荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載48)

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荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載48)

山野一
「消えた天才漫画家の復活を再び祈る」(その⑫)

●光の面を司るエリ子と悪徳の塊のエリ子、感動の再会!

光の面を司るエリ子、生き神となったエリ子であるが、膨大な数の信者の病、患部を治癒する事にエネルギーを消耗する毎日を送り、いつしか佐伯が与える栄養剤に頼るようになる。その栄養剤を腕に注入すると、エネルギーが一気に充電され、五感が冴え渡り、爽快な気分になる。また、堪らなく性交がしたくなると言う。
この栄養剤とは、間違いなくドラッグである。この新興宗教はヒンドゥ教ではないが、ヒンドゥ教ではドラッグを戒めてはいない。寧ろ解放しているのだ。

佐伯にとっては危険な賭けであった。しかし、宗教でこの国を支配するには一刻も早くより強い力、限りなく神に近い力が必要だと判断したのだ。

ここで、教団を追い出されたつるが復讐を実行に移す。富士山麓青木ヶ原樹海に道場を構えたつるは、自らの霊体を離脱し、エリ子の下へと向かうのだ。

教団に到着したつるは、まさみを発見し、まずはその後ろ姿に地獄の業火を放つ。その業火は、「ちゅどーん!」とまさみに命中するが、何も感じないまさみである。どうやら、凄まじい業の塊のまさみには、業を集中放火するつるの神通力は通じないらしい。
余談であるが、この漫画史に残る名擬音「ちゅどーん!」は、「田村信」の「できんボーイ」へのリスペクトである。山野一、流石は1961年生まれだ。

仕方なく、エリ子の下へ向かうつるであるが、エリ子は、きよしとの性交の真っ最中である。ドラッグの効果により、エリ子はセックスに明け暮れるようになっているのだ。
つるは、エリ子の精神を崩壊させようと、エリ子の脳に直接業を送り込もうとするが、先に夫であるきよしの秘密を探ろうと、きよしの心の中を覗く。

つるがきよしの心の中に入ると、そこは何もない、宇宙の果てのような虚無の空間であった。しかも、つるの生霊は、その深淵に強力な力で吸い寄せられるのだ、まるでブラックホールのように。
出口を失ったつるの精神は、そのまま破壊されるのだ。

その頃、佐伯は、つるが残った側近と構える富士山麓の道場に奇襲を掛けている。精神が破壊されたつるは既に廃人と化していたが、その首を討ち取り、側近、そして四ツ子の美少女まで全員を虐殺する。こうして、つるの一派は、あっさりと粛清されてしまうのだ。

更に、佐伯は、ドラッグの禁断症状で震えるエリ子に、大量のモルヒネを打って意識を奪うと、今度はエリ子の精神に侵入する。佐伯は、一刻も早く宗教でこの国を支配する事に焦りを感じていたのだ。その為に、エリ子の能力の秘密を解き明かし、我が物にしようと企んだのである。

佐伯がエリ子の精神に侵入すると、そこは美しい湖を持つ、熱帯の密林のようであった。あの、闇のエリ子が神殿から飛び降り着地した楽園である。そこで、佐伯は、闇のエリ子と対面するのだ。
佐伯は、一瞬にして、光のエリ子と闇のエリ子のここまでの経緯を理解し、ここから出して欲しいと言う闇のエリ子の願いを聞き入れ、その魂を神通力で解放してしまう。光のエリ子に引き続き、闇のエリ子も同時に支配しようと考えたのだ。

そこに、シヴァ神は現れる。シヴァ神は、佐伯に、誘導しないままにエリ子の意識を飛ばしてしまった事を咎め、佐伯が後10秒で消滅する事を予言する。
佐伯が現世を覗くと、意識をエリ子の心の中に飛ばし、抜け殻となっている佐伯の肉体の背後に、包丁をかざしたますみが忍び寄っている。業の深いまさみは、佐伯を亡き者にし、自分が教団を乗っ取ろうと策士し、その機会を狙っていたのだ。
「よさんかー!!!」、佐伯は叫ぶが、既に手遅れで、まさみが振り下ろした包丁は、佐伯の首から喉まで確実に貫通する。

佐伯の神通力に解放された闇のエリ子であるが、シヴァ神の言う通り、何の誘導もなく、入り込んだのは、今より23年前の東北の寒村の「堀田茂作」と言う醜男の肉体であった。しかも、智恵遅れで、その分精力だけは人一倍強い強姦魔であったのだ。

エリ子は、茂作の意識に依って肉体の主導権を奪われる。強姦魔の茂作の性癖が正される訳もなく、エリ子は、毎日見たくもない物を見せつけられ、やりたくもない事をやらされて、筆舌に尽くし難い苦痛を受けるのだ。因業なエリ子も、流石にこの地獄には堪え難く、怒り悩み苦しんだが最後には何も考えなくなり、茂作の意識の深淵へと沈んで行く。

佐伯を亡き者にしたまさみは、目障りな教団の幹部も次々と殺害し、今や完全に教団を牛耳る事に成功する。遂には、人生最大の汚点と、長年連れ添ったとめ吉まで殺害してしまうのだ。

佐伯が亡くなった後のエリ子は、ドラッグを入手出来ずに、禁断症状は続く。放心と錯乱を繰り返す、最早正常な精神状態ではなかったが、その原因を知らないまさみにはどうする事も出来なかった。
その中で行われる、数百人の信者に依る教団の定期親睦会で、神座に鎮座するエリ子であるが、禁断症状も限界点に達し、自分の全身から虫が湧き出る幻覚に捕らわれる。会場に目をやると、会場には異質な怪物が蠢いているのだ。
エリ子は、「寄るな化け物!!」と叫び、神通力で会場に居た信者全員を焼き尽くしてしまう。

この大惨事を機に、教団の信者は激減し、程なく「新興宗教まごころ教団」は崩壊するのだ。

そして10年の歳月が過ぎる。

京浜工業地帯の一角にあるスラム街で、怪しげな老婆が売春の斡旋をしている。老婆は、通りがかりの頭の弱そうな汚い年配の男に声を掛け、どうやら商談は成立したようだ。
この老婆こそ、まさみの零落した姿であり、そして何の因果か、この頭の弱そうな年配の男こそ、あの強姦魔の茂作であった。

そこに、もう一組、身なりの良い初老の夫婦が訪れる。その夫婦は、何と夜逃げして破産したエリ子の両親であった。持ち前の悪知恵で見事に金持ちに返り咲いた勇姿である。エリ子の両親は、探偵を雇い、娘の居場所を探し当てたのだ。

エリ子の両親が探偵に案内されたのは、スラム街の、寂れに寂れた廃屋である。そこで、両親が見た物は、世にもおぞましい光景であった。

生魚を頭から咥える半漁人のような畸形児、微動だにしない寄り目の障害児、そして、きよしが居るのだ。そのきよしの傍らの、「とーたん、とーたん」ときよしに懐く赤ん坊は、どことなくエリ子の面影があるではないか。
嫌な予感を感じながら、明かりの漏れる他の窓から中の様子を伺うエリ子の両親は、そこで、変わり果てたエリ子の姿を発見する。
エリ子は、ドラッグ漬けで、既に精神は崩壊し、全身が性病に侵されていると見え、たるんだ皮膚は醜い出来物だらけである。更に、丁度客を取ったばかりのエリ子は、両親の目の前で、汚らしい年配の男との性交を始めるのだ。

「あのよーなモノが私達の娘であろうはずがない!!」と、エリ子の両親はその廃屋を後にする。

そして、茂作と性交するエリ子は、目があったとたん、その呆け果てた二人の頭に閃光が走る。その一瞬に、互いが互いの一部である事を悟ったのだ。その瞬間、正に劇的に分裂した二つの自我は、エリ子の肉体の中で一つに融合したのである。

しかし、劇的なのはこの一瞬だけであった。辛酸を嘗め尽くし疲弊し切った魂と、シャブ漬けで荒廃し切った魂、この二つが投合されたからと言って、別段何の変化も起きなかったのであった。

これが感動の再会である。

光の面を司る魂、悪徳の塊の魂に分裂したエリ子、シヴァ神が降臨し、魂は時空を超え、尚、このエンディングである。
光の面を司るエリ子は、人間、そして現象の真理を見極める目を持ち、業を打ち破る能力に長けた正しく神であったが、その肉体はドラッグには勝てず廃人となる。悪徳の塊のエリ子は、自らシヴァ神の下を去り、現世に返り咲くも、着地先の不運により、地獄の日々を過ごし、やはり廃人になる。
最後の最後に、偶然過ぎる偶然に光と闇は投合されるが、分裂した二つの自我に奇跡を起こすには遅過ぎた、と言う訳である。

次回、「山野一論」最終回で、この「どぶさらい劇場」を総括すると同時に、山野一と言う天才漫画家について、再度考察したい。