荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載39)

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荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載39)

山野一
「消えた天才漫画家の復活を再び祈る」(その③)

●初期山野漫画の傑作「四丁目の夕日」を読む(その②)

過酷な現実の中にも、癒される一時はある。元々勤勉だったたけしは、コツコツと真面目に働き、貧しいながらも生活は安定し、穏やかな日々は続く。
そして、今日はひできの誕生日だ。大した事はしてあげれないが、せめてカレーライスでお祝いである。

そこに、ドアを叩く音がする。たけしが開けようとドアに近づくと、いきなりドアは斧で破られ、その斧はたけしの耳を直撃し、血飛沫と共にたけしの耳が飛ぶ。
隣人の狂人だ。隣人の狂人が、ゲタゲタと笑いながら顔を歪め、斧を持って乱入して来たのだ。そして、その斧は弘子の腹を抉り、逃げようとするひできの首を撥ねる。

やがて、意識を取り戻したたけしが見るものは、カレーライスを貪り食う隣人の姿である。初めのうちは、何が起こったのか理解出来ていなかったたけしは、たけしまでも襲おうとする狂人の斧を咄嗟に奪い取り、反射的に狂人を滅多打ちにしてしまう。
そして、完全に精神の箍が外れたたけしは、「ひゃっほう〜」と叫んで斧を振り回して外に飛び出し、道で出会う通行人を片っ端から惨殺してしまうのだ。その数にして15人である、これは大惨事だ。

錯乱状態のたけしは、まともに取り調べも出来ず、平静に戻った後も犯行時の記憶は戻らなかった。裁判では、犯行時の責任能力の不在が証明され無罪とはなったが、精神病院への長期入院が義務づけられる。

その間に、入院中の母マス江は、回復を迎えるも、夜中に痰を詰まらせて窒息死してしまう。

立花は、慶大を首席で卒業し、血筋、家柄共に申し分ない、東女卒の美しいお嬢様と結婚、優秀な子供にも恵まれ、有能な立花物産の経営者として、一点の陰りもない有意義で快適な人生を送っている。

恭子は、家が町のパン屋であった為、立花との付き合いはあっさり金銭で片付けられる。仕方がないので、普通のサラリーマンと結婚し、何の変哲もないありきたりの主婦に収まる。

そして、たけしは、30年間に渡る入院期間を過ごし、漸く退院の許可が下りる。
退院後の勤務先も決まっている。地下鉄構内に於ける痰壷の回収、容器の洗浄であるが、たけしは喜んで従事する。
年寄りばかりが勤める社内は、金属加工工場と違い、和気あいあいで居心地は良い。皆が親切で、中にはたけしに気がある婆さんも居る。

「こうしてたけしは復帰の第一歩を踏みしめた。幸い職場でも人気者だ。今日までのたけしの人生は幸福なものではなかったかもしれない、しかしこれからの人生において彼は失われた多くのものをとりもどしていくだろう、さあかけがえのない第二の人生の出発だ」。

「 びゅうううううう・・・」と音を立てる横殴りの風の中、うらぶれた路地を進むたけしの後姿で、この「四丁目の夕日」は幕を下ろすのだ。

30年間に渡る入院生活と言う事だから、たけしも50歳手前ぐらいになるか。勤務先の仕事は、地下鉄駅構内の痰壷の回収、洗浄である。職業を蔑視する訳ではないが、出来れば進んで就きたくはない仕事であろう。その職場で、たけしに気がある小汚い婆さんが居る。たけしに、おにぎりを振る舞い、「どげ?うめげ?」と熱い視線を送る。
これが、「さあかけがえのない第二の人生の出発だ」、である。帰途、たけしに吹くのは冷たい木枯らしのみである。この木枯らしこそ、たけしを取り巻く環境そのものなのだ。

前回、立花の紹介欄で、「たけしをよりどん底に沈めるのに一役買っている」と書いたが、読んでお分かりの通り、立花と言う人間は中々の好男子で、たけしの事も最後まで思いやる。たけしのガールフレンドと交際するようになるが、これも、自己中心的な恭子が、一方的にたけしと別れた後の事だ。

立花は、たけしが、第二の人生の出発をした時に、「一点の陰りもない有意義で快適な人生を送っている」訳である。
高校時代はどうだったか。立花は、勿論大金持ちの御曹司と言う事だから、確実に約束された将来が待ってはいただろう。ただ、たけしも、優秀な大学に進学し、一流の企業に勤め、父と母に楽をさせてあげられたはずではなかったのか。たけしと立花は、家柄こそ天と地ほど違うが、それ以外はあまり変わらなかったのではなかったのか。
それが、この差である。山野一は、「一点の陰りもない」、「有意義」、「快適」と、ここまでとことん表現するのだ。これは、たけしを、更なるどん底に沈める為の布石である。

自己中心的、と書いて来たが、この「四丁目の夕日」の主要登場キャラクターの中で最もユージュアルな恭子。
落ちぶれたたけしから、あっさり立花に乗り換えるが、この事は、普通の女の子なら当然だったと言っていい。たけしが情熱的なキャラクターであれば、一抹の可能性も残ったのかも知れないが、当初は受験勉強に、そして今度は家族の生活に追われるたけしには、恭子を思い遣る余裕がなかったのだから。
そして、家が町のパン屋だった恭子も、あっさり立花に捨てられ、やはりこの主要登場キャラクターの中で最もユージュアルな人生を送るのである。


●「四丁目の夕日」を総括する


山野漫画に共通する哲学でもあるが、貧乏人が涙ぐましい努力をする事によって、その立場が少しでも好転する事は有り得ない。代々、その遺伝子が途切れる事もない。実は、山野漫画では、カースト制度が厳守されているのだ。金持ちはより富み、貧乏人はより喘ぐ。
恭子ではないが、どんな美貌の持ち主でも、パン屋の娘は金持ちとは添い遂げられないのである。

そして、鬼畜漫画家と異名と取る山野一の執拗さ。これは、「四丁目の夕日」の随所に見られる。くどい、えげつない、容赦ない。「死に体に鞭を打つ」と言う言葉が、生温い表現とさえ思えてしまう場面は続く。

たけしが金属加工工場に勤めると、先輩に、以前、父富茂が印刷工場で解雇した不良の職工が居る。富茂の悲惨な死を知る職工は、たけしに近づき囁く。
「くたばっちまったんだって?あのオヤジ・・・」、「ぐっちゃんぐっちゃんだったーつーじゃん、機械に挟まっちゃってさ・・・」、「オウちょっと聞かせろよ、ぐっちゃんぐっちゃんだったんだろ?」、「なあ・・・ぐっちゃんぐっちゃんだったんだろ?」、「なあ・・・」、「ぐっちゃんぐっちゃんだったんだろ?・・・」。
この執拗な会話は、何と2ページに渡り描かれるのだ。

そして、金属加工工場で心身共に疲れるたけしは、工場の傍の一膳飯屋で昼食を取る。
職工で混み合う昼時の飯屋は、他愛のない話で馬鹿笑いをする下品でだらしない職工たちで埋め尽くされる。蝿が飛び回り、掃除もいい加減だ。店員の態度も頗る悪い。
その片隅に佇むたけしに運ばれて来た定食の、白いどんぶり飯の上に乗っているのは、誰ぞやの陰毛である。

徹底的である。それは、このエンディングにも総括される。
たけしと、立花の相違点は何であったか。それは、家柄なのだ。血縁なのだ。貧乏生活が染み付いたたけしには、勤勉であり続ける事しか出来なかったのだ。その不器用さにより、たけしは全てを失ったと言っても過言ではない。山野漫画で徹底されるカースト制度には、確固たる根拠に基づいてもいる。

30年間に渡る入院生活は、たけしに何を与えたであろう。夢、希望、失った物は多いだろう。喜怒哀楽、些細な感情さえ失っている。再生されたたけしは、痰壷回収マシンに過ぎない。
山野一は、「失われた多くのものをとりもどしていくだろう」とエンディングで語っているが、もう取り戻せる物は何一つないのだ。鬼畜、山野一、只者ではない。

我孫子駅にて。荒岡保志。撮影・清水正