森光子の舞台

森光子の舞台
ここをクリックしてください 清水正研究室

ここをクリックしてください 清水正の著作

平成22年3月7日のアビスタでの講演

平成22年3月7日のアビスタでの講演林芙美子の『浮雲』に見る女の一生は、まず自己紹介を兼ねて、森光子さんとの出会いと『放浪記』について触れたあと、成瀬巳喜男の『浮雲』を何枚かの写真を紹介しながら説明する。そもそも私が林芙美子の『浮雲』に興味を持ったのは成瀬巳喜男の『浮雲』を観たからである。今、本屋に行っても林芙美子の作品が棚に並んでいることはめったにない。




平成22年3月7日のアビスタでの講演

林芙美子の文学は森光子の舞台『放浪記』によって支えられている側面もある。私は去年、二千回を越えた公演を観て、女優森光子の凄さをまざまざと感じた。47歳で亡くなった林芙美子を89歳の森光子が演じている舞台は、並々ならぬ迫力があった。もはや舞台上の森光子は、女優の域をすら超えた存在で、大げさではなく、彼女からは後光が射していた。


2009年6月27日NHKにて

最後の場面で、机に伏して寝込んでしまう場面では、本当に森光子が亡くなってしまったのではないかという思いにかられた。私は「森光子は生きながらにして復活されたひと」だと思った。この場面での森光子に声をかけられる役者はいない。どんなセリフも陳腐なものに化してしまう。森光子は脚本をも超えて〈生きながらにして復活してしまった〉のだ。

私は大学の講座で『放浪記』の森光子を語った。森光子はまさに〈森〉の中に燦然と〈光〉を放つ〈子〉であった。『放浪記』の森光子は、現代版かぐや姫である。

去年の六月二十七日、NHKのドキュメンタリー番組「女優・森光子 放浪記に生きる」で、山下聖美講師率いる日芸の学生たちが森光子にインタビューする場面に立ち会った時に、私は感激して言葉を失い、両眼に涙がにじんだ。森光子は〈女優〉であるというより、一人の美しい〈女性〉であり、〈かぐや姫〉のように輝いていた。純真無垢な〈子供〉のようでもあり、大きく包み込む〈母性〉でもあった。

私の母は57歳で乳ガンで亡くなった。大正八年生まれであったから、大正九年生まれの森光子より一歳年上である。私は森光子の姿に、勝手に母親の姿をだぶらせていた。89歳で、現役の舞台女優として日々研鑽されている、努力のひと森光子は、大女優としてのオーラを放っているというよりは、謙遜な庶民のひとりという相貌のままに現れた、神のような存在であった。なんかしぜんと拝みたくなってしまうような存在なのである。

去年の十一月二十三日に明治座『晩秋』を観たときにも、同じような感覚に襲われた。舞台に森光子が現れると、もはやそこは舞台ではなくなって〈森光子の時空〉へと化してしまう。どんな名役者もそこでは森光子と共にある人となってしまう。厳密な見方をすれば、そこで舞台は崩れてしまっているわけだが、おそらくそんなヤボを言う者はいないだろう。極端な言い方をすれば、観客は森光子が出演する舞台を観に来ているのではなく、〈森光子〉を観に来ている、否、拝みに来ているのである。が、かといって、森光子は
〈森光子教〉の教祖となっているのではない。

舞台と観客席の間には、芝居が続行されている限りは絶対に踏み越えることのできない、眼に見えない境界線が引かれている。が、森光子が舞台に登場すると、瞬間、この境界線が消えて、舞台と観客席が解け合うのである。これは一つの奇蹟である。森光子の舞台に感動するということは、この奇蹟に立ち会うことのできた感動なのである。


2010年1月23日帝国劇場で記念撮影

今年の一月二十三日、帝国劇場で『新春 人生革命』が公演された。ジャニーズの滝沢秀明が競演するとあって観客の大半は若い女性であったが、この時もまた渡邊マネージャーの特別のはからいで、幕間に学生たちと共に森光子を楽屋に訪ねることができた。森光子は不思議なほど元気で、私たちに向かって五月からの『放浪記』公演にも是非来てくださいと語っていた。

第二幕目開幕の前に、司会を兼ねた錦織一清から、往年の大女優京マチ子、歌手の谷村新司、元大リーガー投手の野茂英雄が観客席に来ていることが明かされた。
私の席G席28番から三列前のD席29番に京マチ子が座っていた。
私が好きな女優に『雪国』の岸恵子、『秋津温泉』の岡田茉莉子、『浮雲』の高峰秀子、『京化粧』の山本富士子、そして『羅生門』の京マチ子がいる。スクリーン上でしか会えない伝説上の、いわば雲の人が京マチ子である。

私の席からは、舞台上の森光子、そして舞台に食い入るような視線を向けている京マチ子の姿がかいま見える。このときもまた、批評家冥利につきる絶好の席を用意してくれた渡邊マネージャーに感謝した。闘い続けている女優が放つオーラは凄まじいほどに静謐であった。