荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載28)

清水正への原稿・講演依頼はqqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。
ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。
ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  
清水正の著作   D文学研究会発行本   グッドプロフェッサー
偏愛的漫画家論(連載28)
山口貴由
 「ビジュアル系ハードコア漫画道を覚悟して読め!」(その①)

荒岡 保志漫画評論家

日野日出志研究」刊行記念忘年会にて。2010.12.27 撮影・清水正
山口貴由論、はじめに


私が「山口貴由」の漫画に初めて触れたのは、もう16年前に遡る、1994年、秋田書店週刊少年チャンピオン」13号に新連載として発表された「覚悟のススメ」の第1話「戦略人間兵器」である。

週刊少年チャンピオン」と言えば、私ぐらいの年齢(現在49歳)であれば、「手塚治虫」の「ブラックジャック」、「山上たつひこ」の「がきデカ」、「鴨川つばめ」の「マカロニほうれん荘」など、戦後漫画史を語るには欠かせない一大傑作を排出した少年漫画誌、と言う印象であろう。そして、「ドカベン」の「水島慎司」が看板漫画家である。
ところが、1990年代に入り、「週刊少年チャンピオン」は、今までのスポーツ根性漫画、番長不良漫画から一線を画し、かなり冒険的なアプローチで新人漫画家を発掘するようになる。今でも人気の衰えない格闘技漫画板垣恵介」の「グラップラー刃牙」、今ではギャグ漫画の大道中の大道と言える「浜岡賢次」の「浦安鉄筋家族」、カルトホラー漫画家「高橋葉介」のホラーオムニバス「学校怪談」など、連載作品のクォリティが高く、私は毎週必ず愛読していた。

冒険的な時期でもあった為、連載開始しては間もなく消える作品も多々あったと記憶する。正直、「覚悟のススメ」も冒頭数ページ読んだ印象は、「原哲夫」の「北斗の拳」の焼き直し、学園版で、これもすぐに消えるのだろう程度のものだったが、その印象が間違っていた事に気が付くのには、それほどの時間を必要としなかった。

この漫画家、山口貴由特殊漫画家だ、私はそう確信した。

山口貴由の美学を貫く、その拘りにすっかり魅了されてしまったのだ。圧倒的独創性を持つ魅力的なキャラクター、優れた画力に裏づけられたエロティシズム、グロテスク、そして何より、一歩間違えば陳腐とも思われるセリフの数々。覚悟をするのは、この漫画の主人公だけではない、読者も、である。
この頃、私は、毎週木曜日、「週刊少年チャンピオン」の発売日が楽しみになっていたのだ。


山口貴由プロフィール


山口貴由。1966年11月1日、東京都生まれ。都立豊島高校卒業。卒業後、「小池一夫」率いる「劇画村塾」に2年間在籍する。

デビュー作は、1986年、これも小池一夫率いる「小池書院」の発行する「COMIC劇画村塾」5月号に発表された「NO TOUCH」、同年、同誌6月号から「LORDLESS FENCERS」を12回に渡って連載する。1987年、同じく同誌6月号から原作小池一夫の「陀羅尼クン」を4回に渡って連載、10月号、11月号、2回に分けて「THE SMASHERS」を発表、12月号に「バーミン」を発表する。1988年、同誌1月号に「そして次の朝を待つ」、2月号に「高校生 異種格闘技戦」、3月号に「吉田事件」、4月号、5月号、2回に分けて「螺旋状の秘密」を発表、この年度で「劇画村塾」を卒業する事になる。
残念ながら、この「劇画村塾」時代の山口漫画は一切単行本化されておらず、実は私も触れた事すらない。ただし、1988年に発表された「高校生 異種格闘技戦」、「螺旋状の秘密」のタイトルから、この作品で既に「覚悟のススメ」の世界観、その原案が構築されている事は伺える。

1989年、「小池書院」発行の「コミックHAL」に「変化御用 はらら」を発表。同年、「スタジオ・ショップ社」発行の「ヤングシュート」9月号に同タイトル作品「変化御用 はらら」を掲載しているが、これはリメイクでもなく単純に同作品であろう。この作品も単行本未収録であるが、主人公の「はらら」は、そのまま「覚悟のススメ」の「散」(はらら)である事は間違いない。

そして1990年、リイド社「月刊コミックジャックポット」11月号から、4回に渡り「サイバー桃太郎」を連載する。この作品が、山口貴由のメジャー漫画誌デビュー作品と言って差し支えないだろう。


●「サイバー桃太郎」から「新サイバー桃太郎」へ、放浪する魂の寓話


1990年に「月刊コミックジャックポット」に連載された「サイバー桃太郎」は4話から成り、翌年の1991年、「コミックジャックポット」3月8日号から10週に渡って連載された「新サイバー桃太郎」は5話から成る、全9話である。主人公はそのまま「桃太郎」、改造人間、サイボーグで、桃太郎の全9話を通した設定はほぼ同じであるが、相違点は、重複するキャラクター設定にやや開きがある事と、「新サイバー桃太郎」の方がややコミカルに描かれている事か。

桃太郎は、その名の通り鬼ガ島へ鬼退治に行く。鬼ガ島には、「食夢鬼」と言う、鎧で完全武装した鬼が住む。在籍する道場「青空道場」で一番の実力者の桃太郎は、英雄を夢見て、恋人の「イヌ子」、道場の同士が見守る中、鬼ガ島へ向かうのだ。
ただし、鬼の名を再度思い出して欲しい。この青年の夢は儚く散る事を暗示しているではないか。桃太郎は敢え無く破れ、瀕死の重傷を負い、命からがら何とか町に戻るが、道場の同士も、イヌ子までも桃太郎を救おうとしない。皆、負け犬には手を差し伸べないのだ。時代考証も、国も、「いつか、どこかの国」と言う設定で、江戸時代のような、現代のような、未来のような時代で、日本のような、亜細亜のような国である。皆、そう言う国民性で、桃太郎自身もそう言う付き合いしかしていなかったのだろう。
桃太郎は、再び鬼ガ島へ戻る。「オレの帰るところは、もう・・・おまえの胸しかないんだ」、桃太郎は言う。そして、食夢鬼に挑む桃太郎は、腹を切られ内蔵を撒きながら、その拳で食夢鬼の顔面を貫くのだ。

桃太郎は、「細川玄庵」と言う医師の手により救出される。脳と性器以外は人造である。「キミはもうじき死ぬよ」、細川先生は言う。人造人間となり、奇跡的に命は取り留めたが、発作が起こり、やがて死ぬ、と言う事だ。「オレは大丈夫さ、毎日ヤサイ食べてるもん!」と強がる桃太郎だが、内心は穏やかではない。
それからの桃太郎は、自己証明の日々である。桁違いに強い「仏滅拳王」に挑み、「青空道場」を蔑んだ武士、剣の達人に、桃太郎の、のら犬の魂、その誇りを見せ付ける。桃太郎の剣の腕を利用しようとする門弟3000人の道場の経営者から大金を積まれても、「人を動かすのは心だよ」と言ってのける桃太郎。あの鬼ガ島で、桃太郎の中に何かが生じたのである。そして、このストーリーは、「新サイバー桃太郎」に引き継がれる。

「新サイバー桃太郎」は、第1話こそ桃太郎が住む町、細川先生の診療所から始まるが、もっと顕著に、自分探しの旅、ロードムービーのようなストーリーになる。
桃太郎が密かに友情を抱いていた、診療所に眠る同じ改造人間の少年「飛男」が、怪物化し町を襲う。飛男を思い遣りながらも破壊せざるを得ない桃太郎。その葛藤から、桃太郎は旅立つのである。因みに、「飛男」とは、言わずと知れた「手塚治虫」の代表作「鉄腕アトム」の、アトムの本名である。
放浪しながら、見世物小屋で呼び込み役を務める桃太郎、ここでも理不尽な役人と対決する。桃太郎の人造人間度は遥かに増し、背中、肘から鋭い刃は飛び出すは、手首は鋼鉄製で指先も鋭い鋼鉄の爪が生えるは、ホラーSF作品の様相を秘めて来る。
極端な自己中心で、町人の殺戮を繰り返しながらキャンバスに絵を描く前衛芸術家を粉砕したり、勇気を求め、自己啓発の為に「洗脳塾」に入塾、セミナーを受けたり、自分探しの旅は続く。
そして、全てを放棄する桃太郎の前に、天界から使者が舞い降りる、と言う最終話。桃太郎を天界に誘う使者、現世に何の希望も持てない桃太郎の葛藤が描かれる。ただ、桃太郎は、この甘美な死への誘惑に打ち勝つのだ。

未だ荒削りではあるが、絵柄に関してはかなり完成に近づいている。今後、山口漫画の重要な要素になるエロティシズムとグロテスク、その片鱗も伺える。これも山口漫画の肝であるが、脇を固めるキャラクターの魅力、食夢鬼を始め、仏滅拳王、飛男、見世物小屋の見世物たち、死の前衛芸術家、そしてその双子の弟子、洗脳塾の塾頭、そして天界からの使者、これらのキャラクターは、今後の山口漫画がただでは済まない事を示唆しているのだ。その独創性には頭が下がるばかりである。

そして翌1992年、同じく「コミックジャックポット」1月10日号より、9週に渡って、「平成武装正義団」が連載される。この作品こそ「覚悟のススメ」の原案である。


●「平成武装正義団」は「覚悟をススメ」に進化する


主人公は「神風零」、白い学ランの下を戦闘用強化スーツで固め、完全武装した高校生である。実は、神風は元虐められっ子で、中学生時代に自分を虐めの対象にしていた「邪の目七人番長」を粉砕する為の武装である。復讐と言う意味もあるが、この番長グループは特殊超能力を秘める極悪集団で、証拠こそ挙がっていないが、影で殺戮を繰り返しているのだ。正義の為にも粉砕する意味がある。
この神風のキャラクター自体が、「覚悟のススメ」の「葉隠覚悟」に進化する訳だが、ここでは、その戦闘意義に覚悟ほどの根拠はない。その分、ストーリーに深みが欠けているのは事実である。

神風側のキャラクター、クラスメイトたちは、PTA会長のお嬢様で偏差値75、剣道5段の文武両道のスーパーヒロイン「剣崎スミレ」、神風に恋心を抱く男色家で、この学園の番長「右手番長」、そして無責任さを全面に出す担任教師。これらのキャラクターたちは、全員が「覚悟のススメ」に引き継がれる。
「邪の目七人番長」であるが、豊満な胸と巨大な一物を持つ、両性具有者の「サドラー」、ステロイドを常用する怪力男「ジャッカル」、鮫の頭を持つ「サメ島」、常時空中浮遊する、巨大な頭部を持つ超能力者「アタマ田」、全身を鋼鉄で包み、身体にマシンガンを内蔵する改造人間「キカイ田」、特殊な酸の胃液を持ち、何でも溶かしてしまう「カメレ男」、そして身長5メートルの正に怪物「魔天郎」と言う、これも「サイバー桃太郎」に登場するキャラクターを継承する独創性に溢れ、勿論、この独創性は、同じく「覚悟のススメ」に引き継がれる。

飛び散る脳、剥がされる皮などのバイオレンスでグロテスクな表現はそのままであるが、エロティシズムについては、今作はやや大人しめであるか。これは、一つは桃太郎と神風のキャラクターの差と考えて良いだろう。もう一つは、全編で200ページの制限の枠で、このストーリーは書き切れなかったと言う事である。全体を通して、かなり窮屈な印象なのだ。

「平成武装正義団」連載終了後、「コミックジャックポット」7月10日号から2週に分けて「愛のうさぎ戦士」を発表、同誌8月28日号から7週に渡って「炎のうさぎ戦士」を連載する。
そして、1993年に入り、「コミックジャックポット」5月28日号から9週に渡って、「悪鬼御用ガラン」を連載するが、この作品で、山口漫画は、漸くあるレベルに到達したと評価出来るのだ。


●「悪鬼御用ガラン」に見る武士道、非情、大いなる愛


「サイバー桃太郎」に引き続き、このストーリーの舞台は、「いつか、どこかの国」で、時代考証はほぼ江戸時代、国は、かなり日本に近い国、と言う印象の設定である。そして、この作品のコピーは「近未来アクション時代劇」と銘打たれている。何だか随分アバウトな表現をしたものだ。

主人公は、巡回死刑執行人の「ガラン」。どうやらこの世の中には悪鬼が蔓延り、非力な者を殺戮していると言う設定で、ガランは、その悪鬼の退治しながら放浪する死刑執行人である。ここに登場する悪鬼は、今まで山口漫画に登場して来た変質者や超能力者ではなく、その名の通り鬼なのだ。尤も、人間の形はしているのだが。
元々ガランの住む町は、100年間戦争を知らない海に囲まれた国であったが、そこに漂着した船に乗っていた悪鬼により、その国の平和は乱される。悪鬼に妹を食われ、自分も犯されるガランは、悪鬼を葬り、その国を後にする。そして全国に蔓延る悪鬼を退治する旅に出るのだ。

山口漫画のあるレベル、と言うのは、一つにはその台詞の言い回し、その言葉にある哲学である。
悪鬼に殺され、犯される恋人たちがいる。その死体を見下ろしながらガランは言うのだ、「守ることもできぬのに恋する男、そんな男を選んだ女、どちらも悪いのだ」と。ストーカー殺人事件が起きると、大抵言われる事がある、殺された女の方にも非があったろう、と。やや意味合いは違うが、ガランは、自分の身を守れずに殺される方にも非がある、と言っている訳だ。この辺りに、山口貴由の哲学が露出している。

そして、もう一つ、登場する魅力的な悪鬼の数々。殺した男の子を人形にし、恋人として愛する、女言葉を使う醜悪男、殺した人間の皮膚を縫い付けたボディスーツを身に纏う悪鬼、ギターを弾きながら愛を語るフォークシンガー、母性本能だけが肥大化した巨大な女など、その特異性には目を見張る。単なる造形だけではない、登場する悪鬼の台詞ひとつひとつの存在感も際立つ。「あなた血の臭いがするわね、最近人を殺したでしょう、ねえ殺したでしょう」とガランに近寄る醜悪男、「今、世界はすごく乱れているよね、どうしてだと思う?一番大切なものを忘れてるからなんだ、何だと思う?」とギターを弾きながら問う中年フォークシンガーは、「それは愛さ、愛」と微笑む。キャラが立つ、と良く言うが、それこそここに登場する悪鬼のキャラ立ちは主人公を遥かに凌駕するのだ。
勿論、元々は怪物ではなかったが、人間の哀しみで悪鬼に変化する場合もある。赤ん坊を誘拐して育てる巨大な女は叫ぶ、「女には母性本能があるのよ!」と。ここに登場する鬼たちは、一筋縄では行かない。

また、ガランには迷いがない。一切ぶれない。未だ少年の弱さを持つ神風とは一線を引く。その分、ストーリー全体が引き締まるのだ。
言葉は少ない。優しい言葉を掛ける事もない。勿論、弱音も吐かない。ただ耐える、大儀の為に。このキャラクターも、覚悟に引き継がれるのだ。
悪鬼を倒す。その為に全国を行脚する。そして、ガランは、隠里で残された悪鬼たちの小さな子供を引き取り育てている。子供には罪はない、と。とは言え、悪鬼の子である、人間に育て上げるのは容易ではない。「真の母性を備えた者だけがそれを可能にする」、ガランは、ガランの後を追って旅に同行する、街娼だった「まゆ」と、悪鬼だった巨大な女「マリコ」にそう言い残し、隠里を後にするのだ。決して戻る事のない戦闘の待つ旅へ。

荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)のプロフィール
漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。 現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。