猫蔵の日野日出志論(連載9)『ギニーピッグ2血肉の華』論①

猫蔵の日野日出志(連載9)

『ギニーピッグ2血肉の華』論①

猫蔵と日野日出志先生 清水正研究室にて(2010/10/22)。撮影・清水正
『ギニーピッグ2血肉の華』(1985年/日本)というビデオ作品がある。いま海外で、この作品がちょっとした反響を呼んでいるという。すでに米国やヨーロッパ圏では、日本国内においては幾つかの問題(※1)でまず不可能とされているDVD版の正式なリリースですら、2002年にドイツでTシャツ付きの限定版が発売されたのを皮切りに、確認された限り、アメリカ、カナダ、フランスを含む計四カ国でなされている。また未確認の情報だが、その後オランダ、オーストリアでも同様になされたようだ。またドイツにおいては、以前とは別の配給会社がパッケージを一新し、マイナーチェンジを図り、再リリースを行っている。
例えばアメリカ国内に限って言えば、リリース以来、約一万部の売り上げ(※2)を記録し、「カルト映画」という限られた枠内ではあるものの、もはや“ポピュラー作品”と呼んでも過言ではない結果を残している。ホラー映画関係者のアメリカ人に言わせると、これはメインストリームから外れた作品としては、異例のヒットと呼べるそうである。この事実に関し、作家の友成純一は以下のようなコメントを残している。

「この作品、スプラッタ・ブームの終焉と共に、一過性のゲテモノ映画として日本では忘れられてしまった観がある。だが、ここ数年、<ギニーピッグ>シリーズ(※3)、特に日野さんの撮った「血肉の華」がヨーロッパを中心に静かなブームを呼び、「日本ではかつて、こんなグロテスクで不気味なビデオが作られていた」とカルトな人気となっている。ヨーロッパの映画マニアたちは、日野さんが日本では有名なホラー漫画家だとはほとんど知らなくて、「あの作品を撮ったのはどんな男なのだ」と、まさに謎の怪監督として、ますます作品は評判となっていた」(『地獄小僧』2005年・ちくま文庫

ここに述べられている、ヨーロッパの映画マニアが置かれた状況は、私の子供時代の体験と、奇妙に一致する。いずれにせよ、「ギニーピッグ」シリーズの代名詞と言えば、すなわち第二作目である『血肉の華』と捉えて差し支えないだろう。
では改めてこの作品に、他のホラー・スプラッター作品にはない独自性を見出すとすれば、それはどこにあるのだろうか。
 本作をはじめて鑑賞したとき、私の心は高揚したのを覚えている。中学生の頃のことだ。本作のなかにおいて、私の心を高揚せしめた部分こそが、本稿で論じるべき、『血肉の華』の独自性であると見当をつけている。
 今回『血肉の華』を論じるにあたり、いくつかの試みをしようと思う。まず、『血肉の華』との類似が指摘される映像作品を複数とり上げ、本作との共通点・および相違点を検証する。その中で、『血肉の華』自体の唯一性を浮き彫りにしていく。これはなにより、『血肉の華』という作品そのものが、私の少年時代の記憶と分かち難く結び付き、もはや私自身の一部と化しているためである。
 指針はあくまで、現在の私自身の、心の高揚である。とり上げる作品は、二十九歳であるいまの私の心を、十二歳のとき『血肉の華』を観て味わった高揚と同種、もしくはそれに近い感覚へと導いた箇所を有するものに拠った。一見、『血肉の華』との類似を思わせる作品、または日本および海外の映画愛好者のあいだでその類似が言及される作品(往々にしてスプラッター・嗜虐趣味のものが多い)であっても、退屈なだけで、一向に心が揺さぶられることのなかったものもあった。また逆に、『血肉の華』とは一見かけ離れたカテゴリーに類する作品であっても、当時と同様の感覚を呼び覚ましたものも存在した。
 この行程のなかから、『血肉の華』を論じるための三つのキィ・ワードを選び出した。「剥き出しの思向」「野放図の美」「擬似ドキュメント」の三点である。各章では、これらキィ・ワードの特徴がもっとも顕著にあらわれた他作品をそれぞれ挙げ、『血肉の華』という作品を検証していきたい。
猫蔵・プロフィール
1979年我孫子市生まれ。埼玉県大利根にて育つ。日大芸術学部文芸学科卒。清水正教授に師事。日大大学院芸術学研究科博士前期課程文芸学専攻修了。日野日出志研究家。見世物学会会員。著書に『日野日出志体験――朱色の記憶・家族の肖像』(D文学研究会)がある。本名・栗原隆浩