荒岡保志の志賀公江論(連載5)

清水正への原稿・講演依頼はqqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。
ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

ここをクリックしてください エデンの南   清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室  
清水正の著作   D文学研究会発行本


荒岡保志の志賀公江論(連載5)

70年代少女漫画に於ける志賀公江の役割(その⑤)
志賀公江「狼の条件」作品論②

みさきは、京極から「銀子」という神戸の港で不良たちを仕切る女首領を紹介される。ショートヘアの銀髪、目付きはきついが貫禄のある少女である。人出不足の地元の企業から雑用などの仕事を引き受け、港に屯する身寄りのない子供たち、不良たちの生活を守っているのだ。
みさきは、早速港の不良たちの洗礼を受け、見事に返り討ちにしてしまうのだが、そこで現れた銀子の迫力に圧倒される。みさきは、初めて自分が敗北した事を噛み締めるが、それは清々しい敗北であった。


その矢先である。突如現れたスーツの男たちが、みさきに拳銃を突き付け、連れ去ってしまうのだ。当のみさきは、動じる事なくスーツの男たちに着いて行くのだが、案内されたのは「若林建設設計事務所」、あの、トキが手首に噛み付いた若林の事務所であった。そこには、「堀江」という若林の右腕的存在の役員がみさきを待っていた。
堀江は、みさきには本当の父が居る、しかも、日本でも有数の資産家であると打ち明ける。洋平が本当の父ではない事は、みさきには充分分かっていた。ただ、本当の父が誰であろうと、みさきには何の興味もない事であった。
そこに、銀子が飛び込んで来る。銀子は、みさきは京極から預かった子だ、引き取りに来た、と凄む。京極が背景で動いているのを知った堀江は、あっさりとみさきを銀子に引き渡す。京極と揉める分けにはいかないと、ここでは一歩引いたのだ。

銀子と共に港に戻ったみさきが見たものは、神戸港に停船し、明日ホテルとして完成される往年の豪華客船の勇姿であった。何と、その船の名前は海龍丸、みさきの夢に現れる、あの船であった。
そこで、京極は、海龍一族の事をみさきに話す。一族最後の血筋だった夏江の事、一族復興の為に神戸の財閥に嫁いだ事、夏江のその後、子供を身篭っていたという噂、一部始終を話すのだ。

銀子は、海龍丸の最後の仕上げ、船の清掃を承っていた。窓ガラス拭き、床磨きなど雑用をこなすみさきの前に、この船の持ち主である正岡社長が視察に訪れる。その正岡社長と呼ばれる「正岡直樹」は未だ少年であり、何と、みさきの神戸到着直後、みさきを車で轢きそうになった、あの車の後部座席に乗っていた少年であったのだ。
今度ばかりは、みさきは分が悪かった。みさきは使用人であり、直樹は雇用者であったからだ。それぐらいの理屈はみさきにも充分分かっていた。
それでも、この海龍丸の、否、海龍一族の紋章でもある龍の置物を捨てようとする直樹に、みさきは食らい付くのだ、船は、お前の物じゃない、船は、船と海を愛する者のものだ、と。更に、正岡財閥に踏みつけられた海龍丸は一族の誇りを汚すものだ、きっとこの手で爆破する、と啖呵を切るのである。そして、みさきは龍の置物を奪い取り、船を下りるのだ。

下船したみさきを待っていたのは若林だった。そこで、若林は、みさきの本当の父は正岡財閥の総裁であること、夏江は他界し、その後正岡は銀行家の娘と結婚し、直樹はその娘の生子である事などを話す。若林は、この真実を知ったみさきが自分の野望に協力してくれる事を期待していたのだが、みさきには、そんな過去の話、自分を捨てた父も、死んでしまった母も興味のない事であった。みさきは狼だからだ。狼は独りで生きるものだ。

盛況の中、海龍丸の落成式が行われる。直樹も満足気である。正岡の、美しい姪「美佐緒」がテープカットをする。
その落成式に出席する若林は、その光景を冷ややかに見ているが、早々と退散し、京極の下へ向かう。若林は、みさきを自分と養子縁組しようと、その為にはまず京極の了解を取ろうと、現金で一億円用意しているのだった。正岡財閥の総資産に比べれば、一億円ぐらい安いものであったのだ。

京極の前に一億円の入ったスーツケースを開き、交渉する若林であったが、そこに偶然当のみさきが現れる。みさきは、その交渉を聞き、京極に、札束で心を売るような男じゃないと思っていた、と失望するが、京極は、若林の養女になることをみさきに勧めると同時に、若林が差し出した一億円を、そっくりそのままみさきに預けてしまうのだ。
若林は、自分が正岡の腹違いの弟である事をみさきに告白する。そして、みさきが正岡の実子と証明出来れば、正岡の財産はみさきの手に渡り、若林は、今まで日陰者として自分を馬鹿にし続けた兄弟に復讐が出来る、みさきも、あの直樹を叩き潰せる、とみさきに協力を求めるのだ。みさきは、その若林の申し出を受ける。何よりも、みさきは海龍丸を汚した直樹を叩き潰したいのだ。

港に戻り、今や海辺のホテルと成り果てた海龍丸を見上げるみさきと若林を、一人の不良が待ち構えている。その不良「東」は、みさきに何かを言いかけ、港のクラブへ消える。
みさきは、東の後を追い、そのクラブへ向かう。東が言いかけた言葉、そして、東の持つ燃える瞳が気に掛かったのだ。

みさきは、そのクラブで酒に酔う東と会うのだが、東から、己波の死を知らされる。東は、己波の弟だったのだ。みさきにとっても、己波は特別な存在だった。同じ狼同士だった。その死は、東以上に、みさきにも衝撃である。
東は、己波が若林に殺されたとみさきに話す、正岡の財産をみさきが受け取ったら、みさきも殺されるだろう、と。

みさきが若林の家に戻ると、家には美佐緒が来ていた。その上品な美佐緒とお茶を飲むみさきは、あまりの育ちの違いに圧倒されながらも、海龍一族から奪った幸せを、不幸という形で返す、と心に決める。
また、美佐緒の突然の訪問により、養女を貰った事が発覚した若林は、みさきと共に正岡の屋敷で夕食会に呼ばれるのだ。

その夕食会には、正岡一族が揃っていた。みさきは、祖父が銀行の頭取である正岡の妻、その姉など紹介を受けるのだが、皆、龍の置物を海龍丸から奪ったみさきがが、海龍一族の血を引く者ではないかと興味深々だったのだ。
そこに現れた直樹は、その噂をきっぱりと否定する。正岡財閥でみさきを調査するも、みさきと海龍一族を結びつける証拠は、何一つない、と断言するのだ。当の正岡も、みさきを見ても何の反応もない。
そして正岡は、この場で二つの事項を発表する。一つは、直樹が、正式に副社長に就任する事、そしてもう一つは、若林の解任である。若林が、みさきを使って正岡の失脚を計っていた事を正岡は察していたのだ。若林の右腕である堀江が裏切ったのである。

堀江の待つ車に乗るみさきと若林は、その後部座席でスーツの男たちに襲われ、みさきは薬品で眠らされる。みさきと若林は、ここで堀江の裏切りを知るのだ。

みさきが目覚めると、そこは若林の自宅で、目の前に、胸を拳銃で撃たれ、既に事切れている若林の姿があり、みさきはその凶器であろう拳銃を握らされている。堀江に嵌められたのだ。
みさきは、発見者の振りをする堀江の肩を撃ち、そのまま拳銃を持って逃げるのだ。そして、一旦京極の事務所に駆け込み、京極と話す。みさきは、自分が本当に海龍一族の末裔なのか、確認しに海龍の港に戻る事を告げると、京極は、みさきに、その最後の証人である洋平が事故で死んだ事を明かす。これで証拠はない、だから、あの夕食会で、直樹がみさきが海龍の血筋ではないと公言したのだ。
危険だから、その事務所を一歩も出るなと言う京極を振り切って、みさきが向かうのは、勿論正岡の屋敷である。炎の中を駆け抜けた者だけが生き残れる、みさきは狼の本能でそう思うのだ。

包囲網を潜り抜け、みさきは正岡の屋敷へ侵入する。みさきは、正岡に拳銃を向け、私を実の娘だと認めたから洋平を殺したのだろう、と問う。 正岡は否定するが、もし、それが本当なら尊敬出来る、と言うみさきに、正岡は戸惑う。悪い事をしても最後までやり通す人なら、私は着いて行く、それがみさきの哲学なのだ。傍に居た堀江の防犯ベル通報により、みさきは警官に囲まれ、逮捕される。
ここで正岡は、計画を修正する、即ち、みさきをこのまま亡き者にするのは惜しい、充分に利用価値がある、と判断するのだ。

警察署で尋問を受けるみさとに保護者が現れる。殺人犯の身元を引き受け、釈放させる訳だから、相当な権力者である。それは、勿論、正岡であった。みさきは、炎の中を突破したのである。そして、その巨魁の懐に飛び込む事に成功したのだ。

海龍一族の行方、正岡財閥、その懐に飛び込んだみさき、正岡財閥の副社長として海龍の港にレジャーセンターの開発を進める直樹、若林を裏切り正岡に付いた堀江、みさとを見守る京極、そして東、正岡の妻、家族、その葛藤、この壮大なストーリーは、絡みに絡んだ人間関係を解き、ここから一気にクライマックスへ向かうのだ。

正岡の懐に飛び込んだ以上、牙を剥き続ける訳には行かない、正岡にも、直樹にも、服従せざるを得ない、むやみに敵を作らない、むやみに逆らうのは利口じゃない、これが、己波がみさきに残した狼の条件である。
正岡の屋敷で、現在の正岡の妻「由希子」を改めて紹介されるが、由希子は、みさきの存在が気に入るはずもない。第一に、殺人事件の容疑者である訳だし、第二に、やはりみさきは夏江の子供だったのではないかという嫌疑が燻っているのである。

正岡のビルに通されるみさきは、そこで、裏切り者の堀江と会う。堀江は、これからニューヨークへ向かい、帰って来る頃には出世コースに乗っていると有頂天であるが、みさきは、堀江に忠告する、正岡が、自分の主人を裏切ったような男を信用する訳がない、秘密を知りすぎた者がどうなったかはお前が良く知っているはずだ、と。そして、動揺する堀江に、みさきはある入れ知恵するのだ。

正岡と面会する堀江は、若林を殺したのはみさきではなく、正岡が雇用した殺し屋であると明記された書面を、信用の置ける者に預けてあり、万一自分の身に何かあった場合には、その書面が警察に届くように手配が済んでいる事を告げる。
正岡は、黙って堀江の地位を保証するのだが、内心、堀江がこんなに智恵が回るとは思えない、と釈然としない。

みさきは、直樹とも再会する。以前の、自分を敵視した態度とは打って変わり、従順でしおらしいみさきを見て、直樹は、素直にしていれば女の子らしいじゃないか、と、差し当たり自分の右腕として働いてもらうように正岡に提案する。直樹が手掛けている、あの海龍の港にレジャーセンターを開発するプロジェクトの右腕にである。
そして直樹は、みさきに言うのだ、正岡は、本当は海龍屋敷をレジャーセンターにしたくはない、と。みさきがその理由を問うと、直樹は、正岡は今でも夏江を愛しているからだ、と答える。みさきは、愕然とする。銀行家の娘と一緒になる為に、正岡は夏江の存在が邪魔になったと聞いていたからだ。真実は、一体何処にあるのか。

その頃、正岡の屋敷に、海龍の港の敬が訪れる。敬は、ニュースで若林の死を知り、あの百聞の大渦で、みさきから預かったペンダントのメダルを返そうと、みさきを訪ねたのだ。みさきは正岡と共に正岡のビルに向かった後だったので、由希子が応対するのだが、みさきの本当の母の形見だという海龍一族のペンダントを見て、由希子は確信するのだった、みさきは、夏江の、10年前に行方不明になった実の子供である、と。
由希子は、みさきの、海龍の血筋を証明するそのペンダントを、敬から預かろうとするのだが、敬は、直接みさきに渡したいからとそのまま持って帰る。その後姿を呆然と見つめる由希子であった。

みさきは、朝早くから直樹に呼び出される。直樹と二人で現地視察をする為で、即ち、向かうのは海龍の港である。排他的な海龍の港では、海龍屋敷の取り壊しに反対する者が多い。直樹は、その村人との緩和の為に、海龍の港生まれのみさきが利用出来ると考えたのだ。

正岡の屋敷では、何故直樹とみさきを二人で海龍に行かせたのかと、由希子は正岡を問い詰めている。由希子は、夏江の娘みさきに、正岡が財産を譲ってしまうのではないかと不安なのだ。今は、みさきが夏江の娘だという証拠品もある、と由希子が言うと、正岡は、手にしていたペンダントを夏江に手渡す。あの、敬が持って帰ったペンダントである。お前のやり方は手ぬるい、正岡は言う。これで、みさきが夏江の子供だという証拠はないのだ。未だ少年である敬の身の上を想像し、由希子は青褪める。

ただし、敬は助かっていた。通りがかった船が、海に浮かぶ敬を引き上げ、何とか息を吹き返したのだ。その船には、「MINAMI」と名前が刻印されている。勿論、船長はあの己波である、己波は生きていたのだ。

みさきが海龍の港に到着すると、村人全員と思えるくらいの大勢が待ち構えていた。夏江の娘が海龍の港に到着するという噂を聞き、集まって来たのだ。勿論、このみさきが以前村人を殺し、傷付けた少女である事も知られている。直樹は、ここで海龍の末裔であるみさきと、村人とが対立させ、海龍一族の伝説を一気に断ち切ろうと謀ったのだ。

下船するみさきと直樹に、村人たちが日本刀を持って迫り囲まれる。躊躇する直樹に、お前には用がない、と村人は日本刀を抜き、みさきに手渡す。みさきは、それを毅然とした態度で受け取り、自分の手首を切って跪く。この港の平和は、自分の命を賭して守る、その誓いなのである。そして一晩、この止め処もなく流れる血潮の中で、翌朝まで生き永らえる事が、海龍の当主の証なのだ。

翌朝、港に就く多くの船に見守られながら、みさきは立ち上がる。大歓声が沸き上がる。海龍一族の女当主が港に帰ったのだ。海龍の港が蘇ったのだ。

事の顛末がどうあれ、直樹には海龍屋敷を取り壊し、レジャーセンターを開発する使命がある。そして、みさきは保護観察中の身である。直樹は、保護観察中である事を盾に、みさきに海龍屋敷の解体を命令するが、みさきは、もう以前のみさきではない。みさきは、貫禄を持って直樹に言う、私は若林を殺していない、証拠も揃っている、と。そして、今度は、直樹に命令するのだ、一族の当主が戻った以上、よそ者に好きな事はやらせない、ただちに工事を中止し、神戸に帰れ、と。

村人はダイナマイトを手に、建設中の海底公園の建物を破壊し始める。もう、何者にも止められない。直樹は、止めろ、と叫んで制止を振り切り建物に入ってしまうが、そこで爆発が起こり、大渦に飲み込まれてしまう。この大渦に飛込み、みさきは、狼は生き抜いたのだ。逆に言えば、その大渦では、狼しか生き残れないのだ。

直樹の死を知り、由希子たちが海龍の港に到着する。そこで、彼女たちを迎えるみさきは、海龍一族当主、海龍みさきだと堂々と仁義を切るのだ。そして、みさきは、直樹の死は正岡が仕組んだ事だと由希子たちに吹聴する、正岡は、直樹の勢力が強くなる事を恐れ、自分を使ったのだ、と。

正岡の役員会に、みさきは呼び出される。もし、みさきが海龍の末裔、夏江の娘だと証明出来れば、正岡が買い取った海龍の資産全てを返還すると言うのだ。みさきが夏江の娘である証拠は、もう何一つないはずだ、正岡はそう高を括っていた。ここで、みさきが夏江の娘ではないと判れば、村人も黙ってはいないだろうと。それが、由希子の父、銀行の頭取と正岡財閥の関係を保つ唯一の方法だったのだ。

ところが、その役員会に、突然、自分が証人だと、己波と敬が入って来るのだ。それに引き続き、由希子が、正岡から受け取った、あのペンダントを持って来る。由希子も疲労困憊していたのだ、これ以上不幸な事を繰り返したくない、と。

正岡は万事休すである。更に、追い討ちを掛けるように警官が、正岡を逮捕しに入って来る。若林の殺人容疑である。堀江の、あの書面は京極が預かっていたのだ。それを、この時期と見計らった京極が警察に公開したのである。

警官に連衡される正岡は、隙を見て、窓ガラスを突き破りビルから落下する。腹を括っていたのだ。この男、正岡も狼の端くれであった。

駆け付けるみさきに、正岡は息も絶え絶えに打ち明けるのだ、お前は、私の娘ではない、と。夏江には恋人が居たのだ。みさきは、その本当の恋人と夏江の子供だったのだ。海龍一族を立て直す為には、正岡の財力が必要だった。だから、正岡にも内緒で、夏江はみさきを生んだのだ。なお、夏江には、一族の当主として港を守る義務があった。その為に、已む無く正岡の言う事を聞き入れ、みさきを捨てざるを得なかったのだ。そして、その後悔から、自ら命までも絶ってしまったのだ。
更に、正岡は言う、私は夏江を愛していた、私を受け入れなかったのは夏江だった、と。正岡は、みさきを見つめ、みさきが私の娘だったら、どんなに・・・と言って、息を引き取る。

みさきは愕然とする。私が恐れ、憎み、そして尊敬した正岡は、妻に裏切られた弱い男に過ぎなかった、本当の事など聞きたくなかった、とみさきは嘆く。
そこに、敬が、海龍へ帰ろう、とみさきに声を掛ける。

己波は、みさきに別れを告げる事なく、再び海に出る。

神戸の港で、京極がみさきを待ち構える。贈り物を渡す為である。その贈り物は、2代目「海龍丸」、豪華客船である。
京極は、代々海龍一族と交流があった、初代の海龍丸を造船したのも京極であったのだ。京極は目を閉じ、夏江が生きていたらどんなに喜ぶだろう、と言う。それを聞いて、みさきは、まさか、と思うが、それを聞いて何になるのだろう、と言葉を遮るのだ。

2代目海龍丸が出航する。ただ、その船にみさきは乗っていない。敬に、置き手紙と、海龍一族の証のペンダントを置いて、みさきは一人で旅立つのだ。その手紙には、敬へのお礼と、自分は狼の子だ、平和な生活の中に幸せを感じる事が出来ない、私が生きて行く為には突き進むしかない、そして、海龍の財産は全て村人に分配した事が書かれている。

正岡の墓の前に立つみさきは、正岡の最期の言葉を噛み締め、神戸を後にするのであった。


「スマッシュをきめろ!」に続いて描かれたこのヒューマンドラマであるが、この交錯する人間関係は更に複雑に、更に濃くなっている事が分かるだろう。財産を継承する者、という位置付けではあるが、海龍一族、正岡財閥の中で揺れるみさきの血縁関係をストーリーの中心に、そこで蠢く権力、抗争、そして友情など、多様な登場人物が多様な思いで抗い、絡んで行く、ドラマティックに、そして情熱的に。

このストーリーで、一番のキーになるのは、やはり正岡である。みさきは、狼としてこの正岡を敬愛していたのだ。最後に、一言、正岡に自分の娘だと言わせたかったのだ。相続すべき財産なんて、何の関係もない。また、意外と、母夏江に関しては思い入れが希薄で、自分が母と同じ海龍の当主になるという血筋であるぐらいの存在に過ぎない。この事は、実は「スマッシュをきめろ!」から継承されている。志賀公江にとって、父は特別な存在なのだ。正岡が、夏江を愛していたなんてどうでもいい事なのだ。寧ろ、若林が言う通り、正岡が銀行家の娘と結婚する為に、邪魔になった夏江を亡き者にした、ぐらいの正岡でいて欲しかったはずだ。それが狼の生き方なのである。

そして、もう一人のキーは京極である。みさきの、実の父である事は間違いない。即ち、夏江の恋人だった訳だ。確かに、冒頭から、お互いに同じ匂いを嗅ぎ付けていた。京極は、みさとの目に、夏江の目まで重複させていた。ただ、京極自身も、みさきが自分自身の娘である事は知る由もない。
みさきは、最後にその事に気が付いたのだ。それは、京極が最後に、夏江、と呼び捨てにしたからである。海龍一族の当主を呼び捨てに出来る男は、二人しかいない。一人は、言うまでもなく夫である正岡、そしてもう一人は、夏江の本当の恋人だけである。

喉まで出掛かっていたが、みさきは、その事は聞けなかった。勿論、みさきは京極にも一目置いている。狼として、尊敬する部分もあったろう。ただ、みさきも言っている通り、ここでそれを聞いて何になるのだろう、という事だ。正岡から真実を聞いて、みさきは、本当の事なんか聞きたくなかった、と言う。京極が本当の父であるにしろ、そうではないにしろ、みさきにとって、今となっては何の意味も持たないのだ。みさきは狼だからだ。狼は、何の属性も持たずに独りで生き抜くものなのだ。みさきは、この瞬間には、もう海龍の港には戻る事がないと決断しているのだ。

そして、「スマッシュをきめろ!」でも触れたが、やはりこの志賀漫画にも悪党は出て来ない。暴力団や不良たち、財産目当てのハイエナのような登場人物が目白押しの「狼の条件」であるが、それでも、皆、今を生き抜く為にいっぱいいっぱいなのだ。
最後に弱さを露見する正岡は勿論だが、元々詰めが甘い若林も、一見冷徹そうだがやはり脆い堀江、あの直樹まで、最後には事業家としての英才教育で育った悲しさを訴えて死ぬのである。

如何にも映画的な手法で、赤ん坊を山奥に捨てる場面から始まるこの「狼の条件」であるが、何と言っても、このみさきの本能的な真っ直ぐさに引き込まれる。狼と共に育ったみさきは、勿論、自分の生き様も狼そのものである。そして、みさきを動かすもの、それは情熱に他ならない。この情熱こそ、志賀漫画の肝である。みさきは言う、この人たちの目は燃えていない、と。これが、みさきの本能から生ずる人生観なのだ。正岡、京極、己波、東、銀子、この者たちの目は、ギラギラと燃えているではないか。みさきは、否、狼は言うのだ、戦えなければ生きる資格がない、と。

みさきは正岡の墓前に立つ。そして、神戸を後にする。みさきは、何処へ向かうのか。

この作品論の冒頭で、この迸る情熱のストーリーを、今だからこそ読んで欲しい、と書いた。みさきは、2010年、現代に降り立つのだ。そして、渋谷から放浪し、六本木を抜けて霞ヶ関に到着する。そこで、渋谷、六本木を行き交う若者、サラリーマンと会い、大きなヴィジョンに映るK首相や、S官房長官を見て言うのだ。
ダメだ、この人たちの目は燃えていない、と。

荒岡保志さんと島名勝利さん。「青とんがらし」にて。撮影・清水正

荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)のプロフィール
漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。 現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。
漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。