荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載8)

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精力的に漫画論を書きすすめている荒岡保志さんの神田森莉論がいよいよ本日から連載。神田森莉の漫画は再評価されなければならないだろう。荒岡さんは神田森莉の発掘人として、この偏愛漫画家論に情熱を注いでいる。ぜひお読みください。

偏愛的漫画家論(連載8)
神田森莉
1Q94ホラー漫画に何が起こったか?(その①)

荒岡 保志漫画評論家


自宅書斎での荒岡保志  撮影・清水正(2010年10月9日)

カルトと呼ばれる漫画家が存在する。

ホラー、ファンタジー、SF、アクション、ギャグ、ラブ・ストーリー、ヒューマン・ドラマなどのジャンルを問わず、少年漫画、少女漫画、青年漫画、レディース・コミック、エロ漫画、同人誌などのカテゴリーも物ともせず、また、大御所、新人の区別さえ無く、圧倒的に迸る個性で有無を言わせぬカルト漫画家の存在は決して少なくない。

勝手ではあるが、私の趣味嗜好に基づいて一例を挙げる。

古くは、虫プロ商事「COM」が輩出したシュールレアリスト「岡田史子」、多くのカルト漫画家を排出した青林堂「ガロ」より、長井勝一を唸らせた才能「淀川さんぽ」など、今となっては作品を読むことさえ困難な漫画家から、少年漫画では、永井豪率いるダイナミック・プロ出身という経歴を持ち、デビューも講談社別冊少年マガジン」というメジャー少年漫画誌ながら、今までの漫画の既成概念を破壊した鬼才「風忍」、少女漫画では、完成度の高い少女漫画誌として他誌を圧倒していた小学館別冊少女コミック」、豪華執筆陣を抱える白泉社花とゆめ」を中心に作品を発表する不条理ギャグ漫画家にして詩人「倉田江美」などは、今もなお根強い人気を持ち、ここで「カルト漫画家」と批評しても誰にも異論はないだろう。
また、大御所でも、前回批評したホラー漫画家で地獄絵師「日野日出志」、独自の世界を構築し続けるファンタジー漫画家で叙情画家「ますむらひろし」、実業之日本社漫画サンデー」に連載した「まんだら屋の良太」で一世を風靡し、そのエロティシズムと独特のペン・タッチで根強いファンを離さない浮世彫師「畑中純」などが挙がる。
新しくは、「丸尾末広」、「花輪和一」、「山野一」、「ねこぢる」、「山田花子」などの「ガロ」出身漫画家を中心に、「江口寿史」、「とり・みき」、「いましろたかし」、「漫☆画太郎」などのギャグ漫画出身漫画家、「ダーティ松本」、「山本直樹」、「駕籠真太郎」などのエロ漫画出身漫画家など、列挙すれば限がない。

そもそも、「カルト漫画家」というカテゴリーには明確な定義はなく、「カルト」の本来的な意味に基づくと「信仰」ということなのだから、「狂信的なファンを持つ漫画家」と言えば分かりやすいのかも知れないが、それですべてを表現しているとは思えない。
単純に「狂信的なファンを持つ漫画家」という括りになると、「手塚治虫」、「赤塚不二夫」、「藤子不二雄」などの大御所漫画家はある意味「神」であり、それこそ「信仰」の対象になって申し分ないが、彼らを「カルト漫画家」と呼ぶ者は皆無だろう。

ここで、敢えて「カルト漫画家」を定義づけると、一つには「表現者」であり、もう一つには「個性的」、そして最後に「少数派」というところだろうか。
表現者」、即ち商業漫画を悦脱し、作品の中に確固たる自己を表現する漫画家であり、「個性的」、勿論他者を寄せ付けない強烈な個性を持ち、「少数派」、大多数のファンを持つ流行漫画家ではなく、数は少なくとも根強いファンを持つ漫画家、ということである。

本題に入る前に随分長くなってしまったが、ここで批評する「神田森莉」こそ、「カルト漫画家」と呼ぶのに相応しい漫画家である、と私は思う。否、極端なことを言うと、「神田森莉」ぐらい「カルト漫画家」という称号が似合う漫画家が他にいるだろうか、とさえ思えるぐらいだ。その漫画作品は勿論、ご本人のライフスタイルまであまりにも強烈で独特、もはや追従不可能の領域に達しているのである。

神田森莉(カンダモリ)。1963年12月3日、北海道小樽市に生まれる。うさぎ年生まれ、いて座、血液型O型。本名未公開。
漫画家デビューは、1989年、笠倉出版のレディース・コミック誌「ラビアン」11月号に発表された「ブラックコーヒーインベッド」になるのだが、当時既に25歳、漫画家としてはかなり遅いデビューだと言える。デビュー前のプロフィールもほとんど未公開で、情報としては父子家庭であったこと、幼少より少女漫画で育ち、少女漫画家を志していたことぐらいであろうか。然るに、25歳までデビューは実現せず、年齢的に止むなく少女漫画を諦め、レディース・コミックでのデビューを果たしたということだ。

デビューから暫くは「ラビアン」を中心に作品を発表し続ける。1990年に入り、同じく笠倉出版「恐怖ミステリー」、サンデー社のレディース・コミック誌「ウェーブ」にも作品を発表するようになるが、この時期の作品は一切単行本化されておらず、現在読むことが困難、否、ほぼ不可能な状態になっている。何しろ、7冊だけ出版された単行本でさえ入手するのに困難を極める現状であるのだから。
神田森莉の一つの転換期は、何と言っても1993年、ぶんか社のホラー専門誌「ホラーM」の創刊だろう。笠倉出版の「恐怖ミステリー」はレディース・コミックの延長戦上にあり、本格ホラー専門誌とはやや隔たりがあった。この「ホラーM」創刊号に発表した「血まみれの夏休み」、この作品こそが、「ホラー漫画家」として、そして「カルト漫画家」としての本当のデビュー作品となるのである。

ぶんか社発行 平成六年十月

主人公はクラスメイトから「豚」と呼ばれるいじめられっ子の女子高生「光江」。ある夏休み、普段彼女をいじめているクラスメイトから、みんなで海にキャンプに行こうと誘われる。断りたかった光江だったが、あこがれの男子「生田くん」も同行するということなので、ついその申し出を受けてしまう。
そして、海でのキャンプ、生田くんとの会話も盛り上がり、ささやかな幸せを感じる光江だったが、その裏側で、生田くんは、いじめっ子と組んである賭けをしていた、それは、キャンプ中に、光江から自分に愛を告白させることが出来るか否か、という賭けであった。

生田くんは、その夜、海辺に光江を呼び出す。同じその頃、他のいじめっ子たちは、近所の養豚場で豚を撲殺し、その内臓をバケツに溜めている。
そして海辺で光江と会話を弾ませる生田くんであるが、その素直な光江の健気さに、本気で可愛いと思い、抱きしめてつい唇を合わせてしまう。「この娘は少し太っているだけで、可愛い女の子なんだな」、生田くんは改めてそう思う。
その瞬間、光江は言う、「私は生田くんが好きです!」と。
生田くんは、「しまった!」と思ったが、既に遅かったことに気づく。岩陰から現れたいじめっ子たちは、「豚が愛を告白した」と大はしゃぎで、生田くんが賭けに勝ったことを光江に報告する。さらに、呆然とする光江に、撲殺したばかりの豚の頭を被せ、バケツに溜めたその内臓を頭から浴びせるのだった。生田くんも、良心の痛みに耐えながらその場をやり過ごすしかなく、呆然とする。
その夜に、光江はみんなの前から姿を消す。そして次の日から、光江の地獄の復讐劇は開幕するのだ。

頭を岩で割られ、さらに背中の皮を背骨が露出するまで剥がれ、背骨を折られる者、カミソリで喉を切られ海に浮かぶ者、モーターボートのスクリューで腹を掻き毟られる者、そして、最後に光江は生田くんの前に現れ、意識を失った生田くんと供に無人の離れ小島へ向かう。
意識を取り戻した生田くんは、「本当は光江のことが好きになっていた、あんな酷いことをしてすまない」、と誠心誠意詫びる。ただ、時は既に遅かった。「ここまで来たボートは沈め、水も食料もないこの小島で飢えと乾きによる死を待つしかない」、と光江は言う。
やがて3日経ち、4日経ち、生田くんが飢えの苦しみに耐えられなくなった時、光江は言う、「食べる物なら目の前にある」、と。そして、隠し持っていたカミソリで自ら腹を割き、自分の内臓を引きずり出すのであった。
「光江を食べることなんか出来ない」と拒否をする生田くんだったが、やがて飢えに耐え切れず、生田くんは光江を貪り食ってしまう。
生田くんに食われながら、「私は生田くんの肉となり、永遠に一緒に生きる」と満足しながら死んでいく光江だった。
そして暫く経ち、漸く救助船が生田くんを発見する。高校生のグループの失踪を受けて探索に向かっていた救助船である。
無言で船の甲板に佇む生田くんはぶくぶくと太り、光江と同じ容姿となっている。


20年近く前に描かれた作品と譲歩しても、ストーリー自体は特筆する部分が見当たらず、「アンタッチャブル」、「ミッション・イン・ポッシブル」の大御所ブライアン・デ・パルマ監督の出世作「キャリー」、学園ホラーというカテゴリーを確立したポール・リンチ監督「プロムナイト」などの80年代ホラー映画の焼き直し、という印象である。否、寧ろ、いじめられっ子、豚の血と言えばご周知の通りまるで「キャリー」で、神田森莉がそのアイデアを取り入れたことは間違いないだろう。


初めて描いた本格ホラー漫画ということだから、ストーリーにしろ、絵柄にしろ、まだまだ荒削りな部分が多いと思われるかも知れないが、実は、神田森莉がメジャー商業誌に発表をし続けた1998年まで尽く荒削りであり、この「血まみれの夏休み」を執筆したのが既に30歳ということを考えると、神田漫画はこれである種の完成形であったと判断するしかない。
ただ、この荒削りさも神田漫画の大きな魅力なのである。こんな表現をすると大変失礼なのだが、小学校低学年の習字の授業で、習字自体は決して上手くはないが、「のびのびと元気があって良い」と評価される子供の作品、という魅力なのである。
荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)、漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。
現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。
漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。