荒岡保志の偏愛的漫画家論(37)

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荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載37)

山野一
「消えた天才漫画家の復活を再び祈る」(その①)

山野一論、はじめに


歌人にして詩人、漫画評論家であり作家の「枡野浩一」が、2000年に二見書房から発行した「漫画嫌い」の中で、「山野一」についてこう書いている。

「単なる冗談としてでいいから、『信じられないほど不幸な人生』というのを、今ここで想像してみてほしい。きっと、あなたの想像力より、山野一の想像力のほうが、はるかに深いどん底を覗いている」

確かに山野一は、どん底に次ぐどん底、更にそのどん底の下にあるどん底と、容赦なく不幸な人生を描く。これ以上の不幸は存在しないだろう想像する不幸を一蹴する。ここまで不幸だと、開き直ってある意味快楽的なのではないかと考えたりもする。
山野一と共に、「特殊漫画家」と言うカテゴリーを定義付けた「根本敬」は、「山野一の描き出す不幸のどん底は逆に大乗仏教的ですらある」とまで評価している。この域は凄い。

この「偏愛的漫画家論 山野一論」は、2006年、D文学研究会が発行した「D文学通信」1143号、1144号と2回に分けて発表した拙作の全面改訂版である。5年前にも復活を祈ったのだが、未だその祈りは届いていないようだ。このまま消えてしまうには、あまりにも惜しい才能なのだ。

ここでいきなり余談であるが、枡野浩一は、映画化もされた漫画「さよならみどりちゃん」の作者で、女流漫画家「南Q太」の元夫である。決して「漫画嫌い」ではないと書いて置こう。


山野一プロフィール


山野一、本名「橋口保夫」。1961年4月2日、福岡県生まれ。幼少期は三重県四日市で過ごし、中学時代に千葉県に転居、青年時代まで千葉県で過ごす。立教大学文学部に入学、大学3年から4年にかけて入部していた美術クラブで漫画を描き始める。
1983年、青林堂「月刊ガロ」12月号に発表した「ハピネス・イン・ビニール」で漫画家デビュー。大学4年生、漫画を描き始めて1年と言う早熟なデビューである。
また、元妻「橋口千代美」は、1998年に自殺、他界した「ねこぢる」のペンネームを持つ人気漫画家で、愛妻の死後、山野一は「ねこぢるy」のペンネームで活動していた時期もあった。

デビュー作「ハピネス・イン・ビニール」は、未だ単行本化されておらず、残念ながら斯く言う私も読んだ事がない為、ここではご紹介する事が適わない。ご了承頂きたい。
デビューした当時は学生だった為、仕送りなどもあり気楽に漫画を描く事が出来たが、1984年から「月刊ガロ」に不定期で作品を発表するも、これは特殊漫画家の宿命でもあるが、中々漫画だけで生活する事は困難で、2年間はアルバイトをして食い繋ぐ。

待望の処女作品集は、やはり青林堂から、1985年2月に発行された「夢の島で逢いましょう」である。


●ES、初期山野漫画に見る無意識と言う意識


「ハピネス・イン・ビニール」に続いて、「月刊ガロ」1984年2・3月合併号に「タブー」、同年11月号に「あほうどり」を発表する。デビュー間もないと言う事もあり、この2編は、山野漫画としては特殊と位置づけられるか。らしい、と言えばらしいのだが、山野漫画の紙面を埋め尽くすえげつなさが希薄なのだ。大学3年生で漫画を描き始め、4年生でデビューする山野一である、まだまだ手探りで、実験的作品と言う印象だ。

「タブー」は、主人公の探偵が、医大の教授から仕事の依頼を受け、研究室を訪れる場面から始まる。依頼内容を聞いているうちに、教授の顎を割って昆虫の触手が飛び出し、その噴射される体液を浴びる探偵のあらゆる皮膚から細かい虫が湧き出る、と言う、少しシュールなストーリーである。

「あほうどり」は、山奥で執筆活動をする漫画家の下に旧友が訪れ、高校時代の数学教師が話した奇妙な体験談を伝えると言うストーリー。それは、戦時中、南の島に駐屯していた時に、海に垂らしたつり糸にあほうどりが掛かった、と言う他愛のないものであったが、その真偽を議論しているうちに、現実と虚像が交差して行く。

初期の山野漫画は、精神の内面、知覚神経を扱った作品が多い。上記2作品は、その代表的な作品である。現実と虚像と言うより、狂気との境目が非常に脆いその世界観は、勿論山野漫画の一つの特徴と言っていい。


●山野漫画のベースを作った秀作2編、「白鳥の湖」と「DREAM ISLAND」

1985年、同じく「月刊ガロ」1月号に発表されるのは、親子代々蓄膿症が遺伝する実在の友人を、コミカルに、またアーティスティックに描いた「蓄膿三代」である。山野漫画には、ついつい目を背けたくなる残酷な描写が度々登場するが、「蓄膿三代」では、寧ろその描写が中心となっている。全体的にイラストで構成された、漫画と言うよりは絵巻と言った感はあるが、コラージュの使用法も効果的で、上質な作品に仕上がっていると評価出来よう。

続いて、同誌2・3合併号に発表された「白鳥の湖」であるが、この作品で、初めて山野漫画の完成を見ると言っていいだろう。絵柄こそまだ荒削りではあるが、金持ちと貧乏人、畸形、狂人、凌辱と、山野漫画の主要なエッセンスが満載なのだ。

お金持ちの御曹司「慶一」と、ガールフレンドの「みゆき」は、慶一の外車で北海道の奥地にドライブに行く。そこの湖でボートを楽しむ二人だが、慶一は、ふと異変に気が付く。湖に、水死体が浮いているのだ。それも、夥しい数で、またその全てが畸形なのだ。
そして、湖に現れる漁船に、その畸形と共に網に掛けられる慶一は漁師に殺され、みゆきは凌辱されるのだ。

狂人の治療薬「快脳丸」、宮内庁ご用達の清涼飲料水「蒸留水ラムネ」などの広告をコラージュとして挿入する手法は、「蓄膿三代」からそのまま引き継がれている。
また、これは山野漫画の主題と言っていい、上流階級、美男美女が、下流階級、畸形、狂人に犯されると言うシュツエーションが初めて描かれた作品でもある。

処女作品集「夢の島で逢いましょう」のタイトルイメージにもなった「DREAM ISLAND」は、同誌8月号から10月号まで、3回に渡り連載された、犯罪者を隔離した夢の島を舞台にした近未来SF作品である。島の中では、定期的に上空から散布される強力な殺虫剤、化学薬品の為に、犯罪者同士が産み落とす子供は悉く畸形である。夢の島は、凶悪犯罪者と狂人と畸形の島と化しているのだ。これは、「江戸川乱歩」の「孤島の鬼」、否、暗黒舞踏家「土方巽」が主演した、「石井輝男」監督の映画「恐怖畸形人間」である。

この凶悪で救われない島に、慰問するのは「立大聖歌隊」の美人女子大生の一行である。しかも、この偽善に満ちたリーダーの美人女子大生は、国会議員の娘でもあるのだ。これから何が起こるのかは、ここで解説しなくてもお分かりの事であろう。

軍隊が「立大聖歌隊」を完全に警備するも、凶悪犯罪者の攻撃は予測の付かない事もあり、あっと言う間に玉砕され、女子大生は漏れなく凌辱を受ける。その肉体がドロドロになるまで犯され続ける女子大生たちは、救出される時には、「H・R・ギーガー」の「エイリアン」よろしく、化学薬品の為か皆同様に畸形化し、蠢いている。
流石の国会議員も手に負えず、娘もろとも夢の島を爆破してしまう。

このラストシーンは、初めから想定されていたものだったのだろうか。何か、終始が付かなくなって無理やり迎えた結末、と言う印象だが。
また、「白鳥の湖」に引き続き、畸形、狂人、凌辱のオンパレードであり、まだ新人漫画家ながら、山野一の存在感を知らしめた作品であると言える。

柏「水郷」にて。荒岡保志。撮影・清水正2011-2-5