日芸・自動車部新部員歓迎会は伊香保で(連載第二回)

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日芸・自動車部新部員歓迎会(2010/7/27)
高速道路パーキングエリアで昼食。フリータイム。各自好きなものを食べる。私と野本、宮野さんは地産レストラン「上里プリンス」で食事。OB会・会長の野本さんが持参した四十年前(昭和四十五年頃)の自動車部の合宿の場面を写したアルバムを見る。


自動車部「思いでのアルバム」を持参した野本博さんと。

まさに運動部を代表するような合宿風景。学生運動の熱風がおさまりかけていた頃で、当時の野元さんは髪もふさふさで精悍な顔つき、今の穏やかな感じとは異なって、まさに青春を謳歌している雄姿がうかがえる。私は当時、ドストエフスキーに熱中し、日夜ドストエフスキーを読み批評し続けていた。在学中、野本さんと面識はなかったが、卒業後、野本さんは出版会社に勤務、一貫して出版編集の仕事を続けてこられた。私が日芸・自動車部の部長を引き受けた十五年ほど前からのおつきあいとなるが、2006年に『ウラ読みドストエフスキー』(清流出版)、2007年に『ケンジ・コードの神秘』(清流出版)の刊行に御尽力頂いた。
宮野さん(右)、野本さん(左)。
OB会・副会長の宮野さんは私の教え子であるが、学生時代から自動車部を愛する気持ちは半端ではなかった。卒業してからも、後進の指導に熱心で、合宿にはかならず参加している。見かけによらず、優しくひょうきんな青年であることは、写真を見ていただければ一目瞭然であろう。








当時の自動車部には部車が七、八台あったそうである。車には「日本大学 芸術学部 自動車部」とあり、自動車部の誇りと愛校精神が端的にあらわれている。今、自動車部に運転可能な部車は一台もない。部員が、各自、車を所有する時代になったとはいえ、さびしいかぎりである。