清水正・ドストエフスキーゼミの課題レポート

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清水正ドストエフスキーゼミ「文芸研究Ⅰ」では週に一回のペースでレポートを書いてもらい、メールで送ってもらっています。今回は佐々木明莉紗さんのレポート三篇を掲載します。

佐々木明莉紗
 

ソーニャと私  

 ソーニャは、正に何も救いのない境遇にいると思う。私が彼女と同じく、自分の身を売らなければ家族を養えない状況に陥ってしまったとしたら、それこそ一思いにきりを付けるため、運河に飛び込んでしまっただろう。ラスコーリニコフが彼女に言ったように、私はソーニャが発狂しなかったのがとても不思議に感じた。しかしその理由が、物語を読み進めていくうちに何となく理解できた。
 ソーニャは、自分が身を削ってまで作り出した金を、責めることなく父であるマルメラードフに渡した。その金が彼の酒代に消えると知っていて、渡したのだ。私が彼女であったら、いや、彼女以外の人間は当然、わざわざ酔っぱらいの父親に金を渡すことなどしないであろう。けれども、ソーニャはマルメラードフの悲しみや苦痛を知っており、彼を責めずに赦したただ一人の人間である。しかし、彼が自分を汚辱の境遇に陥らせた原因であるということは、誰が見ても明らかである。それでも赦せるソーニャは、大変慈悲深い女性だと感じた。
 話は戻るが、そんな彼女が発狂せず、泥沼の生活からも逃げ出さなかったのは、彼女が神の存在を信じていたからだと思う。彼女は、自分の家族は神によって救われると頑に信じ、これ以上の不幸は神様がお赦しにならない、とラスコーリニコフに語っていた。ソーニャが汚辱と卑しさの入り交じる境遇に身を置きつつも、その一方で神聖な感情を持ち続けられるのは、彼女の信じる神の存在はなくてはならないものであった。私は、神の存在を信じると言うことが、あえて言うならば、ただ一つのソーニャの救いであるのではないかと思った。だからこそ、ラスコーリニコフが神の存在を否認する発言をしたときに、血相を変えてかれに反発したのだと思う。
 そしてソーニャは、ラスコーリニコフと似た者同士である。彼が己の信じる善悪のために老婆を殺してしまったように、彼女もまた人を殺している。それは他でもない、自分自身だ。ラスコーリニコフは彼女に『むだに自分を殺し、自分を売った』と言っていた。本質は違えど、二人は人を殺しているのである。 
 そんなソーニャに、ラスコーリニコフは救いがない呪われたもの同士、一緒に行こうと語った。彼はソーニャがひとりぼっちには耐えられないと思っていたようであるが、逆にラスコーリニコフの方が、ソーニャとともに行くことで救いを求めたのだと思う。自分に降り掛かる不幸の一切を受け入れるソーニャならば、自分の犯した罪を赦し、理解してくれると信じたのではないであろうか。
 私は物語を読む際は、基本登場人物と気持ちを同調させるように心がけている。その方が、より一層物語にのめり込むことが出来るからである。しかし今回の場合、ソーニャの気持ちを理解することは、ラスコーリニコフよりも困難であった。彼と私は性格上共通点があったため比較的簡単に共感できたものの、私にはソーニャのような自己犠牲の精神が備わっていない。これまでにソーニャについて自分なりの理論を見解してみたものの、まだ何となくしか理解しきれていないのである。しかし、考えてみると、あらゆる日常的な面で、自分の責任逃ればかり考えてしまっている私が、ソーニャと同調するなんて限りなく不可能な話である。けれども、もし私がソーニャだったら……と考えずに入られなかった。マルメラードフに本気で憤りを感じてしまうあたり、私は自分で思っているよりもずっと、『罪と罰』の世界にのめり込んでいるのかもしれない。


母プリへーリヤについて 

 私は『罪と罰』を呼んで、プロへーリヤのような母親は持ちたくない、と思ってしまった。確かに彼女は非常にラスコーリニコフのことを愛している。しかし、私はプリへーリヤの行動が、いちいち空回りしているように感じた。
 彼女がラスコーリニコフに送った手紙は、その良い見本である。プリへーリヤは、ドゥーニャがルージンと婚約することになった経緯を、息子に包み隠さず教えたかっただけなのかもしれない。けれども、ドゥーニャがスヴィドリガイロフの家で受けた仕打ちは、細やかに説明するべきではなかったと思う。手紙を読み、自分の妹が辱めをうけている。しかも、その家出働いているのは、自分の生活費を稼ぐためだ、ということを知ってしまうラスコーリニコフの気持ちを、プリへーリヤは考えなかったのだろうか?結果的に、その手紙の内容は、無意識のうちにラスコーリニコフを責めてしまうことに繋がってしまったのではないだろうか。
 それと、もうひとつ忘れてはならないことは、ルージンの話である。プリへーリヤは、彼がドゥーニャを妻にしたいと思った理由を、これまたラスコーリニコフに正直に話してしまった。妻に負い目を感じさせ、恩人を気取りたい男を、妹の夫として迎えることを許す兄がいるがろうか。しかも、プリへーリヤはルージンの言葉を無遠慮な言い方だと思ったのにも関わらず、将来の出世のことを考え、婚約を承諾してしまった。プリへーリヤ達にとって、暮らしが裕福になるに越したことはないと思う。けれども、娘の幸せを心から願うのであれば、精神的な面も考慮し、母としてルージンとの婚約を見合わせるべきだったのではないか、と感じた。
 中巻にて、プリへーリヤはラズミーヒンと出会う。その時の彼女の様子が、言い方が悪くなってしまうが、私は大変気に入らなかった。彼女は息子、ラスコーリニコフに対して多くの疑問を持ち、ラズミーヒンを質問攻めする。その際、プリへーリヤは『なんで?』『どうして?』と言ってばかりで、息子を理解する気がないように思えた。一方、彼女はラスコーリニコフについて話し合うドゥーニャとラズミーヒンに、むっとしながら息子の性格を言い聞かせる場面もあった。私は、彼女が息子を理解しているのかいないのか、また、長い間別居していたにしても、今まで彼女は息子の何を見てきたのかを大変疑問に思う。
 プリへーリヤによると、ラスコーリニコフは心の中を外に出すのが嫌いらしい。確かに、作中の彼はそうかもしれない。しかし、彼をそうさせたのは、他でもなく母、プリへーリヤなのではないだろうか、と私は思う。私の思うプリへーリヤは、ラスコーリニコフを溺愛しているがゆえ、息子に拒絶されるような言葉をかけられると平常心を保てなくなり、困惑してしまう。更に、彼女は息子が理解の出来ないような行動をすると、ひどく嘆いていた。息子に恐怖を感じていた場面も多々あり、その都度、彼女はどこか媚を売っているような態度を見せていたようにもとれた。このようなプリへーリヤの息子に対する数々の対応が、ラスコーリニコフの心を乱してしまい、重荷に感じられた。そうしてラスコーリニコフは母に心を開かないようになり、やがては自分の殻に閉じこもるようになってしまったのではないだろうか。
 私はこんな母のことを、ラスコーリニコフは嫌っていると思っていた。しかしそうではなく、作中で彼は家族のことを愛していた。それに彼は彼なりに家族を想い、自身から遠ざけようとしていた。母の愛情表現が不器用であったように、彼もまた不器用であった。家族の絆は、確かに存在していたのだと思う。


レベジャートニコフについて

レベジャートニコフについての課題は、今までの課題の中で、一番書きにくいのではないか、と感じてしまった。何故なら、私にとっての彼の印象は、とても薄いものであったからである。思い出せることは自分の利益のためにルージンと一緒にいたな、ということくらいであった。更に私は、ルージンに対して嫌悪感を持っていたこともあり、ルージンとセットの扱いであったレベジャートニコフにも、当然ながら良い印象を抱いてはいなかったのである。
 下巻の序盤では、彼についての詳しい外見が書かれている。彼は『どこかの役所に勤めている、やせこけた、腺病質の小柄な男で、髪の毛が奇異な感じのするほど白っぽく、頬にはハンバーグステーキ状のひげをはやし』ており、元々は『かなり気の弱いほうなのに、しゃべらせると自信たっぷりで、ときによると傲慢不遜なぐらい』になってしまう男である。ドストエフスキーは彼のことを俗物、知ったかぶりの青二才、何かにつけて生かじりの朴念仁と表現している。酷い言われ様である。この人物も、かなり性格に難ありだと思った。
 それにしても、ドストエフスキーが描く登場人物たちは十人十色であり、どの人物も非常に個性的である。けれども、決して現実離れしているわけではなく、何処か身の回りにいそうな人物像であるのだから面白い。まさに、レベジャートニコフは私にとってそんな人物である。
 さて、私は下巻を読んでいたとき、突然物語に絡み始めた彼に疑問を感じた。彼はこれから何をする、いや、一体何をしでかすのであろうか、と思った。私のレベジャートニコフに対するマイナスなイメージは尚も消えていなかったので、彼はこの語の展開で、ルージンと一緒になってラスコーリニコフやソーニャを陥れるものだと勝手に決めつけてしまっていた。
 しかしその予想は見事に裏切られたのである。彼はソーニャを脅かす存在どころか、彼女にとっての救いの神であった。レベジャートニコフが彼女の潔白を証言した場面は、私が『罪と罰』を読んだ中で、一番夢中になった場面かもしれない。これからもこの作品を深く読み進めていくにあたって、別な場面に目を付ける可能性も十分にあり得るのだが、今はここが一番好きだ。
 それにしても、『低俗で、頭のにぶい男』のレベジャートニコフに自身の計画を壊されたルージンの気持ちは如何なものであっただろうか。ルージンはレベジャートニコフを自分の味方(というよりも子分、格下と表した方が正しいかもしれない)と疑っていなかっただろうし、彼を証人に立てると言ったくらいだ。
 けれども、彼らの仲には信頼というものはなかった。ルージンがレベジャートニコフと関わったのは、宿代を浮かせるためだとか、彼が入っているサークルに取り入って出世をしようという、自分の利益のためにレベジャートニコフを利用していたのに過ぎなかった。
 この二人の関係の奇妙なところは、ルージンはレベジャートニコフを軽蔑し、頭のにぶい男だと見抜いていたのにも関わらず、レベジャートニコフに対して少なからず恐怖心を抱いていたことである。
 そしてルージンは弁護士であるのに、つめの甘い、迂闊な男だと思った。彼はレベジャートニコフのサークルのメンバーに対し、『もし何かをくわだてた場合、彼らから暴露される可能性はあるのか』と勘ぐっていたはずだ。それなのに肝心なところでレベジャートニコフを見下していたルージンは、見事に自身の計画を暴露されてしまったのである。ルージンにとっては思わぬ伏兵、だったであろう。
 話は戻るが、ソーニャの潔白を証言したレベジャートニコフであるが、美味しいところは全てラスコーリニコフに持っていかれてしまったような気がしてならない。ソーニャが潔白である証拠がそろい、自分の立場が危うくならないことを確認した上で、初めて口を開き、助け舟を出した。何とも卑劣人間である。
 それに比べ、レベジャードニコフは、自分の立場や、これからルージンとの関係がどうなるかを顧みずに、ソーニャの味方をした。最も、二人の間には友情は存在していなかったようなので、むしろ彼はルージンを出し抜く機会を伺っていたのかもしれない。恋人の危機にも動かなかったラスコーリニコフよりも、自分が関わっても利益のない他人に手を差し伸べたレベジャートニコフに、私は好感を持てた。
 根っこのところでお人好しで、意外と頼りになる彼を、私は大いに評価したいと思う。サークルの皆さんが、彼をどう思っているのか、私はとても気になるレベジャートニコフにも、ラスコーリニコフにとってのラズミーヒンのように、よき理解者が現れてくれることを願いたい。