荒岡保志の偏愛的漫画家論(連載3)

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清水正の著作   D文学研究会発行本

偏愛的漫画家論(連載3)
日野日出志へのファンレター
荒岡 保志漫画評論家


             荒岡保志                          清水正
ここで再び余談になるが、日野日出志と同じく「COM」の「ぐら・こん」出身で、「河あきら」という女流漫画家がいる。現在はレディース・コミックを中心に活動しているが、1970年代は集英社の「別冊マーガレット」で大変な人気を持つ売れっ子漫画家で、絵柄が少女漫画離れしているため男子でも入りやすく、そのラブ・コメディのセンスが抜群で多くの男子ファンを持ち、私もその一人であった。1970代後半に入ると、シリアスな青春漫画を発表するようになり、どれも中々の力作でまた新たなファンを引き付けるのだが、その中で、北朝鮮のスパイを主人公にした「故郷の歌は聞こえない」の連載を開始する。主人公は北朝鮮のスパイと言う設定であるから極端にセリフが少なく、ちょっとしたくすぐりさえ拒むシリアスなストーリーであったため、この半年の連載期間は相当ストレスが溜まっていたそうだ。もうコメディが描きたくてウズウズしていた、と当時のインタビューで話していた。「おかしなおかしなプロダクション」も、そういうストレス発散の作品だったのだろう。

そして、実は高校生の頃のアイデアを元に描かれた「太陽伝」、何と全編520ページ、勿論、日野漫画最長の長編作品を、「少年キング」28号から翌1974年1号まで半年間に渡り連載、発表する。
設定は、未だ狩猟に依って生活する原始時代、そこに降り立った太陽の子「ボボ」、仲間と目指すはユートピア「太陽の昇りし国」、ストーリーを見てお分かりの通り、この作品はホラー漫画ではない。「蔵六の奇病」をホラー漫画とは思わないと前述したが、全く違う意味で、本当にこの作品はホラー漫画ではないのだ。以前、何かで、ホラー漫画しか描けない漫画家と言われるのを嫌って描いた、と言う意味のインタビューを見たことがあるが、正にその通りだったと思う。正直、やや疲れ気味の時期だったのかも知れない。コマ割りは大雑把だし、ペン・タッチは粗い、背景にもほとんど手を掛けていない、ご本人には申し訳ないが、ちょっと口に運びづらい作品であった。
1973年は、ある意味、漫画家としては試行錯誤の年だったのかも知れない。

1974年、「少年キング」に発表された「元日の朝」であるが、私は、これこそがエンターティメントに徹底した日野漫画だと考える。

「蔵六の奇病」で、「果たしてこれがエンターティメントを目指した日野漫画なのだろうか」と書いた。その理由は、「蔵六の奇病」が、読者を意識し迎合された作品とは思えなかったからだ。あくまでも、日野日出志の求める怪奇、叙情の世界を、本当に満足の行くまで練って練って練り上げた作品なのであって、どこにも読者の顔は出て来ない。
しかしながら、ここが日野漫画なのだ、ここがこの「日野日出志論」の冒頭でも書いた、「日野日出志がカルトホラー漫画家とも位置づけられる」圧倒的な相違点の一つなのだ。日野日出志は商業漫画家ではなかったのだ、少なくともこれまでは。

元日の朝、清清しい気持ちで少年は目覚めるが、階下に降りるも家の中には誰もいない。お雑煮を火にかけたまま、煙草の火はつけたままで、母親も父親も姿が見えない。不思議に思って少年は町に出るが、町にも人影が見えない、ただ、何かが後からつけて来るような気配を感じる。
不気味さを感じながらも、空に上がっている幾つかの凧を見つけ、少年はほっとしてその土手に向かうが、土手には凧が上がっているだけでやはり人の気配はない。
さすがに異常事態に気付き、逃げるように土手を後にする少年であるが、背後に何かを感じて振り返ると、空中に浮かぶ生首、そして大きな鎌を持った死神を見る。
大慌てで何とか家まで辿り着くが、やはり家には誰もいない。ただ、家の表の電線に烏が一羽停まっており、その烏が少年を見下ろしクックックと笑うのだ。
やがてその烏が空に向かって一鳴きすると、空にピキッと音を立て亀裂が走り、それはみるみるうちに広がり、少年までも飲み込んでしまう。
場面は元日の朝、少年の家に戻る。少年を探す父親の姿がある。父親は、「そのうちに帰って来るだろう」と思い玄関を閉める。

現在ではいかがなものだろうか。元日の朝は、やはり特別だろうか。
1970年代だと、元日というのは昨日までとまるで違う世界に見えたりもした。まず商店という商店はすべてシャッターを下ろし、往来の人の行き来も疎らであった。とにかく静かで、空気も澄んで感じられたものだ。
この「元日の朝」は、そうした元日独特の雰囲気を、異次元、パラレルワールドに置き換えた発想で描かれた作品である。
これこそがエンターティメントに徹底した日野漫画だと書いたが、単純に言えば読者の顔が見える、即ち、今この漫画を読んでいる読者が主人公に成り得る作品であるということだ。少年漫画であるわけだから、少年を主人公にした方が感情を投入しやすいのは当然でのことである。また舞台が誰もが毎年迎える「元日の朝」という特別な日とはいえ日常であり、その日常に異次元の穴を開けたという視点からもそう申し上げたわけだ。
勿論、ご存知の通りこれ以前にも読者と同じ年代の少年が主人公の作品はあった。
「泥人形」、「水の中」、「はつかねずみ」、「蝶の家」なども設定的にはそうではあるが、「はつかねずみ」を除けばあまりにも特殊な環境の少年たちで、読者が自己を投影しづらいはずである。もっと言えば、それらの作品は母親と子供、家族と子供の関係に重きを置き、そのためにたまたま少年が主人公になっただけである。

良くも悪くも、試行錯誤した1973年を明け、1974年度に日野日出志は商業漫画家としてある種の開眼をした。そして少年誌に少年漫画を描くという実にベーシックな行動をとったわけだ。

例えば、同年、「少年チャンピオン」に発表された、学校の帰り道、悪戯に殺したガマが祟る「がま」、翌1975年に「少年キング増刊」に連載された、トンネルを抜けた列車が到着したのはすべてが少しづつ違う異次元、パラレルワールドであった「恐怖列車」、真夏の暑さが少年に見せる狂気「ウロコのない魚」、双葉社「少年アクション」に発表された、死神の乗る団地のエレベーターが少年を地獄に誘う「地獄へのエレベーター」、美しい姉をセミの大群が執拗に襲う「セミの森」、マネキン職人の父が製作した人形たちが少年を襲う「マネキンの部屋」、奇病により他界した幼馴染の少女が死の世界へ少年を誘う「ともだち」、工場の廃液で濁るドブ川で拾った卵から孵化した何かが少年の家族を惨殺する「まだらの卵」、また同年、ひばり書房に書き下ろされた、毒虫に刺された事によって、自分自身が巨大な毒虫と化してしまう「毒虫小僧」もその類と言っていいだろう。

更に、1976年にはやはり「少年キング増刊」に連載された、交通事故で子供を失った医者が子供の蘇生に成功することに始まる悲劇「地獄小僧」、1977年に「少年マガジン」41号から1978年5・6合併号に発表された、四次元の町に迷い込む少年を襲う恐怖「サブの町」、1978年にみのり書房「OUT増刊号VUN」に発表された、自分の左手が自分の意思とは関係なく悪事を働く「ゆん手」など、列挙すれば限がない。
荒岡 保志プロフィール
荒岡 保志(アラオカ ヤスシ)、漫画評論家。1961年7月23日、東京都武蔵野市吉祥寺生まれ。獅子座、血液型O型。私立桐朋学園高等学校卒業、青山学院大学経済学部中退。
現在、千葉県我孫子市在住。執筆活動と同時に、広告代理店を経営する実業家でもある。
漫画評論家デビューは、2006年、D文学研究会発行の研究情報誌「D文学通信」1104号に発表された「偏愛的漫画家論 山田花子論」である。その後、「児嶋 都論」、「東陽片岡論」、「泉 昌之論」、「華 倫変論」、「ねこぢる論」、「山野 一論」などを同誌に連載する。
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