『浮雲』研究のために屋久島へ(連載第十一回)

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清水正の著作   D文学研究会発行本

車はトロッコ軌道を後に屋久杉自然館方面へ向かい、途中、道路脇に展示された「機関車・トロッコ」を見た後、ヤクスギランドを通り過ぎ、紀元杉へと向かった。車の窓をあけ、清涼な風に吹かれながら、右にモッチョム岳を見ながら進む。何の警戒心もなく道路に座っているヤク猿親子の仲むつまじい姿に心癒され、大空を突き上げる白骨樹の荘厳な立姿に心を奪われる。暗黒舞踏創始者土方巽は、「死体が立っている」ということに暗黒舞踏の神髄を見ていた。わたしは屋久島の森に屹立する白骨樹に、密かに暗黒舞踏を重ね、かつて土方巽大野一雄について批評していた頃を懐かしく思い出していた。
 鎌田さんは湧き水が出る場所で車を止めた。ここで屋久島の自然水をはじめて口にする。日本人が湧き水や井戸水を飲まなくなって久しい。わたしが子供の頃は、水を、金を出して買うなどということは信じられなかった。湧き水を飲んで、少しばかり屋久島の自然を体内に取り入れたようにも思ったが、雄大な森を前にしてはそんな思い自体が傲慢に感じられた。整備された道路を車に乗って、自然の森に入って来た者など、自然の側から見れば蚤一匹の存在ですらなかろう。
 紀元杉の入り口に石碑が立っている。左隣の看板には「モミ伐根」の説明が記されている。「1.樹齢 455年/ 2.樹高 33m/3.立木材積 35㎡/伐採した理由 このモミは老衰により枯れたと推測されます。モミは400年前後が寿命とされており、これほどの高齢木は希にしかみられません。」(林野庁 屋久島森林管理署 2000.3)。紀元杉の碑の背後に巨大な白骨樹が聳えている。木で造られたの「紀元杉歩道」の階段を降りて、森の中へと進んでいく。二分ほど歩くとすぐに紀元杉に着いた。屋久島森林環境保全センタの説明板によれば、樹高19.5m。胸高周囲8.1m。樹齢3000年。着性植物はツガ、ヒノキ、ヤマグルマ、ヤクシマシャクナゲアセビ、サクラツツジヒカゲツツジ、ナナカマド、ユズリハ、トカライヌツゲ、シキミ、ミヤマシキミの十二種に及ぶ。巨樹に依存する植物の多さに、屋久島で生きる植物の生存競争の厳しさと共生の不可避性、そして何よりも屋久杉の大いなる包容力を感じた。
屋久島では千年たたない杉は小杉と呼ばれています。千年以上たって初めて屋久杉と言われます。屋久杉は樹脂が濃いので伐採され放置されていても腐ることはありません。これを、土に埋もれた木と書いて土埋木(どまいぼく)と言ってますが、別に土に埋まっていたわけではないんですね。白骨樹は死んで枯れても腐ることがなく、あのように何百年も立っています。屋久杉は種がおちて自然に生育しますが、この杉の苗木を下に持って行って植えても屋久杉にはなりません。屋久島の森の中でしか屋久杉は育たないんです。」
 鎌田さんの流暢な解説を聞きながら、貯木場に積み上げられていた土埋木を思い出した。巨大な土埋木の年輪は実に細かく刻まれ、絶え間ない雨粒の浸食で中央に空洞をかかえて横たわっている。その姿は、何千年の歴史を自らの躯に刻み込んで深い沈黙を守っている。巨樹に対する畏敬の念で神にまで祭られた屋久杉は、しかし時の権力に従属する者たちによって伐採された。現在、屋久安房出身の儒者・泊如竹(とまりじょちく)が、屋久杉を神とあがめる人々を説得して、屋久杉の伐採を積極的に押し進めたことが知られている。わたしは、この人物と屋久島の純朴な人々に思いを巡らせ、神と人間を巡る壮大な物語、昨年映画館で観た「アバター」を思い出していた。
 屋久島の森の中の風景は、宮崎駿のアニメ的世界と同時に、「アバター」的な壮絶な戦闘シーンを抱え込んでいるようにも思えた。屋久島に生きた島民たちの信仰と暮らしは、屋久杉(神)伐採によってどのように変容していったのか。貯木場に積み上げられ、工芸品に加工される順番を待っている土埋木は、人間の手によって伐採(殺)された死体でもあることを忘れてはならないだろう