日芸生が読む蛭子能収「愛の嵐」(連載2)

清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室   清水正の著作  エデンの南

「雑誌研究」第九回」(2010/6/18)は蛭子能収さんの「愛の嵐」を取り上げた。受講生たちのユニークな感想とレポートを掲載する。

受講生の感想。
清水先生の解説が入ると、やはり面白く見ることができました。 (放送 米村夏美)

『愛の嵐』考えれば考えるほどおかしな話でした。手品のところは、これ何の意味があるんだろうと思っていたので、先生の話を聞いてすっきりしました。 (映画 秋山美帆)

『愛の嵐』は難しい・・・何回読んでもわからない・・・正直なぞすぎます。 (演劇 岡村奈奈)

愛は臭いを越(超)えられるか、考えてしまいます。 (文芸 小山剛史)

蛭子さんってスゴイと思った!!他の作品も気になる。 (演劇 吉川菜歩子)

愛は理屈じゃないから、ソロバンや手品のようにはいかないですね。 (演劇 篠原和伸)
またたまごのところなるほどと思った。先生の解説をきいて『愛の嵐』のことがなんとなくわかった。 (デザイン 原あゆみ)
蛭子さんのマンガの不思議な世界観をもっと知りたいと思いました。 (音楽 森田紗緒里)
先生の『愛の嵐』の考え方おもしろくてより蛭子さんがすごいと思いました。 (デザイン 佐々木奈央)

不思議な漫画だと思ったのでもっと『愛の嵐』について話を聞きたかったです。 (写真 堀越厚)
私はこの作品を「社会」という題で見てしまったのですが、愛を追究するという見方の方が自然だったです。 (映画 奥西麻衣)

『愛の嵐』を最初に読んだ時はポカーンとしてしまいました。なんとか先生のように読みとけないものかと考えましたが無理でした。数十分の間に先生が話してくださった事をきいてやっとなるほど! となりました。 (映画 伊藤絵里加)
愛はにおいを越えられるか?確かに、越えられる人はすごいと思いました。 (放送 鈴木秀貴)

日芸生が読む蛭子能収「愛の嵐」(連載2)

原あゆみ

 全体的な特徴としては、現代のマンガに用いられる大胆、あるいはややこしいコマ割りが一切なされておらず、良い意味では読みやすく悪い意味では抑揚がないと感じたが、絵や話の雰囲気からして大きな抑揚などは必要ない気もする。そして最初の一コマ目から唐突に話が始まり、無理矢理世界にひきずりこまれる。ここがどこで、どういう状況で、なぜ女を好いているからといって責めたてられなければならないのか等の説明もはっきりされていないため、そこらへんが全て読者の考察と想像にゆだねられる。この場面は岡本が勝元をこれみよがしに殴りまくることにより終わりを迎えるが、この殴る状況を描いた四コマがとても強烈だ。他のコマで抑揚がなかった分、殴るコマを四コマも、台詞無しで描いたことにより何か強い印象を与えられる。そして場面はソロバン教室へとうつる。ここからまた抑揚も激しさもない展開が続くが、抽選券とか手品とかいう響きがなんだかマンガの大筋とちぐはぐで、そのおかげで話にアクセントがついているように思える。そして岡本がコンクリートのひびからお金を見つけている時に勝元が現れ、そのまま情事となるがそのシーンもぶっとんでいる設定なのに淡々と進んでいる。生理の描写、血の描写がぼかさず描かれていることにより読者も岡本と同じ嫌悪感を味わうことができる。最終的に岡本が吐いてしまうコマは大きくとられていて、強く印象に残ってしまう。そして場面はまたソロバン教室にかわる。淡々と展開が進んでいくが、タネを明かした男が暴力をふるわれているシーンもとても強烈だ。そうしてよくわからないまま話が終わってしまった。話が一貫していない、つんがっていないような気がしてわけがわからなくて混乱したが、よく振り返ってみると、強く印象に残った場面はどこも暴力的な描写の場面であった。ここで表現されている愛とは暴力的で汚くて、血なま臭い、ドロドロとしたものなのかなと感じた。

エデンの南