荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載6)

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清水正の著作   D文学研究会発行本

偏愛的漫画家論(連載6)
日野日出志へのファンレター
荒岡 保志漫画評論家

単行本になった最後の漫画作品「地獄変」を読み返す日野日出志は、「駄目だ、この程度じゃ辞められない」と思い立つ。「どうしても描ききれないものが残ってしまった、それを描かざるを得ない」と、もう一作だけ描こうと決意する。そして1983年に発表されたのが、「地獄変」と対を成す、自叙伝三部作の第三部にして完結編に当たる「赤い蛇」で、やはりひばり書房から書き下ろされる。

少年が住む旧家は、家の周りには鬱蒼とした大木が立ち並び、全貌を見た者が誰もいないほど大きく、部屋の数さえ不明で、まるで迷路のようであった。ただ、数が不明な他の部屋に行けない理由は、途中の廊下が巨大な青銅の鏡により封印されているからに他ならなかった。頬に大きな瘤を下げる祖父は、「その鏡には近寄るな、鏡の向こう側の部屋には恐ろしい魔が棲み付き、さらにその奥にはあかずの間がある、誰かがそのあかずの間を見ると家族に必ず恐ろしい事が起きる」と言う。
父は、家で百羽ぐらいの鶏を飼育している。毛虫など気味の悪い虫を餌として与え、卵を産まなくなった鶏をつぶしと呼んで首を落とす。
父は、毎朝生まれた卵を集めて祖母の部屋へ行くのが日課である。
祖母は狂人であった。自分を鶏だと思っている祖母は、庭から拾って来た枯れ木で部屋に巣を作り、毛虫などを食し、父が持って来る卵を温めるのだ。
母は美しかった。やはり、生まれた卵を手に、祖父の部屋へ向かう。そして、祖父の瘤に卵を垂らし入念に揉み解し、さらにその瘤を足で踏み、血膿を出してやるのが日課だった。
姉は、父が鶏の餌にする毛虫をこっそり盗んで来ては、自分の肌に這わせて遊ぶ。
少年は、この家以上に家族を恐れていた。
そんなある日、少年は恐ろしい夢を見る。早く来い、来るのだ、と誰かがしきりに少年を呼ぶ。それは鏡の中から聞こえ、気が付くと、少年は鏡を通り抜け、鏡の向こう側の廊下に立っている。そして夢遊病のように長い廊下を歩く少年は、注連縄で封印された大きな扉に行き止る。あかずの間の扉だ、と少年は直感で確信する。その刹那、その巨大な扉が、不気味な音とともに開き始めるのだった。
少年はそこで目を覚ます。「あかずの間を見ると家族に必ず恐ろしい事が起きる」と言う祖父の言葉を思い出す。
その時、突然姉の悲鳴が聞こえ、少年が姉の部屋へ行くと、姉は足に何かに噛まれた傷があり、血を流している。それは赤い蛇である。真っ赤な蛇が姉の布団の中から悠然と現れ、闇の中へ消えて行くのであった。
騒ぎを聞いた祖父は、姉が赤い蛇に噛まれた事を知り青褪め、慌てて廊下の青銅の鏡に向かう。祖父の悪い予感通り、鏡は大きくひび割れていたのだった。「封印が破れてしまった、赤い蛇は昔からあかずの間の使いと言われている、きっと恐ろしい事が起きる」と祖父は脅える。

その日から、少年の家族に次々と恐ろしい事が起きる。
赤い蛇に噛まれた姉であるが、少年が夜中に異様な気配を感じ、姉の部屋を覗くと、姉が首筋、胸、腕、腿などを何匹もの赤い蛇に血を吸われ、悶悦しているのを見る。
さらにその翌日、父の飼育する鶏小屋に忍び込む姉は、鎌で鶏の首を落とし、その溢れ出る血を飲み干すのであった。
それを見た祖父は、自分が毎朝瘤の膿出しに使う卵を産む鶏を殺した事に激怒し、姉を縛り上げようとするが、抵抗する姉は、手に持っていた鎌で、祖父の足首を落としてしまう。駆け付けた父、母は驚愕するが、姉は不気味に笑いながら首を落とした鶏の血を舐めるのだった。
そのまま祖父は高熱を出し寝込むのだが、あの頬にあった大きな瘤が消え、不思議なことに、切り落とされた足首に瘤が出来ている。
母は今まで通り卵で揉み解し、足で踏み血膿を出すのだが、ある日、その噴出した血膿が母の顔に降りかかってしまう。顔に激痛が走り悶絶する母が顔を上げると、美しい母は頭蓋骨が露出したように皮膚が焼け落ち、無残に爛れていたのだった。
それ以来、母は鏡に向かっては絶望の悲鳴を上げるのだが、同時に、母の腹部が懐妊したかのように物凄い速さで膨らんで行く。
そんな中で、巣の中に大きな卵を残して祖母が行方不明になる。
もともと少し変人だった父は、その不気味な卵を毎日自ら温め続けるのであったが、ある嵐の夜、落雷と共にその卵が孵る。
卵から孵ったのは、顔が祖母のままの巨大な鶏であったが、父は、母が生まれ変わったことをまるで子供が生まれたかのように喜ぶ。
落雷で倒れた大木により、鶏小屋が壊滅し、多くの鶏が下敷きになる。餌の毛虫などが一斉に逃げ出し、ざわざわと廊下を這う。
祖父の見守る中、母の腹部はもう張り裂けんばかりに膨れ上がっている。そして、母の悶絶の絶叫とともに腹部が裂け、迸る血潮と同時に、小さな手が母の腹部を突き破る。母の死と引き換えに生まれて来たのは、片目は飛び出し、もう片目は崩れ落ち、大きな口には鋭い牙を持つ、世にもおぞましいグロテスクな赤ん坊であるが、祖父は孫が生まれたことに歓喜するのみである。
鶏になった祖母は、廊下を這う毛虫をつるつると吸い食していたが、只ならぬ気配を感じ、祖父の下へ行き、生まれたばかりの悪魔の赤ん坊に襲いかかかる。祖父は、躊躇なく日本刀で祖母の頭を持つ鶏の首を落とし、悪魔の赤ん坊はその肉を貪る。
それを見た父は逆上し、その悪魔の赤ん坊を鎌で切り裂き、母の首を取り替えそうとするが、今度は祖父が父の首まで落としてしまう。
ただ、首のない父の身体は、立ち上がり、その鎌を祖父の頭に振り下ろし祖父の頭を真っ二つに割る。
廊下に這う毛虫と戯れていた姉は、その殺戮の様子に気が付き、たくさんの流れる血に歓喜するが、その時、姉の口から巨大な赤い蛇が顔を出し、姉の顎を割って、その全貌を現す。
赤い蛇は、今度はじわじわと少年に迫り、夢中で逃げる少年は、いつの間にかまたあの青銅の鏡の前に追い詰められる。次の瞬間、少年は再び鏡を通り抜け、鏡の向こう側の廊下に抜ける。
それでもなお追いかけて来る赤い蛇から逃がれようと廊下を走る少年であったが、再び行き止まってしまい、やむなくその行き止まりの部屋の扉を開ける。すると、広がっているのは、髑髏が空に浮かぶ薄闇である。
突如現れた小船に乗って逃げる少年だが、我に帰るといつの間にかたくさんの人たちが苦しむ血の海を進んでいる。そして、その中に父、母、祖父、祖母、姉も居る。そのまま進むと、またどこかの部屋の扉に辿り着くが、そこで、少年はあの悪魔の赤ん坊に足を引かれ暗闇に落ち、そのまま気を失ってしまう。
少年が目覚めると、あのあかずの部屋巨大な扉の前であった。そして、そこに現れた赤い蛇は少年の喉に食らいつき、あっという間にがんじがらめに巻き付くと、首筋から血を吸い始める。薄れて行く意識の中で、少年はあかずの間の扉が開いて行くのを見る。それは,眩いばかりの光の洪水である。
少年は、再び目覚める。
少年は、あの青銅の鏡の前に居る。振り返ると、祖父が居る。「鏡に近づくな」と言う。
父は鶏小屋で卵を集め、祖母も部屋に巣を作って過ごしている。母も相変わらず祖父の瘤の膿出しを日課とし、姉も毛虫と戯れる日々である。
すべては夢だったのか、それとも、あの青銅の鏡に魅入られ、見せられた幻だったのか。

自叙伝三部作、と括られる本作品「赤い蛇」であるが、「地獄の子守唄」、「地獄変」とはまるで違ったアプローチで、ある意味ではフィクション性が高い。単純に言えば、前二作の主人公はあくまでも日野日出志ご本人であり、少年時代の回想がストーリーの中心であるが、「赤い蛇」に於いては、主人公の少年は家族を監視するオブザーバーに過ぎない。家族構成も、重複する部分もないわけではないが、ほぼオリジナルと言っていい。
工場地帯、煙突、ドブ川と言う設定が得意な日野日出志であるが、今回は巨大な旧家で、かなりの名家であろう、生活の為に家族が働いている実感はない。少年を含め、この家族は四六時中この旧家に居る、否、寧ろこの旧家に外の世界は存在するのだろうかと思わせるぐらいで、それこそ、少年にとっては、いくら歩いても終着点に辿り着かないミクロコスモスであった。だからこそ家族の関係はより深く描かれているのだ。
簡単に夢落ち、と言ってしまうと申し訳ないが、このエンディングから考えれば、主役はこの旧家である、と言い切っていいぐらいだろう。

また、この「赤い蛇」で描かれるエロティシズムについても着眼したい。
一つは、姉の存在である。
実は日野漫画に姉という肉親関係が登場するのは珍しい。それは前述した「セミの森」を持ち出す事もないであろうが、やはりエロティシズムの対象になっている。姉イコール大人の女性で、妹はまだ子供、と単純に分けられるかというと、実は随分先になるが、1994年に講談社「サスペンス&ホラー」に発表した「赤い実」では、明らかに小学生であろう姉がすっかりエロティシズムの対象となっている。日野日出志ご本人には実の姉はいないはずであるが、どこかで少年時代の淡い思いが投影されているのだろうか。
もう一つはやはり母である。
ある種の近親相姦願望か、体内回帰か、これは日野漫画にかなり多く描かれているテーマである。デビュー当時の「水の中」、「蝶の家」はもうストーリー自体がそれであるし、「はつかねずみ」でも母に性的なものを求め、はつかねずみに豊満な胸を吸われる母の恍惚な表情をあえてぼかして描いたりしている。「地獄変」でも勿論そうであり、この「赤い蛇」は極めつけであろう、瘤を踏みつけ膿を出す母の行為は明らかに義父との近親相姦図であり、悪魔の赤ちゃんを産み落とす場面では、シルエットでしか表現されてはいないが、明らかに義父は母の子宮に触れている。
また、これは「地獄の子守唄」にも共通するのだが、狂人として登場する母にいたぶられる少年日野日出志が、その行為に性的なものを感じているのは間違いないだろう。

冒頭から随分と引っ張ってしまったが、そろそろ、日野日出志の家族について語ってもいい頃合だろう。
その家族構成は重要な核であり、日野漫画を語るにはご本人の家族への思いを語ることが必須である。

地獄変」で登場する祖父は、背中に大蛇の刺青を入れるやくざで流れ者の博打打である。勝って帰る時は上機嫌だが、負けて帰って来ると飲んだくれて祖母に暴力を振るう。雪の日に、賭場のイザコザに巻き込まれやくざ者に斬られる。
「赤い蛇」に登場する祖父は、やくざでもなく、当然刺青も入れていない。自分の義娘との毎日の性的な儀式を除けば厳粛な祖父であろう。少年の夢の中では、これも逆に母を溺愛する実の息子に鎌によって殺される。

「地獄の子守唄」に登場する父は、自宅の裏で工場を経営する、この家族で唯一正気な存在として描かれている。工場の経営状態を反映しているのか、いつも表情は暗い頑固そうな父である。そして、少年日野日出志の呪詛により、工場で旋盤に巻き込まれ死亡する。
父に大きな蜘蛛の刺青がある、と告白したのは「七色の毒蜘蛛」で、登場する父は比較的優しそうなごく普通の父である。少年日野日出志は、空襲で防空壕に逃げ込んだ時、焼け爛れたシャツの下、父の背中に蠢く大きな蜘蛛を見る。戦後、米兵により強姦された母がドブ川に投身自殺してからは毎日酒をあびるようになり、少年に暴力を振るうようになる。そして、ある雪の降る朝、肥溜めに顔を突っ込んだまま死亡する。
地獄変」の父はもともとやくざの博打打で、やはり、背中に大きな蝙蝠の刺青が入っている。足を洗って所帯を持ち、必死に働いた時期もあったが、戦争がそんな人並みの生活を奪ってしまう。近所の屠場で働くが、飲んでは少年に暴力を振るう。そして、雪の日にドブ川に浮いているのを発見される。
「赤い蛇」に登場する父は、もともと少し頭が弱く、特に何をするでもないが、鶏を飼育する事と、祖母に鶏が産んだ卵を持って行く事を日課とする。混乱を避けるため祖母と読み方を統一したが、父にとっては母である。この祖母も狂人であるが、やはり、父にとって掛け替えのない、母親以上の存在として描かれている。やはり少年の夢の中で、祖父の孫、本来なら自分の子供になるのだが、ストーリーの流れ的には祖父の実子であろうと思われる悪魔の赤ちゃんを鎌で殺し、祖父に日本刀で首を落とされる。

母は狂人である。「地獄の子守唄」でも、「地獄変」でも狂人で、「地獄変」では、戦争の狂気が母を狂わせるプロセスが描かれている。共に、執拗に少年日野日出志をいたぶる。髪を毟り、縛り上げ、針を刺す、いたぶり方も変わらない。
「赤い蛇」に登場する母は、日野漫画ではお馴染みの美しいセクシュアルな母で、尚且つ義父と秘め事を持つ。
「地獄の子守唄」では、母は父と同様、少年の呪詛によりドブ川に浮く。「地獄変」では、年老いた母が狂ったまま弟をいたぶる件で終わっている。「赤い蛇」では、嵐の夜に悪魔の赤ちゃんと産み落とし、そのまま絶命する。

兄と弟、「地獄の子守唄」で、兄は喧嘩で刺されて死ぬ。「地獄変」では、兄ではなく弟として登場するが、やはりやくざで、背中に大蛇の刺青を入れている。飲んだくれ、喧嘩に明け暮れる毎日であるが、優しい一面も描かれる。やはり雪の日に、ドブ川のほとりで雪に埋もれて発見されるが、何とか一命は取り止める。ただ、巨大な肉の塊と化してしまう。

「赤い蛇」では兄、弟は登場せず、変わりに姉が登場する。前述したが、日野漫画で姉の存在は珍しく、勿論エロティシズムの対象としても登場するのだが、「赤い蛇」に於いては、実はこの旧家のあかずの間の使い役で、主役級の位置付けにある。

地獄変」の美しい妻は亡者相手に酒屋を営み、二人の子供、姉と弟は怪奇趣味が高じ、不気味な絵を描いたり、動物の死骸を集めたりして遊んでいる。

「赤い蛇」の祖母は、自分を鶏と思い込んでいる偏執狂である。その思いは、母と息子の愛情の強さで実現されるが、最終的には自分の夫に切り殺される。ここにも日野漫画のエディプスコンプレックスの傾向がはっきり映る。

そしてご本人はと言うと、「地獄の子守唄」では、少年の頃から怪奇に取り憑かれ、呪詛により家族全員を殺す事で飽き足らず、読者にも死を宣告するホラー漫画家である。
「七色の毒蜘蛛」でもやはり漫画家で、ここでは始めたばかりの居合いの腕をご披露したりもする。少年時代は何の変哲もなかったが、父の毒蜘蛛から生まれた子蜘蛛が町中に繁殖し、今になって自分の背中にも取り憑いているのに気が付く。
地獄変」では、血の色、その美しさに取り憑かれた地獄絵師として登場する。「地獄の子守唄」同様、怪奇趣味から生首、胎児、動物の死骸などをホルマリンに漬けて収集する。また、これも「地獄の子守唄」同様、呪詛により大量殺人を実行、さらに全人類抹殺を試みる。
「赤い蛇」にはご本人は登場しないが、ここで、家族構成を考慮すると、実は、日野日出志ご本人の位置は父である事に気が付く。
主人公の少年は、日野日出志ご本人の、当時はまだ幼い長男ではなかったか。それによって、少しずつ設定の違う家族構成の焦点がぼんやりとだが合って来るではないか。
「地獄の子守唄」、「地獄変」の狂人の母は、そのまま祖母と重複し、「地獄変」の母は妻、初めて登場する姉は、ご本人の長女なのである。

日野日出志にとって、祖父のイメージは強烈だったろう。祖父は、描かれた通りのやくざで、流れ者の博打打で全国の賭場を回り、勝った時には大八車にお土産を山のように積んで帰って来たが、負けが込んだ時は行き倒れ寸前の姿で辿り着くらしい。賭博罪で二、三回逮捕歴があり、刑務所で過ごした事もあったと言う。少年時代はそれが嫌で仕方がなかった、と言っている。

そして父であるが、父にも背中に大きな蜘蛛の刺青があった。やはり博打打ではあったが、やくざではなく大工である。当時の大工とか鳶には刺青を入れる人が多く、刺青については違和感はなかったそうだが、少年日野日出志は、祖父の件もあり博打打に嫌悪感を持ち、その辺りから日野漫画に登場するやくざな父親像が構築されているのだろう。

原初的に、男性は誰でもそうなのであると言ってしまえばそれまでだが、強いエディプスコンプレックスを持つ日野日出志の描く母であるが、ここまで狂人扱いされると、やはりどこかで事実に基づいている部分もあるのでは、と想像するが、ご本人の母が狂人であったとは聞いた事がない。
ただ、祖母が大好きだったとは聞いてはいたので、意外や意外、ご本人はお婆ちゃん子だったのかも知れない。少年日野日出志が母の愛情に飢えていた可能性は捨て切れない。

兄は居らず、弟はほぼ描かれた通りか。やはりやくざではなかったが背中に刺青を入れ、喧嘩に明け暮れる毎日だったと聞く。ただ、優しい弟で兄思い、日野日出志の絵師としての才能をいち早く見抜き、応援してくれていたのが弟であった。「地獄変」の通りに植物人間になってしまい結果他界するが、原因は喧嘩ではなく、交通事故のためであった。
荒岡 保志プロフィール
荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)、漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。
現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。
漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。