韓国行きは地震で中止

本日十二日は韓国へ行く予定だったが、予期せぬ大地震でやむなく中止となった。昨日は大学へ向かう途中で地震に遭遇した。池袋の芸術劇場前に一時避難したが、携帯はつながらず、山手線は動かず、仕方なくまずは腹ごしらえ、富士そばで天ぷらそばを食べた後、東口へ周り、バスに乗って西巣鴨で降り、バスを乗り換え、巣鴨駅で降りる。電車は動きそうもなく、田端駅まで歩く。寒いうえに風は吹くし、マックは営業停止で、「笑笑」に入ろうとすれば満席、待合コーナーで待つが、誰にかけても携帯がつながらないので、外へ出て公衆電話に並ぶ。何十人も並んでいる後尾につき、寒風にさらされて一時間も待つ。駅はシャッターを下ろし、ひとを入れない。安全第一主義でやっているのだろうが、官僚的な冷たさを感じた。タクシーは何台か見かけたが、すべて回送で走っている。バスも来ない。客を受け付けていた「笑笑」のビルだけが人間的な温かさを保持していた。ようやく公衆電話から自宅に連絡がつき、日芸マス研の藤野君から電話があり、巣鴨にいることが判明した。この日、藤野君は山下さんと池袋サンシャインビルに書道展を観に行っていた。藤野君の実家が田端にあり、彼と連絡がとれればとりあえずなんとかなる。山下さんに携帯すると奇蹟的につながった。なんと藤野君の家に居るとのこと。三十分後、田端駅まで二人に迎えに来てもらい、お互い無事を祝し、途中のコンビニで缶ビールとワイン、つまみを買って、藤野君の家につく。藤野君のお母さんと四人で乾杯。テレビを見て、日本列島全体の悲惨な状態を知る。いくら科学が進んだと言っても、未だに正確な地震予知はできない。池袋を歩きながら、いつビルが崩壊するかわからない恐怖を味わった。東京壊滅がアニメやマンガの世界ではなく、現実に起こりうるのだというリアルな感覚を強烈に味わった。韓国で再会を楽しみにしていたイー・ウンジュさんや留学生のソヒさんなどとも連絡がとれ、まずは一安心だが、それにしても残念である。
本日六時半に起床、藤野君に熱いコーヒーを入れてもらい、山手線、常磐線が開通したことを確認して、西日暮里まで歩き、千代田線我孫子行きの電車に乗り、ようやく自宅につく。昨日だけで三万歩近く歩き、今日は満員電車で立ち通し、体は疲れているのだろうが、緊張のせいか疲れを感じることはない。家の屋根瓦は壊れ、書斎の本は崩れて足の踏み場もない。先日紹介した日芸図書館や文芸資料室の本もおそらく大変なことになっていることだろう。少し休んで、まずは書斎の片付けから始めることにする。

朝、手賀沼公園から北柏方面へウォーキング。いたって平穏な日常の光景。

途中、菜の花畑の黄色に圧倒される。

池袋西口。芸術劇場前に行き場を失った人々が続々と集まってくる。もしかしたら崩壊の憂き目にあったかもしれないビル群に眼が向かった。

池袋西口はかつて芳林堂があり、二十歳前の昔から思いでいっぱいの土地である。

ビッグカメラの店員に状況を聞くと、テレビをつけてもいけないという指示があったとか。店員は全員、ビルの外へ出ていた。

池袋東口へ行く。道行く人々は不安そうに携帯をかけている。

もし直下型の地震が東京を襲ったら、命はなかったかもしれないと思うとゾッとする。

池袋東口。一見、落ち着いているが、不安と恐怖をどのように表現していいのか、皆さんとまどっているようにも思えました。

バスで巣鴨駅へ向かう途中。車だけは地震と関係なく走っていたが、バス内はギュウギュウ詰めで、停留所で乗れないひともたくさんいました。わたしは当初、西日暮里駅まで行くつもりでしたが、乗客がいっぱいだったので急遽、巣鴨駅前で降りました。

藤野君とお母さんの悦子さん。お世話になりました。

テレビで地震中継。6という数字が気になります。

山下さんは各方面へ次々に連絡をとっています。

藤野君の子供の頃の写真。基本的には今も変わっていません。

藤野君がバレリーナを目指していた頃のかわいらしい写真です。

バレエの練習場が一階にあります。悦子さんはバレエの先生です。

藤野君のお母さんは今も現役のバレリーナとして活躍しています。

西日暮里駅へ向かう途中。