猫蔵による日野日出志氏へのインタビュー

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日野日出志氏へのインタビュー
インタビュアー:猫蔵

漫画と映像作品の関連について
(2007年12月9日 所沢市日野日出志先生のご自宅にて)

猫蔵 まず、日野先生が初めて監督をされたビデオ『ギニーピッグ2血肉の華』が、ここ数年、海外において次々と、本家の日本を差し置いて正規でDVD化されているのはご存知ですか。

日野 それは何年か前から聞いて知ってはいました。アメリカ、フランス、ドイツ…。俺自身よくは知らないけれど。

猫蔵 海外でDVD化の際は、先生に許諾等はあったんでしょうか。

日野 いや、なにもない。映画の世界っていうのは結局、制作会社が一番強いみたいで。監督っていっても雇われだからね。漫画の世界ではちょっとありえないんだけど。版権ももう、俺じゃなくて、製作した会社のものになっていると思う。ギャラ何ぼで、買取りみたいなことかな。名前と、監督したっていう事実を買ってもらって。だから、俺自身の知らない間に世界中に広まっていて。

猫蔵 一方、本家本元の日本の場合、過去にあった「宮崎勤事件」(※1988〜89年に起きた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件)に関係してか、なぜか全くDVD化されません。

日野 うん。日本の場合、あれは元のビデオ版(※1985年発売)が、あの事件のときにレンタルビデオ店から引き上げなきゃいけない状態になってしまって。それは自主規制というより、地方自治体によって違うと思うんだけれど、当時の自治体や教育委員会が集まって、「これはやっぱりマズいだろう」ということになって、回収したみたい。だけど、日本でも時々、今でも置いてある店はあるみたいだけど。

猫蔵 当時の先生のインタビューが掲載してある『噂の真相』という雑誌も読みました。今になって海外で『ギニーピッグ』シリーズのDVD化が活発になっている反面、日本ではできないというのは、いまだあの事件を引きずっていることが原因なんでしょうか。

日野 分からない。とにかく、俺の方は今、どこにあの日本版の版元が移っているのかもよく知らないんだ。『血肉の華』を作った最初の会社(※オレンジビデオハウス)はもう潰れちゃっていて。監督二作目の『ザ・ギニーピッグ マンホールの中の人魚』を作った会社(※ジャパン・ホーム・ビデオ)も、今版権を持っているのかどうか。

猫蔵 『血肉の華』を含め、今はそちらの会社が権利を持っているようです。

日野 そう。『血肉の華』のときの会社はもう潰れていて。それでプロデューサーが、『ギニーピッグ』シリーズの新しい形として紹介し、新しい会社のジャパン・ホーム・ビデオで撮ったのが『マンホールの中の人魚』だった。だから、新しいシリーズには、冠に「ザ」を付けて『ザ・ギニーピッグ』というネーミングにして従来とは区別したわけ。

猫蔵 日野先生としましては、それもご自身で手がけた作品のひとつとして、日本でも同じようにDVDが出てほしいというお気持ちですか。

日野 まあ、今となっては20数年前のものになるのかな。正直、漫画ほどのこだわりはないです。要するに、原版がテープなんでね。僕の手元にある訳じゃない。「映像」っていうのはやっぱり、カメラマンも役者さんもいるものだし。脚本は自分で書いたけど。そういう、もともと集団で作るものなので、例えば、テレビで放送するときの許諾や著作権など、色々あるみたいだけど、映像の世界はなかなか難しいよね。なにかを作るとなるとリスクが大きいから。お金を出した会社が、やっぱり一番力をもっているよね。

猫蔵 ただ、ご自分の漫画と同じような思い入れの部分もありますか。

日野 作ったときはね。漫画は手元に残せるけど、「映像」の場合、手元には感覚としては残らないから。ビデオテープやDVDとしては残るけれども。でも、やっぱり感覚は違いますよね。

猫蔵 現在日本で発売できないというのは、自主規制による理由がほとんどだと思うんです。例えば、石井輝男監督の映画『江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間』の場合も、日本では正規のDVD化がなされなくて。でも、海外の輸入品を扱っているビデオ店などに行けば、普通に海外版を買えるわけです。

日野 それはまず、タイトルからして問題だね(笑)。まあ、いろいろ変な話なんだけど。

猫蔵 日本の場合、ある作品について、一度悪い風評が定まってしまうと、それを観ている人も、作った人も、持っている人も皆、あぶない変態なんだという認識がまかり通ってしまって、それ以上深く物事を追及しようとしない傾向があるように感じています。

日野 そうだね。それぞれ国によって規制の問題はあると思うんだけど。

猫蔵 ところで、海外版の『血肉の華』のDVDに、当時の日野先生の監督としてのインタビューが収録されていて、僕はこの間それを初めて目にしたんです。その中で、「今度の作品は物語性をまったく否定した部分でやりたい。そして、そこから出てくる別のなにかを、観ている人には感じとってもらいたい」という旨のことを仰っていたのがとても印象深くて。過去、『血肉の華』という作品を、その部分にまで掘り下げて評価した前例はまったくありませんね。例の宮崎事件に絡めて言っている人は結構いますけれど。

日野 うん。あれは最初にプロデューサーが企画をもってきたとき、自分も漫画家だから、当然まず、ストーリー性、物語っていうものを大事に作りたかった訳です。でも、予算の問題があって、思うようにできなかった。だから、例えば一箇所に部屋を借り切って、そこにセットを組んで。なるべくカメラも長回しで撮るようにして。切り返しも、照明の問題があるとかでなかなか出来ないと言うんで。それじゃあ、一体何ができるんだろうっていう話になった。そこで、当時、世間ではレンタルビデオというものが出てきていたことに着目した。そこに置いてある海外のB級ホラー映画といっても、日本とは予算が違うわけです。よい作品もいっぱいあったわけ。そうすると、じゃあ、一体どこで勝負できるかという話になる。技術的にも、監督としては初めての経験だったしね。そのとき、「スナッフ・フィルム」(※鑑賞と流通を前提に、実際の殺人行為を実行・実録した映像のこと)というものがあるということを偶然聞いたんだね。最初は、「ああ、ひどい世界もあるもんだな」と思っていたの。で、今言ったような条件の中で映像を撮るしかないんだったら、じゃあ、その頃はちょうどビデオカメラも普及し始めていたし、いずれ、『血肉の華』でやったような事件が起こるだろうという予測を立てて、それじゃその先取りをやろうということになった。だから、当然、あそこに出てくる主人公の心象風景などを劇中で描くという案もあったんだけど、それをやっちゃうと却って安っぽくなってしまうと思ったんですよ。だったら、ただ単に、それを映しているだけ、それだけをとにかくやる、ということでしたね。

猫蔵 なるほど。やはりその発想というのは、そのとき急に降ってきた訳ですか。それとも、当時は以前から、“物語”以外のものをチャンスがあればやってみたいという、発想の芽のようなものをもっていらした時期だったんでしょうか。

日野 ほら、僕の出発点は元々、映画監督になりたいというものだったから。その後、行きがかりで漫画を描き始めて、それで漫画にのめり込んでいったという過程があったんで。「映像」の話が来たときは、是非やってみたいと思ったね。

猫蔵 それまで漫画の世界でやってこられた、“物語”の流れとは全然違うことをやってみたいということでしょうか。

日野 いや、本当は“物語”の延長線上に置いていたんだけどね。例えば『蔵六の奇病』を実写でやるとか。今でもその想いはありますよ。あの時は、とりあえず与えられた条件の中で、じゃあ、なにかやっぱり他に「勝とうよ」と。そうするとやっぱりインパクトしかないんだよね。そこだけに焦点を当てようと。最初はどうしようか迷っていた。でも、映像はもともとやってみたかったし、チャンスだと思って。

猫蔵 では、規制された中で逆に良い発想が出てきたということですね。

日野 良い発想といえるかどうかは分からないけどね(笑)。俺にとってはね。

猫蔵 ですが、僕の場合、あれを中学一年生の頃はじめて観て。それまではどうしても、ドラマドラマした映画は苦手だったんです。なぜかというと結局、まず前提として作者の言いたいことや意図というものがあって、それを直接言わず、作品の中に織り込むというやり方がどうも回りくどく感じられて。「映像」というのは、目で観てなんぼだという想いがありました。だから、いわゆる「映画」というものを楽しめない子供だったんです。その点、『血肉の華』は違った。あれは、年齢や国境、言語を超えて、観る者にダイレクトに伝わる凄味をもっているように感じられます。

日野 表現者の立場からすると、やっぱりテーマとか、そういったものはどうしても最初に入れたくなるんです。ただ、俺のビデオは例の事件でも結構マスコミに取り上げられていて。ある時、テレビのコメンテーターとして、ある映画評論家もこう言っていましたよ。「ハリウッドから来ているホラー映画で、残酷でグロテスクなものもいっぱいある。だけど、テーマがあるんです。しかし、この作品には一切それがない。だから有害なんだ」ってね。だから、その「一切ない」ということを俺は逆にテーマにしたわけだから。それを聞いて“なにを青臭いこと言ってんのかな、このオッサンは”と思ったね。

猫蔵 他の作品との違いにかこつけて批判したかっただけでしょうね。

日野 うん。じゃ、「テーマがあればなんでもいい」っていう話しになっちゃうでしょ。そんな水掛け論に混ざる気もなかったし。まあ、言わせておけってことで。

猫蔵 実はその『血肉の華』こそが、僕にとってはじめての日野先生の作品との出会いでした。奇しくも先生が当時のインタビューの中で、「だったら、お化け屋敷や見世物小屋のような映像作品を撮りたい」と仰っていたのが印象深くて。

日野 そういうこと。いちいちお化け屋敷で出てくるお化けに、回りくどい説明は要らないでしょ?とにかく、怖いものだけ見せようよ、と。

猫蔵 それが、ここ最近になってアメリカやヨーロッパでまた評価されたというのは、やはり言語を超えた部分というのがあるからだとお考えですか。

日野 そこは俺にはよく分からない。けれど、あそこまで徹底して、“人の体をバラしているだけ”の「映像」っていうのが、他にないからでしょ。結局、それですっかり有名になっちゃったけれど。前に、アメリカの俳優のチャーリー・シーンがあのビデオを俳優同士のホームパーティかなんかで観て、「間違いなくスナッフだろう」と騒ぎ出して、その後FBIに垂れ込んだっていう噂が流れて。
おととしだったかな。アメリカで俺の漫画が14冊出たんです。最初、『ギニーピッグ』が向こうに行ったときは、誰も俺が漫画家だとは知らなくて。俺の漫画も当然、海外版は出ていなかったから。それで、「この監督はいったい何者なんだ?」っていう話しになった。それで、あるイギリスのホラー映画の専門誌が、年に一回、祭典をやっているんですが、確かそのときに、日本からあるホラー作家の人がたまたま向こうに行って。その際に、現地の人たちと「お前も日本人だから彼とコンタクトをとれるだろう」って話しになったらしくて。それで、彼が日本に帰ってきて僕に連絡をよこし、彼のインタビューを受けて雑誌に載ったのが、海外に向けての最初だったかな。

猫蔵 小説家の友成純一さんですか。

日野 確かそう。

猫蔵 先頃、『血肉の華』の記事が載っているアメリカのホラー系の雑誌を取り寄せたのですが、そこにも、「誰も最初は“日野日出志”が漫画家だという認識はなかった」という記述がありました。僕自身も子供の頃、『血肉の華』のスタッフクレジットで「監督・日野日出志」という文字を見た当初は、この日野という人物が、気鋭の映像作家か、もしくはまったく得体の知れない、あたかも本編に登場してくる殺人者の男自身であるかのような、危険な人物なのではないかと想像しておりました。その点においても、僕自身の原体験と重なってくる部分があるように感じています。 

日野 多分そうだろうね。ただ俺の方としては意外でね。制作当初は、あれを欧米に出すっていう話しもまったくなかったし。漫画の方もそうでしたけど。そっちに流れるっていうのは想定外のことだった。Hideshi Hinoっていう名前が欧米で最初に出たのは、実はビデオだったというのはある。実は漫画家なんだということはその後に伝わって。で、当然「どういう意図のもとにこのビデオを作ったのか」という質問があって。今言ったようなことを話した覚えがあります。おそらく、それがテキストみたいな形で残っていて、あちこちで流用されているんでしょう。最初アメリカ版の漫画が出たときに、確か、イギリス、アメリカ、カナダ、メキシコ、フランス…色々なところから電話インタビューを申し込まれた。そしていつもまず始めに聞かれるのは、きまって『ギニーピッグ』の話しからなの(笑)。向こうの人たちはね。
だから実際、あの作品は予算の問題があったよね。20数年前で、予算は500万だって言っていたから。一番時間がかかったのはメイクだった。あれに出ていた役者さんなんか、俺の飲み友達で、アングラ劇団の俳優だった人。バラされた女の子は、女房の仕事先のアルバイターで、演劇活動をやっていた子だったし。なるべく予算かけないようにしてね。

猫蔵 あれはなかなか素人っぽくて真に迫っていました(笑)。ビデオのコンセプトはすぐに出たんですか。

日野 じゃ、やろうということになって、監督と脚本を引き受けたの。ちょっと考えて、割とすぐに出てきたような気がします。他に方法がないと思ってね。

猫蔵 そこでそういう発想に転換できる日野先生のもっていらした、元々の動機のようなものがとても気になっていまして。

日野 単純に監督・脚本をやりたかったというのがまずひとつの出発点にあって。実際、うまくいけば次も話が来るだろうというのがあった。事実、宮崎事件のあった平成元年かな。あのときはビデオ版のリメイクとして、劇場公開用映画で『マンホールの中の人魚』をまたやらないかという話しになっていたの。ビデオ版はもう出ていたけど。それでプロットも書いて、秋にクランクインという方向で進んでいた。だけど、あの騒ぎになっちゃって。それでジャパン・ホーム・ビデオがマスコミ攻勢を喰らっちゃって、結局話は頓挫しちゃった。

猫蔵 ビデオ版とはまったく違うバージョンを撮り直す予定だったということですか。

日野 そう。もう少しディティールを細かくして、90分ものとして新たにね。元のビデオ版は60分ちょっとしかないから。

猫蔵 では、その騒ぎの張本人である宮崎勤という人物について、どのようなイメージをお持ちですか。

日野 俺とはなんの接点もないからね。実際にそういうことをやってしまう人と、それを表現としてやる人間とでは違う。『血肉の華』についても、ある意図の上に作ったわけで。

猫蔵 それを観てどう感じるかは観客に委ねられているわけですからね。以前、大学の特別講義で先生が、『血肉の華』をスクリーンで上映された際、失笑といいますか、くすくす笑っている生徒が何人か見受けられて、小さい頃、わりと真面目に観ていた僕としては、ちょっとショックを受けたわけです。

日野 俺なんかは『血肉の華』の騒動の件で警察に呼ばれたとき、唐突に「あんたこれを自分の子供に見せられるか」なんて聞かれたの。だから、「小学生の子供に見せましたよ」って答えたからね。それから「これスポンジ切ってる」って言って笑ってましたよ、って言ってやった。そしたらあちらさん、「大したもんだ」だって(笑)
とにかく、なにかを作る以上は、人を驚かせたいというのがある。いろんな意味でね。例えば、笑わせるのもそうだし、泣かせるのもそう。表現者である以上は、そういう衝動がある。だから、ハリウッドものにも負けたくはない。そういう人たちがやっていないことに挑戦したい。むしろ、できないことをね。後は、あの頃はちょうど、漫画で『地獄変』を描いた後だった。実は、漫画は『地獄変』でやめようと思っていた。でも結局、やめられなかった。30代の頃、雑誌からも声がかからなくなっていて。だから多分、そういう爆発しそうなエネルギーが溜まっていた頃だったのかもしれない。びっくりさせてやろうってエネルギーがね。それが、あそこまで過激に描くことに繋がった。ただ、そんなに深い想いを込めたつもりもなかったから。

猫蔵 結果として出来てしまったという感覚でしょうか。なんだかまるで隠し子みたいですが(笑)

日野 そうそう。
あの特殊メイクも型をとってやるんだけれども、『血肉の華』は絵コンテのない脚本だった。だから、絵しか見せるところがないんだよね。メイク担当の古賀さん(※古賀信明。『血肉の華』では特殊造形を担当。)もよく頑張ってくれました。あれは、彼の技術ありきの映像だった。

猫蔵 古賀信明さんは今も特撮やホラー映画のSFXに携わっていらっしゃるようです。
ところで昨今は、日本産のホラー映画や特撮も、ハリウッドでよくリメイクがなされています。しかし、正直中身としては、これといって斬新なことが試みられている訳ではなく、どうしてもオリジナルである日本版のハリウッド風の焼き直しという印象を拭いきれません。その点、『ギニーピッグ』は違っていました。子供の頃にあれに出会えたのは、正直ラッキーでした。

日野 自分としては、作り終えちゃうと自分の中で終わっちゃうんだよね。全部、過去のものになってしまうんで。後は、観た人がそれをどう受け止めてくれるか。でも、もし仮に自分が一観客の立場であれを観たとしたら、「うわぁ、ひでえビデオだな」って思うと思うよ。やっぱりそれは(笑)。「なにこれ、ただ切り刻んでるだけかよ」って。それが正直なところだと思うし。

猫蔵 世間ではあの作品について、“殺人”や“残酷性”という部分にやたらと注目がいっていると思うんですが、僕の印象としましては、もっと別の部分、つまり、淡々となにかを行っていて、淡々とそれをキャメラで映しているという部分が強く印象に残ったんです。僕はあの作品にインスパイアされて、高校生の頃に短い小説を書きました。その内容としては、どことも知れないある外国において、刻々と腐敗してゆく一体の死体があり、その様子を一台のビデオキャメラが映し出しているというものでした。そしてその映像がたまたま、日本に暮らしているある普通の少年のもとに、インターネットを通じて配信されているという状況で。その少年は、ふとしたことで『血肉の華』を偶然見てしまった、僕自身の姿を投影していたと思うんですが。その感覚というのは、後に見知ったものの中では、例えば小野小町の死体が徐々に腐ってゆく過程を描いた絵巻物を見たときに受けた驚きに通じるような、もっと深いものを含んでいたような気がします。殺人ビデオという部分や残酷性というのは、あくまでも表面的なモチーフに過ぎなくて。いわゆる“テーマ”や“物語性”というものを外してなにかを執拗に淡々と描写していくということにおいて、『血肉の華』を日野先生の作品の一部として正当に評価したものはこれまで皆無だったと思うんです。今後、漫画・映像作品を問わず、媒体は何であれ、あれに近い形でまた作品を発表される可能性は現時点ではありますか。

日野 …ないと思う。やるんだったらやっぱり“物語”ということになると思う。『血肉の華』というのは俺の中でも特殊なものだったから。一応、あれの元となった『赤い花』という漫画の場合は、主人公の男のもっている美学を主眼に表現したものであったから。一方、『血肉の華』の場合はそこを敢えて抜かしてしまった。男の心象風景も、全部取っ払ってね。
当時は制作に入る前に、『ギニーピッグ』の一作目(※1985年発売の『ギニーピッグ 悪魔の実験』)というのをプロデューサーがもってきてね。それを観たんです。それは、レンタル店向けの映像作品ということだった。ある程度売れていたみたいでね。その打ち上げの席だったのかな?そのプロデューサーというのが元々俺のファンだったらしくて、「次なにか作るとき日野日出志に頼めないかな」って俺の名前を出したらしいんだ。それで結局、俺のところに来て。それで、彼がもってきた『ギニーピッグ』の前作を観たんだけど、「なんだよ、こんな生臭いビデオ」と思って(笑)。だけど、眼球に針を刺すシーンは凄くリアルだった。だから、この技術を最大限に使ってみたいというのはあったよね。それを観ていなかったら、多分『血肉の華』の発想にはいかなかったかもしれない。まあ、いくつかの偶然が重なった結果、ああいう結論になっちゃった。

猫蔵 今までは、似たような設定で『スナッフ』(※1976年公開のアルゼンチン/アメリカ映画)なんていう映画もあるにはありましたが、それにしても欧米ではこれまで、そういった意図的に“物語”の定型を崩す発想で作品があまり作られてこなかったんでしょうか。心の中で無意識に、規制やタブーのようなものが働いてしまって。

日野 それは日本でもそうでしょ。俺の漫画も、本来は子供向けですから。あれは、子供向けではありえないですよ。色々な意味で、あまりにも度が過ぎていて。だけど、人間のもっている本来性というのは、けっしてそんなに綺麗なものじゃない。それでもなお、人間って愛おしいんじゃないの、っていうのが俺の中にずっとあって。その延長線上にあるって事は確かなんだけれども。とことんグロテスクなところを見据えた上で、それでも人を愛するということだと思うんだ。そういう想いで漫画はやってきたつもりです。

猫蔵 日野先生が漫画でやってこられたそういう一貫した志というものが、やはり映像作品として、『血肉の華』にもどこかしら反映され、それが国境を越えて通じた部分があったように感じています。その辺の繋がりが決してなかったとは思えません。

日野 やっぱり俺の作ったものだから、当然それまで漫画を描いてきて、その流れの中の仕事のひとつであることは間違いない。俺のそれまでの、漫画や創作に対する考え方があって、当然その中に括られるものではある。どこかでね。それが何処なのかは俺にも分からない。例えば『蔵六』ならば、ああいう主人公がいて、絵を描きたいという願望をもっている。だけど、絵の具もなく、言葉もしゃべれない。蔵六は、俺自身の心象風景や青春時代を重ね合わせて創り出された。『血肉の華』も、その延長線上には確かにある。

猫蔵 みずから身を削りはじめる訳ですからね。

日野 特殊メイクでは、女の子に本当に裸になってもらって、その型をとったわけ。とにかく、“バラバラ殺人”の映画なわけだから、撮影に失敗は許されなかった。もう、テイク1のみ。

猫蔵 その点においては、監督二作目である『ザ・ギニーピッグ マンホールの中の人魚』の方が、より『蔵六』に近いですよね。

日野 画家が絵を描くという点ではね。画家が膿で絵を描くというところは、確かに『蔵六の奇病』からきている。

猫蔵 『マンホールの中の人魚』も印象深いビデオでした。瀕死の人魚が、うろたえる画家に対して、「私を描くのをやめないで。私をこのまま絵に描くのです」と言うシーンがあって、あれにはゾッとしたのを覚えています。

日野 あれは結局、画家の女房なんだよね。ラストシーンで刑事が書見する場面があるんだけれど、要するに妻は癌の末期症状で、画家は人魚だと言い張っているけど、あれは間違いなく、妻の死体でね。おそらく、妻の苦痛を見ていられなくて、手をかけたんだろうという見解になるんだけど。でもひとつだけ、どうしても解けないことがあって。それは、バスタブに一枚の大きな鱗が落ちていて、それは日本魚類研究所の鑑定をもってしても特定できなかったということ。その部分について、「矛盾していませんか?」というインタビューもかつてあった。だけど、それを矛盾しているって言われたんじゃ、“怪奇”にはならない。全部、理屈と整合性で説明できたら、それは怪奇でもなんでもない。だから、画家の男が幻想の中で人魚を見ていたことは間違いない。実際にマンホールの中で人魚と出会うわけだけども、あの描き方だと、現実には人魚はいなかったんだろうというようにはなっている。しかし、じゃあなんで鱗が一枚残されているのか。それは、観た人が考えて下さいということ。

猫蔵 僕はどちらかというと、かなり人魚寄りで観ていましたね。逆に、奥さんという存在が意識の中にはなかった。

日野 どっちが現実でどっちが幻想なのか。それはあの男ですら分からない。すべからく“物語”というものは、すべてを筋道立てて順序よく作っちゃうと、後には何も残らないんだよね。ああそうですか、で終わっちゃう。俺の場合、一応物語は完結させるんだけど、なにか余韻を残したいんですよ。理想としてはね。

猫蔵 隅から隅まで解明されてしまうと、まあディティールは別として、何度も読み返したいものにはなかなかなり辛いですよね。

日野 俺の場合、日常と非日常が交錯する作品が多い。例えば『蔵六』で言えば、ラストシーン、主人公の蔵六が亀に変身したんであろうということを読者に仄めかして終わっている。誰も明言はしていない。実は『蔵六』の場合、タイトルに伏線を張っているの。“蔵六”っていうのは実は、古語で亀のことを指すんだ。あの題名は、本編を描き終えてから最後に決まった。ただ、あくまで俺の中では、亀に変身するということは要するに、蔵六の心の中で、絵を描くということが本当の美に昇華した事実を象徴として表している。そのアイディアが出たときに、名前が「蔵六」と決まった。

猫蔵 結局、蔵六の過去や心象風景を説明しなかったら、ある意味『ギニーピッグ』ですからね。肉体を執拗に傷つけるという点においては。

日野 絵に限らず、表現者であればすべからく蔵六の気持ちは分かるんじゃないかと思っている。誰しもおのが身を削って生きているという点においてはね。これは表現者に限らず、生きるということすべてにおいてだけれども。そもそも「どうして生きなきゃいけないの?」という想いが俺の中にはずっとあって。生まれてくるというのは、当然、自分の意志じゃないから。で、産み落とされて物心ついて、“俺は何で生きているんだ?”ということを考えはじめるでしょ。自分は一体何者なのか、とか、将来何になりたい、とかね。皆、なにかを背負って生きている。死を不条理というのであれば、生きることも絶対的な不条理だね。物心ついたときにはもう、自分を自覚していて、選択の余地がないから。死はひとつの終わりではあるが、そこに向かって苦しまない人は誰もいない。だけど、若い頃の俺は“こんなに苦しんでいるのは世界中探しても俺しかいないんじゃないか?”っていう想いがあった。今から思えば、本当にすごい思い上がりだったと思うけどね。