荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載4)

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清水正の著作   D文学研究会発行本

偏愛的漫画家論(連載4)
日野日出志へのファンレター
荒岡 保志漫画評論家


エンターティメントに徹底した日野漫画とは言え、勿論完成度の高い作品も数多い。

「ウロコのない魚」は、逃れられない暑さに気が狂いそうな少年と、工場の廃液により瘤だらけになったグロテスク奇形魚が絶妙なコントラストを醸し出している。
「まだらの卵」は、「ウロコのない魚」では死を暗示する奇形魚はオブザーバーに過ぎなかったが、孵化した卵は死をもたらす加害者となる。なお、最後まで正体は謎のままにする演出も一層不気味で効果的である。「セミの森」は、「赤い花」に続く耽美的な作品と評価できる。

1975年で一つだけ特筆するのは「毒虫小僧」だろう。
ストーリーは前述した通り、少年が巨大な毒虫と化し、次第に家族から阻害されるという、カフカの「変身」である。唯一の相違点は、少年が意外に毒虫に変身したことに悩んだ様子がなく、比較的能天気に構えているところか。家から逃げ出した毒虫が、過って自分を苛めていた同級生に復讐を果たすというエピソードもあるぐらいである。
ここで「毒虫小僧」について着目したのは、この作品が日野日出志初の書き下ろし作品だからである。この後、ひばり書房以外にも、主婦の友社立風書房大陸書房など書き下ろし作品が中心になる時期が訪れるが、この200ページに渡る「毒虫小僧」がその皮切りとなったわけだ。実は、この事は漫画家日野日出志にとって、今後の発表作品に大きな影響を与えているのである。

1976年、長男誕生。無垢で小さな命を目の前にして、「本当の強さの意味を知った」と言う。「この者たちを守るのは自分しかいない」と自分に言い聞かせた。日野漫画に登場する家族関係とはそれこそ異次元の良き父親像である。

1976年に発表した「地獄小僧」は、全八話からなる連作長編漫画であるが、もともとは悪魔の医学によって蘇生された少年が、発作的に怪物に変身して人間を襲うと言うストーリーであったが、次第に怪物一人旅というか、ロードムービーのような漫画になってしまった。
発想的には、ご本人もかなり愛着を持つと公言する、ホラーながら怪物の悲しさを描く叙情的作品シェリー夫人の「フランケンシュタイン」にインスパイアされたものである。
この後1978年に「ペケ」に連載された「愛しのモンスター」も、ややコメディ・タッチではあるが同じ発想で描かれている。

1977年、ここで、久し振りに日野漫画の原点に帰ったかのように「少年キング増刊」に「山鬼ごんごろ」を発表する。「大人の童話」であり、ペン・タッチこそ随分変化しているが、あの「蔵六の奇病」に近いテーマを持つ叙情的作品である。

山から人里に下りて来た鬼、ごんごろは、おゆきという、村の名家の盲目の一人娘に一目惚れしてしまう。ある日、巨大な大蛇に襲われそうになるおゆきを救ったごんごろは、おゆきと友達になり、命の恩人としておゆきの家に招待される。現れた鬼に驚くおゆきの両親だが、性格の良さそうな鬼に、当初はごんごろを受け入れる。
力持ちのごんごろは、毎日のように人里に下りては、壊れた橋を直したり、野良仕事を手伝ったり、村の子供たちと遊んだりしていたが、おゆきがごんごろの優しさに惹かれ始めた頃、ごんごろは、おゆきに自分の嫁になって欲しいと告白をする。おゆきの答えは、イエス、である。
喜ぶごんごろであるが、それを聞いて悩むおゆきの両親は、村人たちを集めて相談する。鬼は鬼だ、いつ悪さをするか分からない、それが村人たちの結論である。
そんな時、おゆきが盲目の手術のために暫く上京する事になり、村人たちはこの間にごんごろを亡き者にしようと策略をする。そして角を折らせ、牙を抜き、爪を落とし、最後には目を潰してから、村人たちは竹槍でごんごろ襲いかかる。ごんごろは、何が起きたのかも分からないまま、調度、目の手術が成功して村に帰ったおゆきの前で息を引き取る。
この酷い仕打ちに怒り、悲しむおゆきは叫ぶ、「鬼は貴方たちです!」と。

奇病の感染を恐れ、蔵六を始末しようとした村人たち、鬼の本性を恐れ、ごんごろを亡き者にする村人たち、この「山鬼ごんごろ」の冒頭で、天狗の長老が下界へ下りようとするごんごろにこう話す、「そこには、人間というこの世で一番恐ろしい動物がいる」と。

1978年には、「ペケ」に「鶴が翔んだ日」を発表する。不治の病に伏せる少女が、大好きだった鶴となり空を翔ぶという「大人の童話」で、やはり叙情的な秀作である。


荒岡 保志プロフィール
荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)、漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。
現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。
漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。
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