荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載10)

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偏愛的漫画家論(連載10)
神田森莉
1Q94ホラー漫画に何が起こったか?(その③)

荒岡 保志漫画評論家


処女作品集からもう一作品だけご紹介したい。これも、神田漫画では定番の主題になるのだが、「宗教」そして「秘密結社」という商業誌に発表するにはややハードルが高い主題を持つ作品も多く、実際に印刷が指し止めになった作品もあるという。

「宗教」を主題にした「死鬼子」は、1993年「ホラーM」vol.3に発表される。

主人公は普通の女子高生「グミ」。親友の「由香」が怪しげな宗教「神秘卍教会」に洗脳され、「幸せになるペンダント」を7万円で販売したり、一生懸命布教を繰り返すので、クラスメイトから距離を置かれていることに悩む。ただ、由香ご本人は、「教祖様に会えて人生が変わった」と日々充実しているとご満悦であり、その信仰心に迷いがない。
すべての宗教が営利目的の布教というわけではなかろう。ここで「被害者」と言ってしまうとやや語弊があるが、信者にはその「被害者」である意識がないため、宗教とはかなりやっかいな存在である。否、意識がない以上「被害者」ではないわけだ。例えばメディアに騙されたアイドルタレントの熱狂的なファンを「被害者」と呼はずもなく、極端に言えば、法律違反でもない限り、本人の自由、趣味思考の範囲である。
この後で神田森莉は、「美々子 神様になります!!」という「オウム真理教」をパロディ化した大変勇気のある作品を発表するが、この作品の出来映えは素晴らしく、私は、申し分なく神田森莉の最高傑作に押す。勿論、この後で批評するが、さすがにこの「美々子 神様になります!!」連載時は、神田森莉をしても、相当に「身の危険を感じながら描いた」という。何しろ連載開始した時期が1995年6月、何とあの「地下鉄サリン事件」の直後のことなのである。描いたご本人については、「神田森莉だから仕方がない」程度の印象だが、ぶんか社の「ホラーM」が良く掲載に踏み切ったと今更ながら頭が下がる。

納得のできないグミは、同じく親友の「晶子」、「苑子」とボーイフレンドの「完」と4人で、その宗教団体の本性を暴こうと「神秘卍教会」の「降霊ミサ」へ参加する。
教祖の「死鬼子」は、これも定番の、冷たい横顔の長身、グラマラスな美女である。
そして、降霊ミサはというと、トリックの入る余地はなく、これは紛れもなく本物であり、死鬼子は霊能力者だったのだ。
それでも納得のできない「完」は、翌日、単身で教団本部に潜入し、偶然入浴中の死鬼子の全裸を見ることによりその秘密を知るが、逃げようとして死鬼子に斧で足首を切断されてしまう。それ以来、完は失踪する。
教団を怪しむグミは、完を追うように教団本部に潜入するが、そこで、変わり果てた完を目撃する。完は、手足を切断され、両目玉を繰り抜かれ、舌を落とされ声も出ず、犬小屋に鎖で繋がれているのだった。そして、グミも、悲しむ暇もなく、完と同じように死鬼子に監禁されてしまうのだ。
グミが気づくと教団の教会、祭壇に半裸で鎖により磔にされている。どうやら公開処刑らしく、教会には大勢の信者が集まり、その中に由香もいる。見上げると、天井から晶子と苑子も鎖で吊るされている。
この監禁、鎖、磔、吊るし上げというシュチュエーションは神田漫画に何回出できたのだろうか。「監禁」、「調教」は、今ではポルノの必須カテゴリーとなってはいるが、神田森莉はかなり嵌っているのだろう、「怪奇カエル姫」でも書いたが、最後には復讐を遂げられるいじめっ子がグラマラスな美女になるのは必然なわけである、サディスト神田森莉としては。

そして、「サタンは殺せ!」という掛け声とともに、死鬼子は晶子と苑子の喉をナイフで裂き、飛び散る大量の血がグミに降りかかる。
大切な親友たちが目の前で傷つけられているのを見て、教会の席に着いていた由香は洗脳が解け、我に帰る。由香は、慌てて祭壇に駆けつけ、グミの鎖を外すが、親友の血で血まみれになったグミは、既に正気を逸している。
その時、犬になった完が、死鬼子に飛びつき、死鬼子の礼服を剥ぎ、半裸になりその乳房が露出する。だが、その乳房には、二つのスイカ大の子供の顔が付いていたのだった。双子の妹が死鬼子に憑依し、まるで人面相のように乳房に現われ、霊能力を持っているのは、その双子の妹たちの方だったのである。
泣いて許しを乞う死鬼子であったが、グミは、斧を手にすると、それを制止する由香の腕まで切り落としてしまう。そして、死鬼子の両腕、両足をその斧で切り落とし、更にボールペンで両眼を抉り出し、カッターナイフで舌を切断する。死鬼子は、「痛いっ! 痛い〜!」と何度も叫ぶ。神田漫画のお約束の叫びである。
「これだけ身体をバラバラにされて、もう不幸の極地って感じかな」、笑いながらグミは言う。「でも大丈夫、このペンダントをつけてさえいれば、幸せになれます」と、教団の「幸せになるペンダント」を死鬼子の首に掛けるグミであった。

エンディングは、ギャグというよりは「落ち」である。

処女作品集「怪奇カエル姫」を手にした読者は、正直どう感じただろう。やや口に運びづらいと感じたか。随分と開き直った漫画家だと感じたか。
例えとして適切かと言われればどうかと思うが、ラーメン店に、「二郎ラーメン」という「人気店」の括りを遥に越えるラーメン店があるのをご存知か。根強い、というより狂信的、それこそカルトなファンを多く持ち、それはラーメン業界に「ジロリアン」という造語まであると言えばご理解頂けるだろうか。「私はラーメンが食べたいのではない、二郎が食べたいのだ」、これは「ジロリアン」の名言にしてキャッチフレーズとなっている。
「二郎ラーメン」のラーメンは独特で、初めて食べると「変わったラーメン」という印象を受ける。そのため、カウンターには「当店のラーメンは3回食べに来て欲しい、3回食べることによって本当の美味しさが分かる」と明記されている。私も3回通ったが、なるほど、これは嵌る。病みつきになる。神田森莉の漫画も、このことは通ずるのだ。読み返す度に脳内にアドレナリンが噴出するのを感じる。視覚から脳へ、紛れもない何かが侵入して止まない、これが神田漫画の魅力である。
また、このタイトル、とってつけたような「怪奇」という言葉に、神田森莉の薄ら笑いさえ感じ取れるのも私だけではあるまい。