清水ゼミ第七回課題「スヴィドリガイロフへの手紙」

清水正の林芙美子『浮雲』論連載    清水正研究室   清水正の著作  エデンの南

清水正ドストエフスキー論全集』第一巻〜第四巻(D文学研究会)A五判上製・3500円+税
第五巻は現在、全国の大書店で発売中

清水正ドストエフスキーゼミ「文芸研究Ⅰ」では週に一回のペースでレポートを書いてもらい、メールで送ってもらっています。今回は第七回課題「スヴィドリガイロフへの手紙」を掲載します。

スヴィドリガイロフへの手紙

 冨田絢子

 アルカージイ・イワーノヴィチ・スヴィドリガイロフ様
 こんにちは。そちらの世界ではお元気にしていらっしゃいますか。初めてお手紙差し上げます。私は日本の大学生の冨田絢子と申します。この度、大学で文学を研究するにあたり、『罪と罰』を扱うこととなり、機会あってスヴィドリガイロフ様へお手紙を差し上げることとなりました。こうして私の思いを伝えることができ、大変光栄に思います。
今は2010年の6月です。2010年の姿が想像つきますでしょうか。スヴィドリガイロフ様が生きていた頃とは比べ物にならないくらい、科学も医学もすべての学問が発展し、世界そしてペテルブルグの様子も、国民の生活も、大きく変化しています。そこで、今を生きる人間だからこそ、私はあなたに対して考えさせられることがたくさんあるのです。私がこれから述べますのは、『罪と罰』に描かれているだけのスヴィドリガイロフ様の印象であるゆえ、初めてのお手紙で申し上げるべきでない失礼が多々あるとは思いますが、どうかお許しください。
 まず、なぜあなたは自殺をしてしまったのでしょうか。これが一番大きな疑問です。アヴドーチャ・ロマーノヴナ氏から愛されなかったからでしょうか。それとも、もっと深い理由があるのでしょうか。はっきり申し上げますと、私はあなたが『罪と罰』の世界の中で、最も愚かな人間ではないかと思っております。自殺をすることは、人を殺害するよりも、お金を盗むよりも、何をするよりも、人として愚かなことだと私は考えています。命を授かった以上、何があっても命ある限り生きていかなければならないと思うのです。そういう点では、ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ氏の方が内面的に大きく勝っているでしょう。自分の人生を自殺という形で終えることは、最もしてはならなかったことではないでしょうか。今更言っても遅すぎるのですが。
 それと、アヴドーチャ氏のどこがいいのでしょう。若いところですか。美人であるところですか。何がともあれ、あなたにはマルファ・ペトローヴナという妻がいるのだから、いい歳して若い女性の尻を追いかけ回すような真似は当然すべきではなかったはずです。第一、マルファ氏に関しても、彼女のどこが良かったのですか。そんなにあらゆる女性が好きならば、別に結婚などしなくても良かったのではないですか。マルファ氏が亡くなってしまった時はどう思いましたか。丁度いい、ドゥーニャと一緒になれる、とでも思いましたか。それどころか、あなたはアヴドーチャ氏に銃で撃たれましたよね。そのアヴドーチャ氏を連れてきたのは、ご存知の通り、あなたの妻であるマルファですよ。怖いと思いませんか。私だったら、この際あの場でアヴドーチャ氏に殺されていた方がまだましだったと思いますよ。そうすれば、自ら命を絶つこともなかったでしょう。そう思いませんか。アヴドーチャ氏に手を出したばっかりに、最悪の最期を迎えることになったのです。自業自得です。
 そもそも、あなたが中盤で登場したあたりから、物語がしっちゃかめっちゃかになった気がします。あなたはお金でどうにかしようとする気持ちが強すぎます。お金でアヴドーチャ氏を釣れなかったのは、お金に魅力があっても、あなたに魅力がないからです。お金でどうにもならないこともたくさんあるし、そんなことをしていてはあなた自身がそのうち騙されることくらい分かりませんか。私は怒っている訳ではございません。あなたが鈍臭いといっているのです。格好をつけておきながら、大したことのない人間とすら思います。あなたがラスコーリニコフと話す必要もなかったのです。あなたが中途半端なことをしたせいで、こうして私たちは奇妙な謎解きをするはめになっているのです。
 なお、この度の厚かましい発言、失礼の数々、心よりお詫び申し上げます。すべて本心で語ることが手紙の本質であるというのが私の考えですので、仕方がなかったことなのです。決して、スヴィドリガイロフ様を罵ろうなどという思いは微塵もございません。心の片隅にでも、私の思いを置いていただけたら幸いです。今スヴィドリガイロフ様が天国にいらっしゃるか地獄にいらっしゃるか、それとも全く別の場所にいらっしゃるかは分かりませんが、これからの一層のご活躍をお祈り申し上げます。それでは、どうぞご自愛くださいませ。お元気で。

2010年6月16日   タイトル「愚者」
エデンの南

引間 沙代子


 拝啓 スヴィドリガイロフ様

 あなたが亡くなってからもう百何十年も経ちました。時代は21世紀です。今、平成という現代に生きる《私》が、一度もお会いしたことのない19世紀に生きていた《あなた》に対して数多くの感情と思想を抱きながらこの時代を生きています。
 どうしてあの時、あのタイミングで、あなたは死んでしまったのでしょうか。自殺などという、一般的には理解しがたい行為に及んでしまったのでしょうか。あなたが自身の頭に拳銃を突きつけたとき、それがどういう意味なのか初めてその場面を読んだとき私には理解ができませんでした。あなたはなぜ最終的に自殺に及んだのか、自殺という行為で自分自身を解放、つまり自由に出来るとでも考えたのか、それは少なからず長年連れ添ったはずの妻を殺したという罪の意識、また、どんなに愛しても決して返ってくることのないドゥーネチカへの思いから自身を解き放てると思ったからなのか、そう考えると私にはあなたが滑稽に見えて、そして哀れにも思えました。
 あなたは初め、私の中で大して大きな存在ではありませんでした。心の中であなたのことを若い女性にそれこそパワーハラスメントを仕掛けるただの「ストーカー」と呼んでいたくらいです。それがどうでしょう。ドゥーネチカが殺人の道具であるおおよそ彼女に似つかわしくない拳銃をあなたに突きつけたとき、私はとても興奮しました。ラスコーリニコフが金貸しの老婆を斧で殺害したときの緊張感とスリルとが読者である私を惹き付けたあのときのように、絶対的な悪であったあなたが弱者の立場に立たされたあの瞬間は忘れられません。それなのにあなたは、人の命を軽々しく消し去ってしまう悪魔のような黒い塊に自ら向かっていきました。そこには、ラスコーリニコフと老婆の間にはなかった全く別の緊張感が漂っていました。なぜ拳銃を持っているはずの強者であるドゥーネチカが丸腰の男に気負されてしまったのか、それは初めからドゥーネチカにあなたへの殺意が無かったからだと私は考えます。あなたもそう思いませんか?ああ、そう思わなかったから自殺に及んだのでしたっけ?せめて愛した人物に殺されたいと、あなたはそう思っていましたもんね。けれど、それは叶わない望みでした。その瞬間、あなたを襲ったのは言い知れない虚無感と絶望。この二つではありませんでしたか?せめて少しでも自分に情があるならば、天使のように無垢で純粋な心を持ったドゥーネチカならばきっと、とそう思ってしまったのでしょう。いいですか?ドゥーネチカ、彼女は決して天使ではありません。それはあなたが勝手に思い抱いていた彼女への幻影にすぎないのです。彼女はあなたと同じ人間であり、そうして彼女にも人間なら誰しもが必ず持っている闇の部分があるのです。それに気付くことができなかった、だからあなたは彼女の「愛」を得られなかったのです。私の書いていることはあなたにとって酷でしかないでしょう。何故ならあなたは、そんな哀れな自身から解放という手段を行使し夜逃げ同然に命を絶ったからです。あなたが自殺したとき、私は笑ってしまいました。ドゥーネチカの兄、主人公のラスコーリニコフを脅したり、彼の愛する人物である娼婦のソーニャにも焦点を当ててみたり、こんなにも物語を掻き乱したあなたの最期がまるで母親に捨てられた子供のようにあっけなく終わるなどと、誰が想像したことでしょう。少なくとも私はあなたの最期が良い終わり方をしないと予想はついていましたが、まさか自ら命を絶つとは毛ほどにも思いませんでした。最期まで愛に飢え、愛に食らい付くのだとばかり思っていました。冷徹非道なあなたでも、やはり愛の前では形無しだったのか、涙を流しながら引き金を引いたあなたに私はある種の感動を覚えたのです。自らを暗い闇の底に貶めていた筈のあなたが唯一縋った光は、あなたに絶望と愛する心を齎しました。私にはそれが羨ましくも思え、そしてあなたに嫉妬します。死ぬほど誰かを愛することのできたあなたは、私の中で尊敬に値するでしょう。けれど、やっていることが幼稚すぎるのは如何なものかとも思います。

 人を愛するという気持ちはあなたにとって重荷でありましたか?

 もしあなたと話すことができたなら、私はそう聞いてみたいです。

敬具
2010年6月19日

エデンの南