猫蔵の日野日出志論(連載2)

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猫蔵の日野日出志論(連載2)
『幻色の孤島』論(第二回)
猫蔵

猫蔵著『日野日出志体験〜朱色の記憶・家族の肖像』(2007/9 D文学研究会)の扉と栞

 それでは改めて、『幻色の孤島』の本作を一コマずつ詳細に見てゆく前に、本作品に関する幾つかの事実を整理しておく。まず、研究の底本としたテキストを明らかにする。昭和62年8月15日初版発行のペンギンカンパニー刊『日野日出志 怪奇・幻想作品集 赤い花』である。本書の表表紙には、他ならない『幻色の孤島』の扉絵が、カラー印刷により、雑誌掲載当時(1971年<昭和46年>『少年キング』37号)を想起させる配色により、復元され載っている。なお、本書中の本編掲載ページにおいては、この扉絵は、雑誌掲載時はカラーであったことが窺い知れるばかりで、配色については判別することのできないモノクロ印刷が用いられており、他の単行本に収録された『幻色の孤島』の扉絵もこれに準じている。また、『幻色の孤島』を表紙カバーに描いた別の単行本の場合、初版を除き、これはカラーではあるものの、雑誌掲載時にはなかった描き下ろしの絵が新たに用いられており、雑誌掲載時は「扉絵」が本作における唯一のカラー部分であったにも関わらず、後付けの解釈が加えられていて、あまり釈然としない。
 やはり雑誌掲載時の姿をオリジナルと捉え、可能な限りそれを元に研究を進めていきたく思う。(なお掲載雑誌そのものについては、現在私の手元になく、例えば今後、今回の底本における扉絵の着色と、当時実際に掲載された扉絵の色との間に、何らかの差異が認められた場合、それは新たな研究の対象となるだろう)
 次に、本作にまつわるエピソードについて、前もって明らかにしておく。『幻色の孤島』は、日野が二十五歳のとき、彼の事実上の出世作と言われる『蔵六の奇病』発表の、およそ一年後に雑誌掲載された作品である。
かつて、酒宴の席において日野は、『幻色の孤島』執筆と同時期に、みずからの童貞を失った事実を周囲の者に打ち明けている。作家の童貞喪失という転機が、その作品にどのような影響を及ぼすかは定かではないが、幸か不幸か、『幻色の孤島』鑑賞とほぼ同時期に私はこのエピソードとなった酒宴の渦中に身を置いており、映像作品『血肉の華』のときのような、まず前提となる鑑賞体験のみが独立して存在していた訳ではなかったことを、あらかじめ明言しておく。作品と鑑賞者との出会い方は千差万別であり、それを不当に捻じ曲げた研究に、魅力も発展もない。まずはじめにこれらの事実を明らかにした上で、漫画『幻色の孤島』との対話に入っていきたく思う。

扉絵


 
 まずはじめに、扉絵を見る。縦長をした長方形の枠の中心に、ボロボロの服を身につけた男がひとり、佇んでいる。男の手には、刃を上にして槍が握られている。彼の後ろには、緑色に濁った沼らしきものと森、そしてやはり灰緑色に塗られた空が広がっている。灰緑色の空に向かって噴煙を吐き出している赤茶けた山の峰が、ここが我われの住む文明からは遠く隔てられた、無法の天然であることを物語っている。特筆すべきは、男を取り囲むようにして息を潜めている、奇妙な動物たちや植物である。男も異様な姿をしているものの、手にした槍が、それら動植物が彼にとって、無条件にみずからを受け入れてくれる存在ではないことを窺わせる。
 目を凝らすと、ボロボロに朽ちかけた男の衣服は、我われ文明社会のそれと同じである。いわゆる探検服と呼ばれる類のもので、この男が望まずもこの場所にとり残されてしまった者であることを示している。
 この扉絵を見、まず「ここは一体どこなのだ?」という疑問を私は抱く。そして次に、私(すなわち読者)に対して空ろな視線を投げかけるこの男が、果たして何者なのだろうかと問いを新たにする。絵全体を占める色の割合が濃い緑であることもあり、この絵は、見る者に湿気や潤いを感じさせる。よって、この世界においてただ単に空腹や渇きを満たしていくということに関しては、あまり切迫したものは感じられない。しかし、男の表情からは、単に肉体的・動物的飢えや野性味とは一風異なったものを含んでいる様子が垣間見え、言い知れない居心地の悪さを覚える。別段、際立って喜怒哀楽を表しているわけでもないのに、感情に訴えかけてくる表情だ。
 改めて、男の瞳に注目する。すると、先ほどは読者である私自身を見ているように思われたものが、今度は、画面右上の木の洞に潜む怪しい小動物を見ているようにも見えてくる。これは、男のもつ左右の瞳の大きさが、不揃いであるためである。この扉絵が感じさせる不安感は、男のもつ瞳の、定まらない視線に拠るところが大きい。つまるところ、この扉絵全体の湿気や潤いの含有率が驚くべきほど高い一方で、ただ男の視線のみが、一点、潤わざる乾いた部分となって効いているのだ。潤いに満たされざる部分と言い換えてもいい。
 男の視線は、狂気じみている。狂気とは、満たされざる飢えや渇きを根源にもっている。この不均衡が、この絵のもたらす居心地の悪さの大きな一因であり、同時に目を惹き付けてやまない部分でもある。
 改めて確認するが、「扉絵」とは、作品の本質を一枚の絵に凝縮した、作品の顔ともいえる部分である。この扉絵の前で暫し足を踏み留め、心の内に湧き上がってくる感覚に耳を澄ましていると、潤いや湿り気と同様に、どうしても癒し難い飢えや渇きをも、感じられてくる。
 まず、圧倒的な質量で読者の五感や皮膚感覚に絡み付いてくる湿り気がある。大樹の根元に繁殖した、さまざまな原色のキノコらしきもの。そして、画面左下に咲き誇っている、黒ずんだ紅色の花弁とその中心から突き出た無数の柔突起はオシベであろうか。また、画面上のさまざまなところに配置された怪しげな生き物たちのいずれも、剥き出しになった眼やその表皮は、触れれば粘液が手にくっ付いてしまうような感触を予感させる。
 しかしながら、これだけ生々しくありながら、また同時に、僅かながらも、それら潤いや湿り気とは相容れない印象をも、この絵は与えてくる。ある面においては非常に牧歌的であり、温か味のあるキャラクター造形や筆のタッチと相まって、地上における楽園を描いた叙情画の趣きさえある。だが、ただそれだけには収まらない“欠落”を、この絵は絶えず訴えかけてくる。
 その理由が、画面中央に描かれたみすぼらしい格好の男からくることは明白だろう。その理由が、この男がなにかを欠落した存在だからなのか、あるいはこの男そのものが、この絵自体の“欠落”だからなのかは分からない。いずれにせよ、“欠落”とは、これまで日野日出志の作品を見てきた上で発見した、不可避のキィ・ワードであったことを思い出す。映像作品『血肉の華』を論じた際にあっては、“空白”という言葉がこれに準ずるものとして登場した。
 次に、題名について見てみよう。『幻色の孤島』という言葉の響きもまた、とくに“ゲンショク”の部分からは、強い湿り気を感じさせる。なお、“幻色”という言葉は通常では存在せず、作者による造語だと思われる。だが、本来は具体的な質感を表す「原色」と言う言葉に、それとはまったく真逆の“幻”という言葉を掛け合わせたことにより、作品自体を、どこかに実在する孤島を描いたものではなく、もっと別の次元の物語であることを読者に仄めかし、ゆるやかに作品世界へと導く効果を発揮している。それでもなお、“ゲンショク”という言葉の響きが、「幻」ではなく「原」の方を喚起させるため、熱帯植物を思わせる、孤島に咲き誇った毒々しい花弁の色のリアリティは、今もって健在である。
 では、「孤島」という部分であるが、先ほどの「幻色」に比べ、湿度・温度の点からすれば乏しい。では「の」の部分を補い、前半の「幻色」と繋ぎ合わせると、「孤島」の部分の寒々しさは緩和される。しかし、相変わらず題名全体に通底する“欠落”感は見落とせない。『幻色の孤島』という題名からもまた、解消し切れない飢えや渇きが感じとれる。
 視線の定まらない男の表情。題名に掲げられた「孤島」という言葉が、他ならないこの男の“孤”(あるいは“個”)の状態と重なる。この島のなかにおいて、男は異物なのかもしれない。明らかな“異物”だとは分かりかねるほどの差異ではあるが、この差異が決定的に絵全体の調和を崩している。
 この絵をじっと眺めていると、あの有名なムンク「叫び」を思い起こす。男とも女とも、老人とも子供ともつかない人物が、夢とも現実ともつかない風景のなか、叫んでいる。幻想世界の住人らしく慎ましやかに佇んでいれば良いものを、この人物の発する叫びはあまりにも生々し過ぎて、幻想空間を突き抜け、現実に私の耳にまで響いてくる。かつて私はこの絵について、「この人物が叫んでいるのは、この人物の自我が、思いがけず、自分が絵のなかの人物であることに気が付いてしまったからではないか」との思いに、長らく憑り付かれた時期があった。『幻色の孤島』の扉絵の男もまた、その表情はどこか似ている。読者である私自身に向けられているようにも見える、焦点の合わない瞳は、彼自身が、『幻色の孤島』の世界におけるみずからの存在に、違和を感じているような感覚に陥る。あの、ムンクの絵の人物に比べ、この男自身、そのことを自覚していないまでも、男の理性とでもいえるようななにかが(これは針の頭ほどの煌めきに過ぎないのだが)、作家に描かれたに過ぎない絵でありながら、絵として埋没することを拒んでいるのである。原始的な充足感のなかから見出される、この一点の飢えと乾きは、本作品を読み解いていく上において不可避な問題となってくる。

猫蔵・プロフィール
1979年我孫子市生まれ。埼玉県大利根にて育つ。日大芸術学部文芸学科卒。日大大学院芸術学研究家博士前期課程文芸学専攻修了。日野日出志研究家。見世物学会会員。本名・栗原隆浩