雑誌「日野日出志研究」の刊行へ向けて

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平成二十二年度の「雑誌研究」の機関誌「日野日出志研究」は現在、順調に編集をすすめている。今回は「雑誌研究」のTASとして授業の補佐をしている藤野智士君のエッセイを紹介したい。私の指示によって短時間で書き上げたリキ作である。藤野君はマス研(日芸マスコミ研究会)の副会長としても精力的に取材、執筆活動を展開している。「さてさて」で始まり、「ではでは」で終わる記事は、しっかり最後まで読ませる。私は、彼は将来「ライトジャーナリスト」としてネット分野で活躍する人材とみている。真のライトになるためには、ドストエフスキーの作品を読みなさいということで、それなりにハードな課題を与え続けているが、今のところ弱音を吐かず、スマートに、カルクこなしている。

蔵六はカワイイ

藤野智士

日野日出志先生と藤野智士君 江古田の居酒屋「八剣伝」にて 撮影・清水正

 忘れもしません。はじめて日野日出志先生にお会いしたのは昨年秋、私がまだ学部生のときです。ノンフィクション作家の石井光太さんが大学にいらっしゃり、三限に渡る講義を聞いた私はその圧倒的なエネルギー量に心地よい疲労でへとへとになったあとでした。その足でどういうわけか、清水正先生と日野日出志先生が先に待つ江古田の居酒屋・八剣伝へお邪魔させていただきに行ったのです。
 そこへ向かう道すがら、「どんなおそろしい人が待ち構えているのだろう」と――失礼ながら――怯えていました。なぜなら私は、『蔵六の奇病』のようなおそろしい漫画を描くことのできる人は、きっとその漫画以上におそろしい人に違いない、などと勝手に思い込んでいたからです。
 思い込みながら、病み(急性腸炎)上がりの重いからだを引きずりつつ、数年前に読んだ『蔵六の奇病』を脳裏に浮かべていました。
『蔵六の奇病』は、一読しただけで二度と忘れることのできない、強烈ななにかを持っています。そのなにかは、死期のせまった動物がふしぎとあつまるねむり沼のごとく、私を捕らえて離しません。
 閉鎖的な村という空間で、蔵六というひとりの人間のからだにふきだしたでき物が、どのように村の人々の心理へと影響してゆくのか。
 そのとき村の人々と蔵六のあいだに挟まれた家族は、どのような決断を下すのか。
 そこには人間の根元的ないやらしさ、違ったものを排除し、大きなものの流れに自然と従ってゆく心、果ては自分だけは助かりたいという欲望や卑劣さなど……言葉では言い表せないほど〝人間〟が描かれていました。
 できものはやがて全身に広がり、ついに蔵六は村を追い出されてしまいます。悪化してゆく病についに母親からも見捨てられ、好きな絵を描くことだけに没頭してゆきます。絶望の果てに自分のからだから発生した七色のウミで絵を描く行為は、圧倒的な哀しみとともに吐き気がするほどの幸福感も味わっていたことでしょう。きっと蔵六は、最終的には幸せだったに違いない。私は思います。家族にも見放されてひとり、絵を描く喜びに狂い、いのちと情熱を燃やす。芸術学部に通うものとして少なからず、蔵六と自身のすがたと重ねて『蔵六の奇病』読んだのは言うまでもありません。
 しかし私は、手放しでその蔵六に共感することはできませんでした。私はむしろ、その兄・太郎の気持ちに共感したのです。彼が自分の意地汚さを体現してくれているような、そんな気がしたからです。
 太郎は、蔵六という異物が血縁にいることで、自身までもが村の共同体から排除されることを、誰よりも恐れていました。それはまだでき物が発生する前、幼いころから常に感じていたことでしょう。蔵六のせいでいじめにあったこともあるでしょう。なんでおらあばっかり、という思いが成長するにつれより強固になり、しこりとなって心の中心を締めていったに違いありません。年老いた父と母を養っていかなくてはならない。その上、社会的にはなんのつかいものにもならない、あたまの弱い蔵六も抱えているのです。
「あいつがひとりいるためにおれの嫁ごのきてもねえだ」
 という言葉、その背中は彼の心を最もよく表しているように感じます。
 蔵六の抱える絵や自然の色に対する情熱を誰も理解することはできません。しかし、太郎の混濁した哀しみも、誰にも理解できないのです。蔵六はあまりに純粋すぎるのです。
 そんなことを考えながら、荒くなる呼吸をなんとか落ち着けようと胸を撫でつけつつ、八剣伝の暖簾をくぐったのです。ますます重くなる足をなんとか動かしながら席に着いた私は、いい意味で拍子抜けしました。
 日野先生本人をご存じのかたなら容易に想像できるでしょう、そこにいらしたのは、ちょんまげを頭の上にちょこんと乗せ、純白の髭を生やし、柔和な表情でしゃべる、言うならば幼いころ、毎年その日が近くなると、寝る前に想像していたサンタクロースのような優しそうなおじさんであったからです。
「あらあ、困った」
 言いながらおでこに片手を当て、奥さんとの馴れ初めについて語られる様子は、とても『蔵六の奇病』を描かれた人物には思えませんでした。このように年を重ねていったら素敵だな、などと焼酎を流し込みながら生意気に思ったほどです。
 そこで私は、ここにくる前まで日野先生のことをどんなおそろしい人かと思っていた――というようなことを告げました。すると先生は、
「狂気直前の作品は、本当に狂気になってしまったら描けないんですよ」
 とおっしゃったのです。酒が染みた頭で私は分かったような口を聞き、いい気分のまま店を後にしました。
 日野先生にお会いしてからいま一度、『蔵六の奇病』を読み返してみました。すると、以前の印象とは異なり、蔵六が〝カワイらしく〟思えてくるから不思議でした。
 そういえば、日野先生の描く漫画の登場人物は蔵六だけでなく、どこかカワイイ。兄の太郎もおっかあもおとうも村の人々も、最後に登場したカメも眠り沼を縄張りとするカラスも皆そうです。人間や動物だけでなく蔵六から溢れだしたウミですら、どことなくカワイイのです。
 もちろんそこには最初に感じた、人間の根元にある哀しみや絶望、少数派を排除するいやらしさや憎しみ、汚いものを気持ち悪いと素直に思う気持ちなど、書き出したらきりがないほどの「人間」が変わらず描かれています。それらすべてを〝カワイイ〟という言葉で言い表すには彼らはあまりに「人間」すぎていると思います。しかし私は、そう思わずにはいられないのです。なぜそれを描きながら、このような気持ちになれるのでしょうか。
 この疑問を頭に浮かべたとき私は、日野先生の「あらあ、困った」と言いながらおでこに手をやるお茶目な仕草が思い立ちました。
 そこには日野先生の、蔵六を思う心、ひいては人間そのものを見る優しい目が体現されている。私にはそう思えてならないのです。

藤野智士(ふじのさとし)・プロフィール
日大芸術学部文芸学科卒。清水正教授に師事。林芙美子の「放浪記」を中心とした研究をすすめている。日大大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻一年。夏期課題の『罪と罰』論百枚を書きあげ、今は『白痴』を読み進めている。「日芸マスコミ研究会」副会長。