清水正ゼミ第八回課題「ポルフィーリイへの手紙」

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清水正ドストエフスキーゼミ「文芸研究Ⅰ」では週に一回のペースでレポートを書いてもらい、メールで送ってもらっています。今回は第八回課題「ポルフィーリイへの手紙」を掲載します。

ポルフィーリイへの手紙

冨田絢子

 ポルフィーリイ・ペトローヴィチ様
 初めまして、こんにちは。お元気にしていらっしゃいますか。初めてお手紙差し上げます。私は日本の大学生の冨田絢子と申します。この度、大学で文学を研究するにあたり、『罪と罰』を扱うこととなり、機会あってポルフィーリイ様へお手紙を差し上げることとなりました。こうして私の思いを伝えることができ、大変光栄に思います。
 今は2010年の6月です。2010年の姿が想像つきますでしょうか。ポルフィーリイ様が生きていた頃とは比べ物にならないくらい、科学も医学もすべての学問が発展し、世界そしてペテルブルグの様子も、国民の生活も、大きく変化しています。そこで、今を生きる人間だからこそ、私はあなたに対して考えさせられることがたくさんあるのです。私がこれから述べますのは、『罪と罰』に描かれているだけのポルフィーリイ様の印象であるゆえ、初めてのお手紙で申し上げるべきでない失礼が多々あるとは思いますが、どうかお許しください。
 まず、アリョーナ・イワーノヴナ氏とリザヴェータ・イワーノヴナ氏の殺害事件についてですが、あなたは最初からロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ氏が犯人であると知っていたのではないでしょうか。私は知っていたと確信しております。それなのに、なぜラスコーリニコフ氏をすぐに捕らえなかったのでしょうか。ラスコーリニコフ氏の心を手のひらの上でころころと転がすように、動揺する犯人の気持ちを弄びたかったから。そんな理由ではないと私は信じています。あなたはきっと大変頭のいい方です。『罪と罰』の中でも最も考えが深く、知識人でもあり、良識のある方だと思っています。だからこそ、ラスコーリニコフ氏が殺人事件の犯人であると気づいていながら、すぐに逮捕しなかったのだと思うのです。
 もしかしたら、ポルフィーリイ様はラスコーリニコフ氏に自ら殺人事件の真犯人であることを自首してほしいとお考えになったのではないでしょうか。もしそうならば、ラスコーリニコフ氏のため以外の何物でもなかったのでしょう。あなたもラスコーリニコフ氏に逆上されて、殺害されてしまう可能性もなくはないからです。そのような危険を背負っても、ラスコーリニコフ氏のために、自首をさせようとわざとラスコーリニコフ氏を動揺させるようなことをしたのだとすれば、あなたは素晴らしい心の持ち主です。しかし、それは予審判事としては、してはならないことだと思います。予審判事である以上、他の国民、市民のために犯罪者が目の前にいたら、一刻も早く捕まえるなり警察に届けるなりしなければならないのです。誰でも公平に扱い、感情に左右されることなく、罪は罪だと割り切る必要があると私は考えています。だから、ラスコーリニコフ氏に対してもそうするべきだったのです。あなたのような誠実な人は、予審判事には向いていません。
 あなたが誠実である証拠に、あなたは犯罪者であるラスコーリニコフ氏との約束を最後まで守り通しています。それはなかなかできることではありません。あなたは本当は心の温かい方だと思います。ラスコーリニコフ氏に減刑されるよう提案していた場面を読んでそう思いました。あれはラスコーリニコフ氏の心を揺るがす単なる作戦ではなかったと私は信じています。本当にラスコーリニコフ氏のためを思って発言されたのでしょう。私はその時の「いや、生命を粗末になさるものじゃない!」というあなたの強い言葉がとても好きです。罪のない二人の人間を殺害し、他人の生命を粗末にした本人に、自分の生命を粗末にするなと誰が言えるでしょう。あなたのさまざまな思いは、最後のラスコーリニコフ氏への自首へと繋がっています。
 先ほどあなたのような方は予審判事には向いていませんと申しましたが、本来は、あなたのような方が予審判事であるべきなのです。そうすればもっともっと世の中が良くなっていくのではないかと、漠然とですが、そう思います。
 なお、この度の厚かましい発言、失礼の数々、心よりお詫び申し上げます。すべて本心で語ることが手紙の本質であるというのが私の考えですので、仕方がなかったことなのです。決して、ポルフィーリイ様を罵ろうなどという思いは微塵もございません。心の片隅にでも、私の思いを置いていただけたら幸いです。ポルフィーリイ様のこれからの一層のご活躍をお祈り申し上げます。それでは、どうぞご自愛くださいませ。お元気で。
 2010年6月23日
エデンの南