『浮雲』研究のために屋久島へ(連載第四回)

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清水正の著作   D文学研究会発行本

平成22年9月6日(月曜)
田代旅館三代目女将・田代房江さんにインタビュー 

2010年9月2日 田代別館263号室にて
林芙美子の「屋久島紀行」に出てくる田代館の〈無口なおとなしい女主人〉の名前は田代ハヨさん(旧姓は中間でチュウマンと呼ぶそうである)で、田代郷吉さんに嫁いだ。ハヨさんは名古屋にいたこともあったそうだが、結婚後は役場に勤める郷吉さんと姑のハツさんによく仕えながら旅館業を一人で仕切っていたらしい。二十三歳で七つ歳上の田代幹郎(みきお)さんと結婚した房枝さんにもたいへんよくしてくれた姑だったそうである。ハヨさんは昭和五十年八月に七十歳で亡くなっている。ハヨさんはひとの悪口などいっさい言わない、ひとのいい、静かでやさしいひとだった。林芙美子が「屋久島紀行」で田代旅館の女主人、すなわちハヨさんのことが書かれていることに関してもいっさい自分から話すことはなかった。房枝女将は田代家に嫁ぐ前に、林芙美子の本を読んでいて知っていたということであった。
 田代房枝女将は旧姓中島(なかしま)で、六人兄弟姉妹の二番目(長女)として、昭和七年四月五日に屋久島に生まれた。父親は戦時中は海軍に属し、戦後は屋久島・鹿児島間の運搬船で働いていた。房枝さんは屋久島高校を卒業(第一期生)して、しばらく祖父母の面倒を看た後、十八、九歳頃に東京に出て府中に住み、調布にあった洋裁学校に四年半ほど通ったが、結婚のために二十三歳の時に屋久島に戻った。
夫幹郎さんとの間に三人の子供(幹治・勝範・貴久)を授かった。夫の幹郎さん(大正十四年二月十四日生)は上屋久町の役場に勤めていたが、平成八年五月に七十一歳で亡くなった。もしお元気であれば、母のハヨさんに関して詳しい話も聞けたのにと残念な思いであった。現在は、長男の幹治さんが四代目として三男の貴久さんとともに田代別館の経営に当たっている。


房江女将さんには二時間にもわたって貴重なお話を聞かせていただいたばかりではなく、未公開の写真を提供していただきました。林芙美子が「屋久島紀行」で書いていた田代館の女主人の名前を知れたこと、肖像写真を直に見られたことは感激でした。改めてお礼申し上げます。