荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載46)

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荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載46)

山野一
「消えた天才漫画家の復活を再び祈る」(その⑩)


●20世紀最大の奇書「どぶさらい劇場」を読む

山野漫画の集大成と呼んで差し支えないだろう「どぶさらい劇場」は、1994年7月にスコラから発行される。同社「コミックスコラ」に、28回に渡って連載された、「四丁目の夕日」以来の長編漫画作品である。「コミックスコラ」は、1993年4月、一世を風靡したグラビア系情報誌「スコラ」の姉妹誌、漫画専門誌と言う事で、かなり脚光を浴びる中で創刊された。執筆人も、「やまだないと」、「井上三太」、「おおひなたごう」など一癖も二癖もある個性派が揃い、そこに山野一の名前が並んでも遜色のない密度の高い漫画専門誌であったが、残念ながら、1999年にスコラの倒産により廃刊となってしまった。

250ページに及ぶ長編漫画「どぶさらい劇場」は、前回まで批評した山野漫画の哲学、エッセンスが満載で、正に山野漫画の集大成と呼ぶに相応しい傑作である。金持ちと貧乏人のプロローグから、畸形、き○がい、虐殺、凌辱、調教と続き、異次元、宗教、洗脳、ドラッグ、そして神、奇跡のエピローグまで、山野漫画の幕の内弁当だ。

同時に、これも残念な事であるが、本格的な山野漫画としては、この作品が最後の物となる。この後の作品と言うと、まだ山野一論ではご紹介していないが、1990年から1996年にかけてリイド社リイドコミック」に連載された連作ギャグ漫画「ウオの目君」、1997年から1999年にかけてサン出版「マガジン・バン」に連載された、これも不条理ギャグ漫画の「たん壷劇場」ぐらいの物で、確かに山野漫画の肝は踏襲されてはいるが、ファンとしては物足りなさが残る作品であると言わざるを得ない。1999年以降に、ねこぢるy名義で描かれた物などはもっての他だ。


●金持ち、貧乏人、畸形、き○がい、お嬢様の業は暴走する


大富豪の我侭なお嬢様「芦屋エリ子」は、愛車ポルシェでパーティ会場に向かう途中、焦りと不注意から、下町の信号を横断しようとする職工風の男を跳ねてしまう。信号無視、スピード違反により、男に重症を負わせたエリ子は、そのまま余儀なく市原交通刑務所に収監される。やがて刑期を終えたエリ子は、仕方なく被害者にお詫びをすべく、その下町の汚い都営住宅へ出向くのだ。この、神の存在にも関わる壮大なスケールのドラマは、ここから始まる。

その被害者は、殺伐とした都営住宅に、一家三人で住む、絵に描いたような貧乏人で、その一家は、見るからに下品極まりない夫婦と、たくあんをまるごと一本しゃぶり続ける畸形のき○がいである。家族構成は、事故の被害者で夫の「岸本とめ吉」、強欲な妻「まさみ」の夫婦、一人息子のき○がいの名は「きよし」で31歳になると言う。

形だけの一通りのお詫びするエリ子は、態度は頗る悪く、とめ吉、まさみから虐待を受けるが、同席したエリ子の両親は、それを見て見ぬふりをするしかなかった。エリ子の3ヶ月間の入所中に、父は事業に失敗し会社は倒産、破産に追い込まれ、賠償金を払うどころではなくなってしまったのだ。

破産により、今まで住んでいた豪邸を差し押さえられたエリ子と両親は、一間の貧乏アパートに転居せざるを得なくなる。そのアパート名は「清風荘」、山野漫画では貧乏アパートの代名詞である。多分、実在したアパートなのであろう。

莫大な賠償金をエリ子が払える訳もなく、完済するまでの間、エリ子は岸本のアパートに鎖で繋がれ監禁され、とめ吉の看病、きよしの世話を強要される。それを余所に、エリ子の両親はさっさと夜逃げをしてしまうのだ。

鎖に繋がれたまま、奴隷のような生活を虐げられるエリ子は、やがて抵抗する事が無駄だと悟り、隙を見て逃げ出す算段を目論み、従順なふりをして機会を伺うようになる。夜な夜な、まさみときよしのおぞましい近親相姦を目の当たりにし、そのきよしの嫁になれとまさみに薦められても、エリ子はニコニコと受け入れる。

その機会は訪れる。まさみの外出中に、エリ子は、物置で発見した斧を取り、エリ子ときよしを繋ぐ鎖を切断し、エリ子を取り押さえようとするきよしの頭を斧で割る。そのまま逃走するエリ子だが、運悪く帰宅するまさみに出くわし、再び連れ戻され、今度は汲み取り式の便所の汚物の中で監禁される事になるのだ。

ここまでが第一部だろう。大富豪のお嬢様エリ子が、自分の不注意から起こした事故により没落して行く。しかしながら、長年染み付いたお嬢様の業は深く、中々現実を認識出来ずに、更に墓穴を掘る。この境遇から脱出しようと切磋琢磨するエリ子だが、鬼畜山野一は、エリ子を便所に放り込んでしまうのだ。エリ子は、蛆虫と共に汚物の中で生活するようになる。つい数ヶ月前までポルシェに乗っていたお嬢様が、である。


●分裂したエリ子の業は神と遭遇する


第二部で、エリ子は神と遭遇する。無機質な瞳、額にある三つ目の眼がある、万物の創造者、宇宙の真理、シヴァ神である。ここからが山野漫画の本骨頂、山野一の神学論が始まるのだ。

斧で滅多打ちにあったきよしであるが、右手首を失ったものの、何とか命は取り留める。凄まじい回復力である。

一方、汚物の中のエリ子は、毎日まさえから糞小便を掛けられ、耐え難い日々を過ごす。泣き喚き、絶叫するエリ子は、何度も発狂寸前まで追い込まれるも、次第に今ここにある現実を受け止めるようになる。もう何週間、何ヶ月ここに居るのだろう、とぼんやりと考えるエリ子。そこで、エリ子は、眩い光に包まれるのだ。

目を開くと、エリ子は、四方八方が悠然とした山々に囲まれた神殿に居る。そして、エリ子の前には、穏やかな表情の一人の青年が腰掛けている。
青年は、「ここはおまえの心の中、私は神」だと言う。人間は光と闇、相反する二つの要素から成り立ち、貪欲、傲慢、憎悪、あらゆる悪徳の塊に支配されたエリ子と、正直、慈悲、柔和、人間の光の面を司っているエリ子が分裂した、と言う。その為に、業の深いエリ子と肉体との関係が破綻したのだ。
エリ子は混乱する。その頃、便所の下で意識を取り戻すのは、光の面を司るエリ子である。

今までのエリ子ではない。その一点の邪念もない澄み切った瞳に、まさみさえ動揺を隠せない。そのある種の、圧倒的な神々しさに、まさみもエリ子の監禁を解く。

光の面を司るエリ子には、今までになかった能力が備わっている。それは、人の心を読み、また一瞬にして人の本質を見極める能力である。
便所の汚物から開放されたエリ子は、まさみ、とめ吉を一目見て、その荒んだ精神を察知し、心を痛める。そして、きよしを見るエリ子は、きよしの、一点の邪念もない、清らかに澄み切った湖のような心に感動する。
そして、エリ子は、そのままき○がいで畸形のきよしと結婚してしまうのだ。

その頃、夜逃げしたエリ子の両親はと言うと、山奥のダム工事の現場で、住み込みで働くが、金持ち生活が長い夫婦が、その底辺の仕事がまともにこなせる訳はなく、あっと言う間に追い出される。
それはさて置き、エリ子の岸本家への従順さは大した物で、夫のきよしへの愛情は勿論、まさみ、とめ吉に対しても、文字通り心身ともに、精神誠意尽くす。そこで、エリ子は、もう一つの自分の能力に気が付くのだ。エリ子が手を翳すと、患部、傷口が治癒されてしまうのである。長年インポテンツだったとめ吉を勃起させたりもする。これは、奇跡と言っていい能力だ。

エリ子は、困っている人たちの為に自分の力を役立てたい、ボランティア活動をしたいと、まさみに申し出る。家族の世話、家事に一切手を抜く事のないエリ子の働きに、まさみもその申し出をあっさりと受け入れるのだ。

ここまでが第二部である。第三部では、宗教、そして洗脳、また神学、宇宙論まで発展する「どぶさらい劇場」の最大の山場が待つ。