ!〜左近士諒試論、初めに

清水正教授は、左近士諒先生の物真似がお気に入りである。

少しだけ背中を丸め、上目遣い、控え目な口調、線の細い穏やかな人柄の印象の左近士先生であるが、如何なる時も、常に槍を立てて構えている人だと清水教授は言う。しかも、その槍の矛先は剥き出しにして研ぎ澄まされ、瞬時に人を貫けるように準備万端であるとも言うのだ。

面白い方だな、と思いながら清水教授の話しを聞いていたが、私にも、左近士先生とお会いできる機会が訪れる。それは、昨年の2010年年度末、12月27日に江古田の炭火焼屋「八剣伝」で行われた「日野日出志研究」の出版記念パーティの席上で、である。

このパーティの模様は、清水教授のブログ上でも、また私の「日野日出志試論」の中でもご紹介しているので、ここでは割愛したい。日野日出志先生、清水教授はもちろん、「日野日出志研究」に携わった全11人の有志が集った、大変密度の濃いパーティであったとだけ、繰り返し記しておこう。

左近士先生は、「日野日出志研究」の扉で、日野先生の肖像画を描いている。いつもは優しい眼差しの日野先生を、口元をきりりと絞り、鋭い眼光で描く左近士先生の肖像画は、日野先生の、本質的には厳しい横顔を絶妙に捉えた傑作である。なるほど、左近士先生を、「常に槍を立てて構えている人」と言う清水教授の意味が伝わる出来だ。

パーティでお会いした左近士先生は、イメージ通りの人で、全くの違和感がなかった。清水教授の物真似の腕も大したものである。決して目立つ事なく、そのパーティの流れに任せるように、物静かな語り口で、とつとつと語る左近士先生であるが、その眼光、奥底では、パーティの出席者全員に気を配っている事も分かる。「槍を立てて」いるかどうかは別として。

「走れイダテンキング!」は、1986年に、講談社「KCスペシャル」シリーズから、全2巻で発行された670ページに及ぶ力作である。実は左近士先生についての情報がほとんど公開されていない為、初出の掲載誌、初出の年度など一切が不明であるが、内容的に判断すれば、掲載誌は少年誌ではなく青年誌であり、当時の講談社発行の青年漫画誌と言えば1980年に創刊された「週刊ヤングマガジン」ぐらいしか思い付かないのだが、この「KCスペシャル」シリーズは、講談社発行の漫画誌以外に掲載されたものも多く発行されており、一概に「週刊ヤングマガジン」と断定する訳には行かない。

「競馬漫画」と言うと、すぐに思い付くのは本島幸久の「風のシルフィード」、「蒼き神話マルス」、やまさき拓味の「優駿の門」、つの丸の「みどりのマキバオー」であろうか。「風のシルフィード」でさえ1989年に発表という事なので、「走れイダテンキング!」は、間違いなく「競馬漫画」というカテゴリーの中では草分け的存在である。
また、少年漫画では草分けとなるだろう「風のシルフィード」の掲載誌が、同じ講談社の「週刊少年マガジン」である事を考えると、「走れイダテンキング!」も初出は「週刊ヤングマガジン」であった可能性は捨て切れない。


●原作は牛次郎左近士諒との黄金のコンビが実現する!

原作者の牛次郎と言うと、すぐに思い付くのは作画ビッグ錠の「釘師サブやん」、「包丁人味平」だろう。他に、横山まさみちの「やる気まんまん」、山松ゆうきちの「ギャンブル馬鹿」、神矢みのるの「プラレス三四郎」などがあり、梶原一騎小池一夫と共に、間違いなく戦後日本漫画史を築き上げた原作者の一人である。

牛次郎が熱烈なパチンカーである事は有名である。漫画の原作以外でも、数多い著書を持つ牛次郎であるが、「パチンコ入門」、「パチンコで儲けろ」、「パチンコ必勝法」、「パチンコ大戦略」など、パチンコ関連の著書だけで10冊を超える。それこそ、「釘師サブやん」などは趣味が功を為した良い例だろう。この後、左近士先生とも、「パチンカー人別帳」で再度タッグを組む事になる。

「走れイダテンキング!」は、タイトルを見て分かる通り、イダテンキングという名のサラブレッドを取り巻く人間模様を描いた競馬漫画巨編である。

競馬狂の父の願いを受け、騎手の道へ進む主人公の英騎。同じく騎手の道へ進むも、体格の良さが逆に欠陥となり、余儀なく馬手となる親友の勝。調教師の巻海。そしてヒロイン、イダテンキングの馬主、井田の美貌の娘、令子。
英騎を美しい肉体で惑わせ、八百長を強いるクラブのママ沙夜香、その旦那でヤクザの波島。そして八百長に悠然と立ち向かう敏腕競馬記者早川。
英騎のライバルに、先輩の豪腕主戦騎手の田所、リディング・ジョッキーを競う笠井。

英騎は、イダテンキングの瞳に今は亡き母の瞳を重ね、父の夢を果たす為、夢破れた勝と勝利を分かち合う為、そして令子と正式に結ばれる為、日本中央競馬最大のイベント「有馬記念」で中山競馬場を疾走するのだ。

前述した通り、牛次郎はパチンコ関連の著書が多いパチンカーであるが、同じく競馬、競輪、あらゆるギャンブルに精通し、相当なグルメでもあるらしく、料理関連の著書も多い。また、暴力団、ヤクザ関連の著書も多く、この「走れイダテンキング!」は、牛次郎の得意なジャンルを詰め込んだ幕の内弁当のような作品である。
左近士先生は、競馬というスポーツ漫画の要素、大金絡みで背後に迫る魔手、ヤクザ漫画の要素、そして英騎と令子の家柄を超えた純愛漫画の要素を、その力強く、荒々しいペンタッチで見事に描き上げているのだ。

また、秀悦なのはこのドラマティックなストーリーだけではない。私が、この「走れイダテンキング」で牛次郎らしいと感じたのは、むしろ冒頭の13ページである。

舞台は東京競馬場、競走馬がゲートに付く。トラックにかぶりつく、身なりの悪い競馬狂の老人のクローズ・アップ。震える手には、200円ばかりの単勝馬券がしっかりと握られ、「た、たのむ、きてくれーっ!」と心の叫びを上ている。
そこへ、孫であろう男の子が駆けつける。男の子は、老人に、泣きながら祖母が死んだ事を伝える。「おばあちゃんが死んじゃったんだよォーっ、帰るんだよォーっ」と、男の子は老人の腕を引くが、老人の目をトラックから逸らす事はできない。
各馬、一斉にスタート。もつれにもつれた乱戦は、写真判定になり、老人の手にしていた200円の馬券が的中する。老人の足にしがみつき、「おばあちゃんが死んじゃったよォ」と泣き続ける男の子をよそに、「キャハハハきよった!! 大穴だ!! つくぞーっ!!」と歓喜する老人である。

牛次郎には、賭博の怖さが身に染みている。一歩間違えば人間崩壊である、否、東京競馬場に一歩足を踏み入れた瞬間に、同時に人間崩壊の道へも一歩足を踏み入れている。このドラマティックな競馬漫画の冒頭で、牛次郎は警鐘を鳴らしているのだ。
もっとも、これは時代背景の相違であり、今現在はと言うと、競馬はかなり開かれた市場、レジャー産業の一環となって、賭博色はすっかり払拭されている、と付け加えておこう。


●英騎と令子、左近士先生の描く男と女

これも前述した通りであるが、実は左近士先生の情報というものが極端に少ない。あのウィキペディアにも情報が全くないのである。全20巻に及ぶ超大作「俺の剣道」を始め、「示談屋」、「パチンカー人別帳」、「悪魔のキューピー大西政寛」など、刊行した漫画作品はゆうに50冊を超え、1997年には山之内幸夫を原作者に迎えた「恋極道」が、奥田瑛二主演で東映より映画化もされている漫画家の情報が、である。これは堂々たる実績だと思うのだが。

また、左近士先生の主な作品発表の場がリイド社の「リイドコミック」である事を考えると、左近士先生がぽっと出の漫画家ではない事が分かる。「さいとうたかおプロ」が率いるリイド社には、新人発掘の窓口がなかったと記憶しているからである。左近士先生も、大手プロダクション、また大御所漫画家のアシスタント経験を得て、晴れて漫画家デビューという経緯だと想像するが、何しろそれも情報不足な為、ここでは断定できない。

私は、リイド社と聞いて、素直に「さいとうたかおプロ」のご出身ではないかと考えたのだが、実際にこの「走れイダテンキング!」を読むと、むしろ池上遼一か、ながやす功か、と思えて来る。共に日本漫画を代表する大御所二人であるが、まず池上遼一と申し上げたのは、左近士先生の画力、馬の躍動感、ダイナミックな構図、精密な背景から連想したものだ。また、ながやす功と申し上げたのは、素直にキャラクターの造形からである。サブキャラクターを見ると、川崎のぼるの線も捨て切れないが、真っ直ぐに生きる英騎、お嬢様ながらしっかりと自分を持つ令子の造形が、あの「愛と誠」にだぶるのだ。

若く、美しい英騎と令子。二人の間には、一切の邪念がない。クラブのママ、ヤクザ、そして家柄、二人の関係を存続させまいと、あらゆる障害が立ちふさがり、一度は英騎も令子を諦めようとするエピソードもあるが、二人の一途な愛を破壊する事は誰にも適わなかったのだ。英騎は誠であり、令子は愛なのだ。

そして、二人を見守るイダテンキングがいる。競馬場の観客席で、初めて身体を許す令子。そこに現れるイダテンキングの幻影。有馬記念で、英騎と令子の愛を乗せて疾走するイダテンキング。令子が、英騎に送った鞭が一度だけうなる。イダテンキングは、英騎にとっては母なのだ。このストーリーは、英騎と令子の純愛を謳いあげながら、思春期を過ぎた英騎の、亡くなった母への決別までも描いているのだ。


●左近士先生は月見草である〜左近士諒試論、最後に

以前、「オレはひっそりと日本海に咲く月見草」だと発言した高名なキャッチャーがいた。ただし、そのキャッチャーは、事あるごとにマスコミにクローズ・アップされ、今では日本球界を代表する重鎮となり、「月見草」という表現には多少なりとも違和感があるだろう。
「月見草」と言えば、左近士先生ぐらいその花名が似合う漫画家は見当たらないのではないか。しっかりとした画力、技術を持ちながらも、原作の持つ力を最大限に引き出すプロ、それが左近士諒である。縁の下の力持ち的な役割を担い続け、自分自身がクローズ・アップされる事なく、その為に、情報も公開されにくいのだ。

左近士先生の、あの優しい横顔を思い浮かべると、先生はそれでご満足なのだろう。物事の本質を見抜きながらも、それを全面に出さず、飄々としている左近士先生は、ご自身が「月見草」である事を楽しんでいるのかも知れない。