山崎行太郎 毒蛇山荘の一夜(連載2)

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ドストエフスキー曼陀羅」特別号に掲載の文章を紹介します。
毒蛇山荘の一夜(連載2)
山崎行太郎( 文芸評論家、日本大学芸術学部文芸学科講師)

 ところで、話を元に戻すと、清水教授は、ドストエフス キー研究家として、日本だけではなく、世界的にも、特筆す べき人物である。清水教授は、日大芸術学部の出身だが、東 大卒や東京外大卒のドストエフスキー研究家等を、たとえば江川卓亀山郁夫等を遥かに凌いでいる。江川卓亀山郁夫ドストエフスキー論は、私に言わせれば、解説や紹介のレ ベルを超えていない。逆に、清水教授には『ドストエフス キー論全集』一から十巻があるように、質においても量にお いても他の追随を許さない。

清水正ドストエフスキー研究 やドストエフスキー論には、「存在論」と「存在論的思考力」 がある。清水正ドストエフスキー論には、清水正の人生と 青春と生活の全てがそそぎこまれている。大袈裟に言うなら ば、血と汗と涙の記録。清水正ドストエフスキー論は、清 水正の「私小説」の様相を呈している。少なくとも、私に は、そう見える。だから、私が尊敬し、畏怖するドストエフ スキー研究家は、小林秀雄を除けば、清水教授だけである。 私は、凡庸な三流教授が、業績作りのために、あるいはマス コミの求めに応じた「やっつけ仕事」でしかないドストエフ スキー研究などに興味がない。問題は、ドストエフスキー研 究に命を懸けているのかどうかなのだ。

実は、私も、高校時 代からドストエフスキーを読みはじめた。そして、深く決定 的な影響を受けた。私の文学的=哲学的思考の原点には、大 江健三郎や小林秀雄とともにドストエフスキーがある。私 は、頻繁に「存在論」や「存在論的思考」という言葉を使う が、それは、小林秀雄ドストエフスキーから学んだもので ある。だから、私は、高校時代から、大学ではロシア語とロ シア文学を専攻しドストエフスキー研究者になろうと想っていた。受験のために上京すると、私は、早稲田大学理工学部 の学生だった兄の影響もあり、早大露文科も受験した。早稲 田大学以外に、「露文科」は存在しなかったからだ。私は、 語学専門の東京外大のロシア語学科は嫌いだった。だが、い ずれにしろ、直前に断念した。ドストエフスキーを読み続け ることに恐怖のようなものを感じはじめたからだ。

ドストエ フスキーの文学には「狂気のようなもの」、あるいは「魔的 なもの」があった。研究対象として客観的に読むのは大丈夫 かもしれないが、主体的に、本気でドストエフスキーを読み 続けるとなると、自分も狂いそうな予感がした。しかしなが ら、文学研究の対象としてドストエフスキーを客観的に読む ことには抵抗を感じた。もちろん、ドストエフスキー研究を 断念したとはいえ、ドストエフスキーから完全に逃げた訳で はない。私は、ドストエフスキー研究の道を断念し、より健 全な分野へ逃げようと思ったが、ドストエフスキーは常に 私の思考の原点にあり続けた。「ドストエフスキーとともに ある」という私の不遜な自信は、揺るいだことがない。

私 は、自分がダメになりそうな時には、小林秀雄やドストエフ スキーを読む。ドストエフスキーを読みはじめた高校時代の 読書体験に立ち戻る。その意味で、私は、挫折や失敗を繰り 返しても、私の思考や思想に自信を失ったことはない。私 は、ドストエフスキー読書体験から得たドストエフスキー的 思考力に自信を持ち続けている。

私は、結果的には、慶應義塾大学の哲学科に進学し、その後、哲学研究者の道も閉ざさ れ、紆余曲折を経て、初心に立ち返り、「文芸評論家」とい うものになったが、今では、それが正解だったと思う。今で も、小林秀雄ドストエフスキーを読み続けており、それら は私の思考の原点になっている。

しかるに、清水教授は、高 校時代から、ひたすらドストエフスキーを読み続け、ドスト エフスキー論を書き続けたという。おそらく、狂気に近い挑 戦的行為だっただろう。ちょうど世間的には、いわゆる「日 大紛争」、「日大全共闘」の頃だったが、清水教授は脇目も振 らず、二十代の頃からドストエフスキー論を書き続け、現 在に至るまで、膨大なドストエフスキー論を書き残してい る。気の遠くなるような量である。私は、清水教授を羨まし いと思ったことはないが、ドストエフスキー研究を黙々と実 行し、実現、達成しているのを見ると、ただもう脱帽せざる をえない。

清水正は、私がまだ、大学院あたりで、将来のあ てもなく、途方に暮れ、右往左往していた頃、最初のドスト エフスキー論『ドストエフスキー体験』を、自費出版してい る。江古田にあったゴム工場でアルバイトを続け、そこで稼 いだ金を資金に自費出版したのだそうである。池袋の書店の 棚に、その本が並んでいるのを、私も見たことがある。私 は、敢えて無視しようとした。しかし、無視出来なかった。 私は、自分より若い日大芸術学部の学生が、小冊子とはい え、ドストエフスキーをタイトルに含む重厚な本を出版していることに驚愕すると同時に、それを素直に評価することが 出来なかったのだ。

それから、何十年も後に、つまり、清水 正が、東大閥の無能教授たちが跋扈していた日大芸術学部内 の派閥抗争を勝ち抜き、文芸学科の学科長として権勢を振る うようになった頃、私は、清水正から電話を貰い、講師を依 頼された。当時、私は、埼玉大学の講師もやっていたが、喜 んで、それを受け入れた。私は、毎週金曜日に、日大芸術学 部に出講するようになり、同時に、「金曜会」で、清水教授 のドストエフスキー研究とドストエフスキー論を拝聴するよ うになった。

私は、私の「ドストエフスキー的思考力」に自 信を持っていた。素人なりに、小林秀雄や秋山駿等のドスト エフスキー論を手引きに読み続けてきたという自信があっ た。しかし、清水教授とドストエフスキー論を闘わせるうち に、私の「自信」は、あっという間に打ち砕かれた。清水教 授のドストエフスキー研究の凄さは、ドストエフスキー作品 の隅々にまで精通し、あらゆる登場人物の実生活や人間関係 まで事細かに知り尽くしている事だった。ドストエフスキー が書いていないことにまで、清水教授は精通していた。私 は、打ちのめされた「道場破り」がそうするように、逆に喜 んで、清水教授に「弟子入り」することにした。もっとドス トエフスキーを勉強したかったからである。私は、清水教授 の「最後の弟子」である。

山崎行太郎 毒蛇山荘の一夜(連載1)

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清水正・ドストエフスキー論全集第10巻が刊行された。
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ドストエフスキー曼陀羅」特別号に掲載の文章を紹介します。

毒蛇山荘の一夜(連載1)

山崎行太郎( 文芸評論家、日本大学芸術学部文芸学科講師)

清水正日大芸術学部教授が、今年で定年を迎えるらし い。私は、そういうことにあまり関心はないが、大学関係者 にとっては、定年=退官という儀式は重要な節目になるもの なのだろう。というわけで、十一月二十三日(金)に、『清 水正先生   ドストエフスキー論執筆五〇周年   大勤労感謝 祭』とかいう、ロシアのペテルブルクと日大芸術学部江古田 キャンパスにまたがる、「大イベント」が企画されているら しい。 

ところで、清水正教授と彼の弟子=山下聖美教授、漫 画家の日野日出志氏等と私は、私が日大芸術学部に出講す るようになって以来、ほぼ毎週、金曜に、江古田の某所で、 「金曜会」という呑み会兼勉強会を続けてきた。今も続いて いる。夏休みや春休みには、研究取材旅行と称して、ロシア のペテルブルクやモスクワをはじめ、ベトナムホーチミン(旧サイゴン)やダラット、メコン川。中国の大連、旅 順。インドネシア。台湾。そして国内では、屋久島、桜島、 熊本、伊豆大島伊香保志賀高原直江津、青森……とい うように、ドストエフスキー林芙美子らの足跡を訪ねる旅 を続けてきた。 

私にとっても、人生の後半期に差し掛かって の貴重な時間だった。そこでは政治問題や社会問題なども話 題になるが、もっぱら文学や哲学の話題が中心だった。ボケ 防止にも役だったが、我々は常に真剣で、高校生のように燃 えていた。だから、私の頭は、今も高校生の頃とほとんど変 わらない。

私は、高校時代、読書の楽しみを知った。それま で本を読む習慣はまったくなかった。学校の国語教科書を読 むことが唯一の読書だった。つまり、それまで、本を自分の 金で買って読むという読書の歓びや感動というものを知らなかったのである。高校時代、卒業まじかになって、急に読書 に目覚めた。受験勉強のプレッシャーからの逃避行動の一つ だったのかもしれない。

具体的に言うと、大江健三郎、小林 秀雄、ドストエフスキーニーチェなどを、大江健三郎の読 書遍歴記録を参考に読みはじめた。分かったか分からなかっ たか、そんなことはどうでもよかった。面白いと思ったもの だけを読む、というのが、当時の読書法だった。特にドスト エフスキーには夢中になった。『地下生活者の手記』や『白 痴』には驚いた。 

不思議なことに、当時の読書法や読書傾 向は今もまったく変わっていない。清水教授も、高校時代、 『地下生活者の手記』を読んで、強い衝撃を受け、ドストエ フスキーにハマりこむようになったらしい。清水教授は、そ のまま一直線にドストエフスキー研究とドストエフスキー論 の執筆に突き進んでいき、現在に至る。無論、私と清水教授 とでは、そのハマり具合がまったく違う。

私は、ドストエフ スキー研究という点に関しては、まったくのど素人で、「ア マチュア」に過ぎない。私は、眠りかけていた「ドストエフ スキー的思考力」を、清水正との出会いによって思い出し た。清水教授のドストエフスキー論に刺激されて、私は高校 時代の読書体験を思い出した。

数年前(?)、鹿児島県薩摩半島の寒村にある毒蛇山荘と いう名の我が生家=廃屋で、清水教授とドストエフスキーを巡って、対談したことがある。今年(二〇一八年)も猛暑 だったが、今年よりも猛暑が続く夏であった。普通なら、秋 風が吹きはじめる九月というのに、その年は、まだ猛暑が 続いていた。その猛暑の一夜、夜更けまで、清水教授と私 は、ドストエフスキードストエフスキーの『罪と罰』を 巡って、真剣に対談したのである。

言うまでもなく清水教授 はドストエフスキー研究の第一人者である。ドストエフス キーを語りはじめると、体温が数度上がると公言しているド ストエフスキー=キチガイである。私のような「ど素人」が 対談できる相手ではない。だが猛暑の一夜、清水教授は、私 を相手に、飽くことなくドストエフスキーについて語り続け た。

その対談は、「江古田文学」六十六号(江古田文学会   二〇〇七年)と清水教授が主宰する「ドストエフスキー曼陀 羅」(日本大学芸術学部文芸学科「雑誌研究」編集室   二〇 〇八年)に「対談   現在進行形のドストエフスキー」として 二回に分けて掲載されたが、そのまま埋もれさせ、捨て去る には忍びなかったので、昨年出版した拙著『ネット右翼亡国 論』の巻末に、「共産同赤軍派」議長だった塩見孝也氏との 対談とともに収録した。その清水教授との対談の一夜は、私 にとっても、また我が「毒蛇山荘」にとっても記念すべきも のになった。

私は、両親が、精魂込めて、生涯の唯一の「傑 作」((笑))として建て、遺してくれた我が家=「毒蛇山荘」 を、そのまま朽ち果てさせるのが嫌だったので、その頃、勝
手に「毒蛇山荘」と名付け、「別荘」替わりにすることにし たのである。だから私は、せめて、私が生きている限り、こ の実家=「毒蛇山荘」を、廃屋になろうとも、そのまま残し ておきたかった。この廃屋の一室で、清水教授と私の対談が 行われたのだ、という記憶だけでも残しておきたかった。だ から、清水教授や山下聖美教授を、山奥の廃屋に招待したの である。

その直前には、まだ早稲田大学大学院生だった日本 保守主義研究会の岩田温氏や京都大学大学院の早瀬氏、東京 大学大学院の某氏。そして彼等の仲間の学生達が、一週間近 く、「毒蛇山荘」で合宿した。これもまた、我が「毒蛇山荘」 にとっては記念すべき出来事となった。岩田氏や早瀬氏、東 大大学院の某氏は、その後、大学教員になり、保守系政治学 者として有名になっている。

また岩田氏は今年、結婚した が、この夏の「毒蛇山荘合宿」が、青春時代の一ページとし て、記憶に残っているらしく、結婚式でもこの話が出た。私 は嬉しく感無量であった。亡くなるまで迷惑をかけ続けた父 や母に、「恩返し」が出来たのではないかと思ったものだ。 青森に太宰治の「斜陽館」があるように、鹿児島には、我が 「毒蛇山荘」がある、というわけだ。(笑)
 


 

山崎行太郎著『ネット右翼亡国論』に寄せて 

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山崎行太郎著『ネット右翼亡国論』に寄せて。
            

下原敏彦

8月はじめ、清水正教授から厚い新刊書が届いた。『清水正宮沢賢治論全集 第2巻』である。難病を押しての出版にお礼かたがた電話した。その折り、山崎行太郎氏が『ネット右翼亡国論』(春吉書房2017.8.15)を刊行されたことを知った。「おもしろかった、すぐに完読した」清水教授は、既に読まれていて感想を述べられた。
ネット右翼とは何か !?  耳慣れない言葉に戸惑った。私は、パソコンは使うが、ツィッターやブログは、やらない。ネット発信の政治や思想活動にも関心はない。そんなわけで「ネット右翼」と聞いても、すぐには理解できなかった。が、刊行を祝って、駅近くにある丸善で本書を手に入れた。とにかく読んでみよう。
はじめ帯文が目に入った。作家・佐藤優が「日本の現在を深く知るための必読書である」と推薦している。副題に「桜井誠廣松渉佐藤優の接点」とある。佐藤優は流行作家でよく目にする。が、後の二人は、社会情勢に疎いのと近頃、政治・思想関係の評論書をほとんど読んでいないせいもあってどんな人たちか、よくは知らなかった。
山崎氏のHP「毒蛇山荘」が頭に浮かんだ。辛らつな批評が裁判沙汰になることもある、と聞く。過激な政治議論や思想論争を想像して逡巡した。
しかし、読んでみると、案外、読みやすかった。ドストエフスキーについて清水教授との対談も収録されていて、教授が評したように面白く読めた。二人のこともわかった。
本書は、現在日本の保守本流の人たちを批判する評論書といえる。が、同時に評論家・山崎行太郎とは何かについて語った自伝の書でもある。
本書の序文を飾る附論(1)が、それをよく表している。『「亡くなった兄の原理」こそ、我が「存在論」の原点である。――亡き我が兄・仏淵浩を追悼する』兄の死を悼む短い追悼だが万感の思いが伝わってくる。ここに批評家・山崎行太郎の全人生の元がある。
当時、山崎氏が兄のことで帰省されていることは、知っていた。帰京されたとき、葬儀の様子を、直接、聞いたような気がする。が、「小さいときから父親のような存在」とは知らず、その深い悲しみを忖度できなかった。お詫びするとともに改めて黙祷を捧げたい。
批評家・山崎行太郎の信条とは何か。清水教授が主催する飲み会「金曜会」で、ときどき話題になる。そんなとき氏は、薩摩隼人らしからぬソフトな語り口で皆をけむに巻いた。推測するに、批評姿勢は、常に勝ち馬にのらない。そこにあるようだ。
例えば「それでも小沢一郎を推す」とか、「あくまで小保方さんを擁護する」とかである。社会が、世間がそうなら、私は、反対の立場からこう弁護します。そう言ってウフフと忍び笑いを漏らす。そうした時の氏は、ときには滑稽に、ときには頼もしくみえた。凋落する者たちの擁護。もの静かな微笑みと温厚な話し方で、あくまでも弁護するのだ。そこに山崎行太郎の批評美学をみる。(それは常に敗者の側に味方した大西郷の信念でもあるが)
去りゆくものを応援する美学。そんな評論家人生には、逸話も多い。訴訟を起こされ、埼玉県警で調書をとられた時、別れ際、担当の刑事から「こんどは、こんな場所ではなく、居酒屋で会いたいですね」と言われたという。
この話にドストエフスキー作品『悪霊』のモデルとなったネチャーエフ(1847-1882)を思い出した。1872年逃亡先のスイスで逮捕された革命家はペトロバヴロフスク要塞監獄に収監された。が、なんと多数の看守を取り込み脱出を計画した。逃亡は未遂におわったが彼には、話術や策謀以外に、人を引き付ける魅力があったようだ。
本書は、多くの亡国論、存在論を発信している。「ネット右翼A」「ネット右翼B」そして「ネットの愛国」など。が、私が真に理解できたのは、二つの発信である。一つは、前述の山崎氏の生い立ち秘話。もう一つは、氏のドストエフスキー体験である。
ネット無知の私とネットプロの山崎氏だが、これまで共通する話題は一つあった。児童文学作家で鹿児島県立図書館長の椋鳩十(1905-1987)は、私の故郷伊那谷出身である。「鹿児島で唯一の文学者なんですよ」私が伊那谷出身と知って氏は、自虐的に感激された。私と氏を繋ぐものは、他になかった。ところが、今回本書で認識を新たにしたのは、なんと氏もまたドストエフスキーの人であったということだ。薩摩半島の寒村の家で生まれ育った兄と弟。「この兄がなければ現在の私はない」との追悼は、ドストエフスキーと兄ミハイルの兄弟愛を感じさせる。文学への道標となったやさしい母の愛は、ドストエフスキーの母マリヤを彷彿させる。そして氏に哲学を開眼させた兄嫁の深い教養は、ゾシマ長老を想像させる。
評論家・山崎行太郎は、旧家の期待と一族の希望を一身に背負って一人ドストエフスキー街道をひた走ってきたのだ。清水教授は17歳のときから一人孤独のなかで読みつづけてきた。ちなみに私は、ドストエーフスキイ全作品を読む会「読書会」に参加して歩んできた。共に50年になる。三者三様のドストエフスキー体験に不思議な因縁を感じる。
氏は、自身のドストエフスキー体験を本書でこう述べている。「大江の次に椎名麟三という作家も読むようになった」そして「それでドストエフスキーを読み始めたわけですが」「片つ端から読んだんですが/僕が真剣に読んだのは『地下室の手記』『罪と罰』『白痴』で/この三作を読んだだけで、ドストエフスキーに完全に参りましたね」
このような氏のドストエフスキー体験告白は、私が知る限り、(どこかで話しているかもしれないが)恐らく本書がはじめてではないだろうか。その意味において本書は、批評家・山崎行太郎ドストエフスキー論になっている。
このように理解し解釈すれば、「ネット右翼」という言葉も耳慣れてくる。ドストエフスキーもまた「雑誌右翼」と呼ばれるにふさわしい土着性右翼の人だった。ドストエフスキーが『作家の日記』で展開する批評、政治、思想、民族論争は、当時に留まらない。21世紀の現在の問題として今も世界を揺るがせている。
とまれ、文芸評論家・山崎行太郎は、本書においてネット社会へ警鐘を鳴らしながらも、新しい時代を模索する希望を発信している。老いてゆく団塊世代にあって、一人勇敢にネット社会に挑んでいる。古希世代の旗手として挑戦をつづけている氏にエールを送りたい。
いつまでも消えゆく者の代表として活躍されんことを祈ります。改めてご出版、おめでとうございます。

本書は、多くの雑誌に掲載された氏のエッセイ、評論が大半だが、それらのなかで。目を引いたのは、『琉球新聞』に載せた記事「『沖縄ヘイト』の底流にあるもの」だった。ヘイトスピーチは、「そんなに単純なものだろうか」との問いに、ある出来事を思い出した。
もう30年近く前になる。たしかソウルオリンピックが開催された年だったかと思う。毎朝、総武線快速で東京に出勤している知り合いの中年女性が、最近、腹の立つことがある、と、訴えた。ラッシュアワーでごった返す駅ホームに横暴な高校生がいるという。座席確保のため、どこも長蛇の列だったが、一か所だけ、数人の高校生が列を乱して陣取っているところがあった。彼らは、遅れてきた先輩の席を確保するために陣取っていた。始発のドアが開くと、後輩たちはわれを争って飛び込んで行って車両の一角を占拠した。あまりのマナーの悪さに「どこの高校」と聞いても、ただへらへら笑っているだけだった。彼女は、腹の虫が治まらず、新聞社に投書した。暫くして社会部の記者から電話があった。そのことを記事にしたというのだ。「横暴な高校生、通勤客と争う」そんな見出しだった。それだけだった。傍若無人な席取りは続いた。彼女は、義憤に駆られ駅長室に訴えた。ところが駅長は、先刻承知とばかりにニヤついて「彼らは朝鮮なんですよ」と言った。予期せぬ答えに彼女は唖然として、思わず「それがどうかしたんですか」と、聞き返した。駅長は、困った顔で失笑するばかりだった。大新聞も、JRも高校生たちも声なきヘイトスピーチ合戦をホームで繰り広げていたのだ。それから暫くして、高校生たちは去っていった。中年女性に騒がれたことが理由のようだった。思えば問題解決の道は情報公開にあったようだ。

山崎行太郎『ネット右翼亡国論』お薦め

神経痛のため一日中部屋で横になっている。ここ一週間、動画で田端義夫の歌を聴いている。かえり船、大利根月夜、ふるさとの灯台、雨の屋台、どの曲も心に染みる。バタヤンの歌は日本人の魂にやさしくせつなく響いてくる。彼の歌の本源におふくろさんがいる。
さて、バタヤンの顔、だれかに似ている、なんと山ちゃんこと、山崎行太郎さんにそっくり。
山崎さんの今回の本『ネット右翼亡国論』も、根底に母親の存在を感じる。
山崎さんは日本第一党党首の桜井誠氏を評価するに当たって「思想家の土着化」「思想家の存在論化」といった難しい言葉を使っているが、平たく言えば思想家の抱えこんでいる「おふくろさん」ということである。桜井誠氏の演説には日本人が共通して抱え込んでいる母性に直接的に呼びかけてくる響きがある。彼は在特会会長の時からヘイトスピーチで左翼系の人達から厳しく批判されているが、わたしの耳には彼の言葉は優しく響いてくる。歴史的事実を相互にきちんと認識し合った上でのお付き合いをしましょう、できなければお付き合いはできませんという主張は素直に受け取れる。彼の表面上の言葉は過激であるが、過激な罵詈雑言が揺るぎなき信念と愛に立脚していることも確かである。自分が発する言葉にいっさい責任を持たない政治家が多すぎる。
桜井誠氏は今のところ、マスメディアから徹底的に無視され「反社会的」というレッテルを貼られているが、やがて彼の存在はおおきくクローズアップされてくるだろう。
わたしは山崎行太郎さんの『ネット右翼亡国論』を『ネット右翼興国論』として読んだ。今、どれ位の人がネット上で情報を得ているのか定かではないが、しかし新聞、テレビの偏向報道はひど過ぎだし、程度が低過ぎである。
それにしても、自からの政治的信念に命を賭ける政治家はいないのか。


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NHK Eテレ「100分de名著 宮沢賢治スペシャル」にて指南役も務められた山下聖美教授による『清水正宮沢賢治論 解体・再構築批評によるケンジ童話論の革命』が刊行されました。

山崎行太郎さんが『ネット右翼亡国論』を刊行した。



本日、「ドストエフスキー曼陀羅」8号用の原稿データ「ドストエフスキー罪と罰』再読」を印刷屋に送る。大学の研究室で「Д文学通信」1418号作成。


山崎行太郎さんが『ネット右翼亡国論』を刊行した。在特会・元会長として知られる「日本第一党」党首・桜井誠氏を取り上げている。桜井誠氏が都知事選に出馬した際には、新聞・テレビのマスコミは徹底的に無視しつづけた。今日の政治家の発言はまったく信用ならない。命がけの政治理念など微塵もない。桜井誠氏はここ十年あまりの活動において自らの政治理念を貫いている。やがて彼の主張や確固たる政治理念は日本人の多くに支持されていくだろう。山崎さんは桜井誠氏を存在論ネット右翼の騎手として高く評価している。とにかく今日の政治家たちのあまりの無責任さにはほとほとあきれるが、ネット上で自らの信念を発信しているものは桜井誠氏以外にも何人かいる。わたしは彼らの発言に謙虚に耳を傾けている。彼らは<敵>とみなす者たちにたいして容赦のない罵詈雑言を投げつけているが、彼らのこういった言葉も、わたしはドストエフスキー文学におけるグロテスクなカーニバル空間に飛び交う言葉群としてとらえ、面白く拝聴している。
 山崎さんのブログやフェイスブックでの政治、社会に対する発言活動は、ドストエフスキーが『作家の日記』で書き続けた社会時評に通じるものがある。わたしはもっぱらドストエフスキーの文学作品を批評し続けているが、山崎さんの近年の活動は政治、社会に関して積極的に取り組んでいる。が、山崎さんの発言は文学の深淵な世界と通底している。今回の著書でも椎名麟三、秋山駿、ドストエフスキーなどが取り上げられている。第二部は山崎さんの文学論をまとめたものともいえる。わたしが十年ほど前に鹿児島の毒蛇山荘を訪ねた折に対談した「現在進行形のドストエフスキー」も収録されている。
本書は「ネット右翼」の表層を文学の深層領域に引き入れて論じられた著作ともいえる。一読して、わたしはこの本は「ネット右翼興国論」にもなっていると思った。公平のコの字も体現していないマスコミに期待はまったくできない。ネットには様々な情報が発信されていて、いったい何が重要なのか判断がきわめて困難な状況にあるのも確かだが、マスコミよりはましだという思いがする。
 いずれにしても本書は一気に読める面白い、刺激的な本であった。

安濃豊の話題の動画 山崎行太郎さんと飲む

山崎行太郎さんと飲む

昨日20日は久しぶりに山崎さんと二人きりで飲むことになった。
江古田駅近くの焼き鳥専門店「鶏ジロー」。山崎さんは瓶ビール、わたしはホッピー。
焼き鳥はうまかった。
二人の文芸批評家が顔を突き合わせて、現代日本文学にかんする話題はいっさい出ない。
話はドストエフスキーの『罪と罰』のラスコーリニコフの母親のこと。
わたしが今最も興味深く思っている安濃豊の動画について話した。安濃氏の歴史観(アジア解放戦争)は今後大きな影響力を発揮するだろう。日本人必見の動画。

山崎行太郎さんがブログで「曽野綾子研究」を連載

清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。


清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』は電子書籍イーブックで読むことができます。ここをクリックしてください。http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


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四六判並製160頁 定価1200円+税


山崎行太郎さんがブログで「曽野綾子研究」を連載している。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20131109/1383950817 辛口の曽野綾子批判であるが、当の曽野氏からは何の反論もないらしい。ところが、山崎行太郎さんの批判に賛同する読者は日々増えているようで、その一つを紹介しておこう。
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-1532.html